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TITLE:
死なない僕の潔癖症。
SUBTITLE:
~ The Eutopia. ~
Written by BlueCat

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::完璧である必要などありません。必要を満たすなら、それでよいではありませんか。

::もちろん現実世界ではそれでいいと思うよ。
 でもね。完璧を目指さず、完全を望まない ── そんな思想に作られたものなんて、現代アートの作品にさえなれないまま廃棄処分されるのがオチだ。
 何かを作るというのは、たとえそれが自己満足だとしても、そのときの完璧を極限まで目指すことだと思う。
 それを目指さないのは自己欺瞞だよ。既製品で済ませて、他の誰かに任せれば済むじゃないか。
 他の誰かに任せた方がいいのなら、何も作らない方がマシだということになる。


 

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 国賊が大手を振って世を治めているということについて、なぜか今頃ニュースになっている。
 みだりに憶測でものを言うべきではないが、検察機関さえ掌中にしようとしていたように観察される政治家が不在になったのでようやく明るみに出るようになった、と考えるのは短絡に過ぎるようにも思える。
 この国は個人が治めているわけではない。集団がそれを行っているのだ(だから派閥だの党だの議席だのと、多数決ならではの愚かしい習わしに囚われることになる)。
 たとい統治者が国賊であろうとも、それは個人ではなく、集団によって醸成された存在だ。
 ために政治家というのはだいたい個人として見れば、市井の者よりあたたかく豊かな人間性を持ち、人格者であることも多い(もちろんあからさまな例外もいるが、少数だ)。
 統治組織や集団が、あるいはそのシステムに発生する淀みが国賊を生み出すというなら、そのシステムは一体何者によって構築され、あるいは何者によって改善されるというのだろう。

 それらシステムが全き清廉潔白な出力を行うまで、我々は何をすればよいというのだろう。何ができるというのだろう。
 考えるほど無力に思える。
 鉛筆書きを推奨される(場所によっては強要される=持参したボールペンの使用を禁止される)投票用紙さえ、疑いだしたらきりがなくなる。
 人間などよりAIのほうがよほども信頼に足るのではないかと僕などは思ってしまう。

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 生来、潔癖症である。理由は分からない。
 子供の頃から正義感が強かったが、その倫理がどこから来たのか、来歴を探るにもさっぱり分からない。
 文字を知らない頃から百科事典などを読んで過ごしたせいだろうか。
 整っているもの、完全なものに対する憧憬が、心根に育ったのかもしれない。
 もちろん完全主義にせよ、潔癖症にせよ、それはヴァーチャルを基盤にしたまやかしである。

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 物質的潔癖症は、弱い身体を使う上で、一定の役に立った。
 第二次性徴が始まる以前の、特に虚弱だった頃はことさら。
 身体が安定するにつれ、しかしその潔癖症は無駄だと思うようになった。
 バブル期の中後期、殺菌/抗菌/滅菌ブームがあったが、その頃にはすでに僕の物理的潔癖症は終わっていた。
 高校時代に所属していたボランティアの関係でキャンプなどを多くしたこと、恋人ができて身体を重ねたことなどが多く影響したように思う。

 精神的潔癖症は、しかしまだ残っていた。
 僕の一部はとりもなおさず自分の正義感を疑わず、一方で自分の中に脈打つ邪さや猥雑さについて、取り扱いに難儀していた。
 そして振り返るにその精神的潔癖症は、僕に利益をもたらしたことがなかった。

 どんな些細なものであっても不義や不正を認めないことは、たとえば子供の仲間内の悪ふざけであっても場の空気を乱し、白けさせるには十分な性質だった。
 しかし場の雰囲気や集団の空気を重んじるという性質を持たなかったので ── 今思えばそれなりの大家族だったのに、よくもそんなに勝手に育つことができたな、とは思うが ── 何よりも自身の正義感が先んじてしまい、学級内の大きなグループから目を付けられるということが6歳の頃からあった。

 あるいはその正義感に則って、格好良いことを言ったものの、常にそうした行動を取れるかとなるとそうもいかないことが次第に増えた。
 思考はより複雑になり、属する集団が増え、人間関係は広がり、規範はシーンによって微妙に変化した。
 Aという集団に属しているがためにBさんに賛同できず、Cという集団に属するときはBさんに賛同しなくてはならない、そういう場面だ。
 もちろんその場において、所属する集団に関係なくその意志を表明することに意義があり、かつそれが可能ならまったく問題はないだろう。
 しかし実態はどうか。

 自分の信条とする正義が確固たるものであればあるほど、それがヴァーチャルに完璧であればあるほど、その正義自体が息苦しく、それを当てはめられた自分の心は行き場をなくしていった。
 たとえば僕は肉体の成長に伴って、正しく女性に対して性欲を持つようになったが、自分が男性であることを許容できなかった(解決済)。
 たとえば僕は男たちが女たちをモノのように扱うことについて、たとえ冗談であっても許容することができなかった(解決済)。
 たとえば僕は明確な目的を持つ集団において、目的のためと偽って秘密裏に行われる不正を許すことができなかった(解決済)。
 たとえば僕は独善的な基準によって他者を断罪し、それを振りかざすことで暴力や権利侵害をするような人間を許すことができなかった。

 もちろん思考や精神がある程度成熟し、より複雑かつ柔軟に成長していれば問題はなかったと思うが、自身の中に棲まう正義感によって10歳の頃には窒息させられそうになっていた僕にとって、どこかで、何かを、決定的に、不可逆的に、殺す必要があった。

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 自分以外の誰かを殺すことによって正義を達成することは無理だということにはすぐ気がついた。
 それをすることができたら、どんなに胸がすくだろうかとは思ったが、どんなに僕の中の正義が正しくても、それをすることは矛盾を引き起こし、また完璧に完遂することは不可能だと理解できた。
 個人が独善に従って他者を裁くことの危険性については、もともとその正義感に含まれており、論理の上でも9歳の頃には自覚していたため、僕はこれら一切を却下した。なので僕は、どんなことをされても、意図的に個人を裁いたことがない。

 自分自身を殺すことについてはずっと計画されている。
 それを実行しないのは、その後始末についての自動化が、まだ実行できる段階にないからだ。
 ずっと計画していた甲斐があって、僕は計画当初よりずっと綺麗に世を去ることができる。
 ただ残念なことに、より完璧を目指すなら、それは今ではない。
 関わりを持っている ── さらには絶つことができない(絶つことで別の関係が構築されてしまったり、別の業務が発生してしまう) ── 人間がそれでもいて、それらは将来的にもっと少なくなることが明確であるため、可能な限りのソフトランディングを目指している。

 それであるときから僕は自分の中の正義を、潔癖症を、可能な限り徹底的に壊すことにした。
 自分の中にあるタブーというのは、しかしさほど多くはなかった。
 たとえば法を犯すことについても、他人に迷惑を掛けず、他人に危害を加えたりせず、隠蔽可能なものであれば試してみることにした。
 飲酒や喫煙は非常に容易だった。しかし得るものは多くなかった。
 結局、僕の抱えている(あるいは僕を拘束している)正義というのは、法によるものよりは、より道義や倫理と呼ばれるものに近しいものだったからだ。

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 詳細はあまり書きたくないが、僕は不義を自身に許容した。
 貞操を無視した(僕の場合、27人の恋人がいる状態を維持するにはそれが手っ取り早かった)し、生き物を殺す際はかならずその無慈悲を意図し、意識し、自覚的に行うようにした(端的に釣りや料理やガーデニングは合法的にそれを行える)。

 人を騙して意図的に搾取する行為は、さすがにできなかった。しかし会社員として生きている中で、それらを見る機会は散々にあった。
 騙すという言葉の定義が、悪意の有無ではなく相手の誤認を含むなら、相手が望んだものに100%合致しなかっただけで僕だって相手を騙したことになる。そう考えるのはむしろ容易だが、そういう潔癖症が危険だからこそ、僕は自分の基準に幅を持たせようとして現在に至るので認めるわけにはいかなかった。
 過去にまで遡及して僕を断罪したい人がもし居るなら、教えて欲しいとさえ今は思う。

 僕は現実世界と折り合いを付けることに成功し、暫定的にでも自身の存在や生命に意味を見出すことができた。
 それは仮初めかもしれないが、他者に影響を与えることなく、自身のルールを完遂できるなら問題ない。

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 ともすれば「6歳以前」と呼んでいる人格を使って生きている現在は、その潔癖症を再発させているのだろう。
 僕は自分の独善によって孤独を選び、人を避け、なるべく他人と交わらないように生きている。
 他人と関わらないことが今より困難な頃であっても、65歳前後には自害するように計画されていた。
 いずれもあの頃に描いたヴァーチャルの具現だ。
 僕の求める幸せは、両手の上に乗るくらい、やわらかくて小さくてあたたかい無機質で十分なのではないのか。

 この潔癖症に、たぶん出口はない。
 まるで爆弾のようなこれを抱えていることは、僕を安心さえさせる。
 偽善であっても独善であっても、よりどころには変わりないし、他者から隠蔽し、他者との関係を持たないようにしている限り、その存在は僕以外の誰にも意味を持たない。

 他人を傷つける可能性を含み、他人を利用する可能性を許諾し、それでも他人と関わる方が健全だろうか。
 僕は他人から傷つけられることはないし、他人から利用されることを回避できるが、僕以外の誰かが僕から影響を受けることを、関係を持ちながら避けることはできない気がする。思い上がりかもしれないが、誰かと関係を持っているというのはそういうものだろう。

 おそらく集団性や社会性という規範において、僕が他者と関わることは健全だ。
 しかし僕の潔癖症において、それは不健全だ。

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 かつて僕に謝罪を求めた人間がいる。
 きっと僕はそれらの人を傷つけ、あるいはその人の持つ善意を利用(悪用)したと認識されたのだろう。

 断罪された僕は謝罪をしただろうか。
 おそらくしなかったと思う。少なくとも本心では。
 なぜといって潔癖症の僕にとって、謝罪など、何の意味も持たないからだ。
 思考や計画によって規範や行動を変化させ、ミスを再発しない改善こそ真の意味での謝罪だろう。

 潔癖症が僕を(あるいは僕が意図した誰かを)殺し、しかし潔癖症を捨ててもだらしなさや無神経さが他者を傷つけるというなら。

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 しかし思うのだが、僕はなぜ生きているのだろう。生き続けているのだろう。
 死なないため。死ねないため。
 ただそれだけの理由で生きているなんて、不毛ではないか。
 不毛ではあるのに、しかし、計画をご破算にするわけにはいかないのだ。








 

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::でも僕が作ったモノは、いつもどこかいびつになってしまう。
 技量が足りないのかもしれないし、あるいはそもそも思慮が足りないのかもしれない。
 知識が足りず、計画や設計が至らず、不器用なためにこうなってしまうとしたら。

::猫様はそれがお厭ですか?
 完璧である必要などありません。必要を満たすなら、それでよいではありませんか。
 それに明日は、今日よりもっと上手にできるはずですよ。

 
 

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[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
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[Engineer]
  :工場長:青猫:黒猫:赤猫:銀猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Blood-Color-Diary-Ecology-Engineering-Form-Interface-Life-Link-Mechanics-Recollect-Stand_Alone-
 
[Module]
  -Condencer-Generator-Resistor-
 
[Object]
  -Memory-Poison-
 
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[Cat-Ego-Lies]
  :工場長の設計室:暗闇エトランジェ:夢見の猫の額の奥に:
 
 
//EOF