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TITLE:
自身という呪い。
SUBTITLE:
~ Mind cage. ~
Written by BlueCat
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人間というのは、自分という名の檻に閉じ込められた獣なのだろうと思うことがある。
時にその事実は哀れで滑稽で、そして無力で虚しい。
なべて等しくみな人間かと、哀れむこともあるのだが、そういう動物なのだろうから仕方ない。
おおよそ広く観察する範囲において、この「自分」という呪いに掛かっていない人は極めて少ない。
身体だって十分に自分を限定し制限する檻であり、その未熟な檻が成熟するまでには他者の力を借りなくてはならず、その他者は必ず「自分」を束縛する檻になる。あるいは柵(しがらみ)と言い換えてもいい。
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それではその柵が広く緩かったらどうなるかといえば、それはそれである種の檻には違いないのだ。
卑近な例だが僕は子供の頃、親(父親)は放任主義で、子供(特に僕)に関して無関心なのだと思っていた。
もちろん経営していた会社が倒産し、負債と病気と子供を抱えた状態で配偶者と別れるというのが一度に重なったわけだから、その苦労は僕の想像を超える。
しかし当の「子供」たる僕にしてみれば、そんな苦労はそれこそ想像もつかないものだったし、4歳の時点で(当時2歳の妹があまりに我が儘だったため)「僕はわがままを言わないようにしよう」と心に決めた経緯があったので、必然に手の掛かる妹が父親の愛情を独占しようといつも奮闘していた。
妬ましいということはなく、微笑ましい気持ちでいつも眺めていた。
(ときに、その過ぎる我が儘をいさめる必要はあったが)
僕は学業の成績こそ学年で目を引くほど優秀だったが、とにかく非常識な人間だったろうと思う。
学校で猫を飼ったり、宿題というものをまったくしてこなかったり、それから女物の服(姉のお下がりである)を平気で着ていたのでいじめられることもあった。
おそらく学校の先生も、何らか、親に連絡はしたのではないかと思う。
それで僕は親から何か、学校での生活について言われたことがあるかというと、まったくない。
成績について「これは!」と褒められたこともないし、宿題をしなさいと言われたことも、しないことを咎められたことも、猫を抱えて登校していることを注意されたこともない。
もちろん僕が学校生活について何も言わなかったことも事実だ。
クラスで1人だけテストで100点だった、なんてわざわざ報告していたらきりがないし、宿題をいつも忘れているということを自宅にいると忘れている。同様に自宅に居る猫はすでに学校に居ないので、思い至ることがない。
かの4歳の決意以来「僕のことを見て欲しい」という気持ちが希薄だったのだろう。
「求めよ、さらば与えられん」という言葉が事実なら、逆接的に求めないから与えられなかった。
もちろん欲しかったわけでもない。
ではその放任主義の緩さの中で、僕は自分の自由(深夜にTVを観たりラジオを聴いたり)を満喫していたわけだが、果たして大人になったとき「自分は父親から愛されていたのか」と自問すれば「妹ほどではないな」と即答できるほどだった。
手の掛からない子を演じることを決定したのだから当然なのだが、それが好いとか嫌いということではなく、単純に「さして愛されていなかったのだろう」(自分も大して愛着を持っているわけではないし)と思い至る結果を生んだのだ。
実のところこれは親のせいばかりでもない。なぜといって、僕の場合は自分で手の掛からない子供としての自身を構築することを決定したわけだから。
愛されたかったら「妹より僕を!」と妹を退ける勢いで自己顕示していた方が良かっただろう。
単純にそんな欲がなかったわけだが。
(それにある時期から僕は父親を蔑み、いつか殺す必要があると考えるようになっていたし)
そして近年、改めて振り返ると、僕はたいそう父親からも愛されていた。
ただお互いに、それを上手に表現し、やり取りすることができなかっただけだ。
つまり放任主義によって柵を広くて緩くし、檻に閉じ込めないようにしたところで、それも何らかの柵として作用するのだ。
あるいは環境がどれほど努力したところで、自分が望まないものは手に入らないものだし、望んだとしても本人が適切な努力をしなければやはり手に入らない。
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僕のように希薄な自我の上に複数の人格を載せていると「自分」の呪いはますます薄くなる。
世の中のだいたいのことは「Aとも言えるしBとも言える。notAともnotBとも言える」ことの連続だ。
子供の頃などは「果たして自分はここで何を選択すればいいのか」と分からなくなることもしばしばあった。
環境が求めていることと自分の許容範囲との妥協点を探り、それを終着点として自身の言動を制御しようというおかしなアルゴリズム(思考様式)が僕にはあるのだ。
それでも好き嫌いはあるし、許せないこともある。
ただその感情によって切り出される視界は、なかなか自分を制限してしまうのも事実だ。
そして多くの人はその自我を「好き嫌い」によって切り取って自らを制限してゆく。
「自分はこういうものだ」「自分はこう考えるものだ」「自分はこのように反応するはずだ」と意識せず無選択的に選択している様は、スピーディではあるが自由には見えない。
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未だに他人の愚痴を聞くことがあるので楽しく拝聴するのだが、その強く固執した「好き嫌い」こそがその人を苦しめていることを、どのように理解してもらえばいいのかと苦悩することもある。
しかしそれぞれに肉体があり、その肉体に起因した過去もある(肉体がなければ、きっともっと自由に他人になれるだろう)。
過去があるから人間関係が固着し、流動的でないために摩擦が起きる。
下世話な表現をすれば、仕事をしなければ収入が得られないことが多いし、1人で生きるには不器用な者が多い。
感情で結びついた好ましい(あるいは好ましかった)誰かと共に生きる(生きるためにその必要がある)者もいる。
誰でも炊事洗濯ができて、高い場所にも手が届き、重いものを運べて、家のリフォームや庭木の剪定もできて、電気工事もなんとなくやってみたらできた、というようにはならないし、自分の孤独を自分で埋めるようなイキモノは、基本的に変人扱いされる。
(そのように俯瞰して考えると、僕は極めて特殊な個体のようだ。まぁ猫だから必然か)
配偶者であれ親であれ子であれ友人であれ同僚であれ恋人であれ、誰かの手を頼って人間関係が生まれ、あるいはその人間関係があるから誰かに頼ることができ、あるいは誰かに頼られることがある。
そしてそれは漏れなく何らかの摩擦を生み、自身という檻を強固にする。
気に入った檻ならそれはよいことだ。
幸せは檻にある。実に人間は家に棲むではないか。
荒野に放り出され、雨風に打たれ、無能な個体は獲物を取れないどころかむしろ獲物にされるような生き方は自由だが過酷だ。
それに比べれば、檻で暮らすのも「まし」だと思う。
しかし檻が気に入らないとなれば、それを望むなら、相応の適切な努力 ── 努力という言葉が僕は嫌いなので正確にいえば、計画と実行/演算と出力 ── によって未来を変えるしかない。
そして変えた未来も、結局は檻なのだ。
自分が自分であり、自分という欲を捨てられない以上、人はなべて等しく、自分という檻から出られない。
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きっとそれはある種の呪いだろう。
人は与えられた環境という呪いを操作できないことによって無力感を植え付けられ、その無力感のまま自分の環境を選択しては、その環境に不満を抱く。
あるいはどこかで環境を操作することを学ぶことは可能だ。
環境が操作できるとなれば、自身は無力などではないと知ることができる。
もちろんその「環境」に他人が含まれていると、これはこれでその人に対する柵を作ってしまうことになり、呪いを作ることになるわけだから、たいそう恐ろしいことなのだけれど ── 。
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[NEXUS]
~ Junction Box ~
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[Engineer]
:青猫:赤猫:銀猫:
[InterMethod]
-Algorithm-Blood-Ecology-Engineering-Interface-Link-Love-Mechanics-Memory-Stand_Alone-
[Module]
-Condencer-Connector-Convertor-Generator-Resistor-
[Object]
-Human-Memory-
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[Cat-Ego-Lies]
:青猫のひとりごと:いのちあるものたち:
:君は首輪で繋がれて:夢見の猫の額の奥に:
:君は首輪で繋がれて:夢見の猫の額の奥に:
//EOF
