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TITLE:
空白の相対熱伝導。
SUBTITLE:
~ Thermal conduction. ~
Written by BlueCat
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230124
妹が遊びに来る日なので、姉の家から未明に帰宅。
台所に立って湯を沸かすと、足の裏から凍り付くような冷たい床へと熱が奪われるのが分かる。
>>>
人をして「あたたかい/冷たい」などという表現はよく見かける。
しかしこれは主観的な表現だ。
物事を感受する主観があればこそ、それを感覚できる。
客観において、熱というのは常に交換される相対だ。
より正確にいえば熱はエナジィとして、あたたかいものから冷たいものに伝達する。
この原理に従えば「あたたかい」と他者を感じる人は対象よりちょっと冷たいし、他者を「冷たい」と感じる人は己の心があたたかいのだろう。
と、そんな簡単に断ずることができないところが人間社会のややこしさだ。
>>>
冷徹な人間は、あたたかい人間の優しさを信じない。
一皮めくると蠢く欺瞞や、その奥に巧妙に隠れる自意識や、あるかどうかも分からない下賤な欲まで邪推しなくてはならない。
冷徹な人間は得てして臆病で、弱くて、脆いから。
だから相手は計算ずくの我欲によって、合法的な略奪を目論んでいるのではないかと怯える必要がある。
相手がこちらの骨肉臓腑に至るまでを利用する可能性について考えないわけにはいかない。
実際に、他人の骨肉臓腑までをも欲する類いのケダモノは、少なからず存在するからだ。
ために冷徹な人間は、誰にも優しくできない。
優しさは欺瞞であり、強欲であり、謀略であり、その発露は貧しき自身の欲を刺激し、他者を餌にするための罠になりかねない。
そう思うからかどうか、誰にも優しくすることのできないありようを、しかし私は、弱くても優しいと思う。
優しさの欺瞞を自身に許さない厳しさは、心底が優しいからこそだろう。
温和な人間は、冷徹な人間の無知に困り、頑固さに微笑む。
欺瞞も、自意識も、下賤な欲も、だってそれは皆が皆、等しく持っているものだから。
温和な人間は得てして豪胆で、強くて、揺るがないから。
己が下賤に堕ちる事のない強さを、誰から略奪する必要もない豊かさを、すでに持っている。
誰かが自信の骨肉臓腑までをも利用しようとしたとして、そんなものくれてやろうと思うのか、それを奪うことなどできないと思うのか。
そのいずれであれ、そんなことに怯えない。怯える必要を持たない。
その強さに圧倒される。
>>>
そして多くの人は、そうした絶対的なまでの冷たさも暖かさも持っていない。
どちらともつかない中間を、ぷかぷかと、浮いたり沈んだりするだけだ。
おそらくそれで良いのだと思う。おそらくそれが良いのだと思う。
いずれかの極端を目指して浮いたり沈んだりを繰り返すうち、己の温度に従って、ほどよい深さを、あるいは高さを、知ることができる。
大事なことは、変わらないようにと足掻かないことだろう。
なんとなく変わってしまえばいいし、昨日言っていたことを、なんとなく撤回してもいい。
そうやって、熱は移動してゆくのだし、いつまでも暖かくとか、どんなときも冷たくとか、そういうのはなかなかむつかしいのだ。夏に冷房は効きにくく、冬の暖房がすぐ温まるわけではないように。
>>>
何か用事があって来る予定を立てたのかと妹に尋ねたところ、何となく遊びに来ようと思ったのだと言っていた。
まぁ、たまにはそういうのもいいかと思う。
僕は、用もないのに人に会わない生活を、ずっと続けてきた。
学生時代は、用もないのに部屋に友人が(呼んだわけでも連絡し合っているわけでもなく)溜まっていた。
だから、予定も用事もなく誰かと一緒に過ごすのが、実は嫌いではないのだ。
けれど人間は大人になるにつれ、用事に追われ、用事を優先し、無用を嫌うようになる。
少なくとも僕はそうだった。
何の用もなく、仕事もなく、学校も卒業して、ぼんやり窓の外を眺めていた18歳の初夏を思い出す。
窓の外に聞こえた自転車のブレーキと、数年ぶりに顔を覗かせた中学時代の友人が僕を呼ぶ声を ── 。
なんて贅沢なんだろう。
何もしないというのは、喫緊の用が何もないというのは。
煙草もジュースも買うお金がなくて、2人で小銭を出し合って笑い合っていたあの贅沢な時間を思い出しながら、このぼんやりを、ぼんやりと受け止める。
僕は世間より20年早く定年退職を迎えた(と考えている)。
誕生日も新年も長期休暇も、自分で決めたがるような、変わったイキモノであるから仕方ない。
そういえば早期リタイアする人間には、結局復職する者もいるという。
おそらく、何の用もないことに耐えられないのだろう。
誰に必要ともされない不安に、苛まれるのだろう。
>>>
お腹が空いたという妹と食事に出かけ、スーパーで一緒に買い物をする。
陽差しのあるうちから寒い日で、明日はもっと冷えるという。
妹が遊びに来る日なので、姉の家から未明に帰宅。
台所に立って湯を沸かすと、足の裏から凍り付くような冷たい床へと熱が奪われるのが分かる。
>>>
人をして「あたたかい/冷たい」などという表現はよく見かける。
しかしこれは主観的な表現だ。
物事を感受する主観があればこそ、それを感覚できる。
客観において、熱というのは常に交換される相対だ。
より正確にいえば熱はエナジィとして、あたたかいものから冷たいものに伝達する。
この原理に従えば「あたたかい」と他者を感じる人は対象よりちょっと冷たいし、他者を「冷たい」と感じる人は己の心があたたかいのだろう。
と、そんな簡単に断ずることができないところが人間社会のややこしさだ。
>>>
冷徹な人間は、あたたかい人間の優しさを信じない。
一皮めくると蠢く欺瞞や、その奥に巧妙に隠れる自意識や、あるかどうかも分からない下賤な欲まで邪推しなくてはならない。
冷徹な人間は得てして臆病で、弱くて、脆いから。
だから相手は計算ずくの我欲によって、合法的な略奪を目論んでいるのではないかと怯える必要がある。
相手がこちらの骨肉臓腑に至るまでを利用する可能性について考えないわけにはいかない。
実際に、他人の骨肉臓腑までをも欲する類いのケダモノは、少なからず存在するからだ。
ために冷徹な人間は、誰にも優しくできない。
優しさは欺瞞であり、強欲であり、謀略であり、その発露は貧しき自身の欲を刺激し、他者を餌にするための罠になりかねない。
そう思うからかどうか、誰にも優しくすることのできないありようを、しかし私は、弱くても優しいと思う。
優しさの欺瞞を自身に許さない厳しさは、心底が優しいからこそだろう。
温和な人間は、冷徹な人間の無知に困り、頑固さに微笑む。
欺瞞も、自意識も、下賤な欲も、だってそれは皆が皆、等しく持っているものだから。
温和な人間は得てして豪胆で、強くて、揺るがないから。
己が下賤に堕ちる事のない強さを、誰から略奪する必要もない豊かさを、すでに持っている。
誰かが自信の骨肉臓腑までをも利用しようとしたとして、そんなものくれてやろうと思うのか、それを奪うことなどできないと思うのか。
そのいずれであれ、そんなことに怯えない。怯える必要を持たない。
その強さに圧倒される。
>>>
そして多くの人は、そうした絶対的なまでの冷たさも暖かさも持っていない。
どちらともつかない中間を、ぷかぷかと、浮いたり沈んだりするだけだ。
おそらくそれで良いのだと思う。おそらくそれが良いのだと思う。
いずれかの極端を目指して浮いたり沈んだりを繰り返すうち、己の温度に従って、ほどよい深さを、あるいは高さを、知ることができる。
大事なことは、変わらないようにと足掻かないことだろう。
なんとなく変わってしまえばいいし、昨日言っていたことを、なんとなく撤回してもいい。
そうやって、熱は移動してゆくのだし、いつまでも暖かくとか、どんなときも冷たくとか、そういうのはなかなかむつかしいのだ。夏に冷房は効きにくく、冬の暖房がすぐ温まるわけではないように。
>>>
何か用事があって来る予定を立てたのかと妹に尋ねたところ、何となく遊びに来ようと思ったのだと言っていた。
まぁ、たまにはそういうのもいいかと思う。
僕は、用もないのに人に会わない生活を、ずっと続けてきた。
学生時代は、用もないのに部屋に友人が(呼んだわけでも連絡し合っているわけでもなく)溜まっていた。
だから、予定も用事もなく誰かと一緒に過ごすのが、実は嫌いではないのだ。
けれど人間は大人になるにつれ、用事に追われ、用事を優先し、無用を嫌うようになる。
少なくとも僕はそうだった。
何の用もなく、仕事もなく、学校も卒業して、ぼんやり窓の外を眺めていた18歳の初夏を思い出す。
窓の外に聞こえた自転車のブレーキと、数年ぶりに顔を覗かせた中学時代の友人が僕を呼ぶ声を ── 。
なんて贅沢なんだろう。
何もしないというのは、喫緊の用が何もないというのは。
煙草もジュースも買うお金がなくて、2人で小銭を出し合って笑い合っていたあの贅沢な時間を思い出しながら、このぼんやりを、ぼんやりと受け止める。
僕は世間より20年早く定年退職を迎えた(と考えている)。
誕生日も新年も長期休暇も、自分で決めたがるような、変わったイキモノであるから仕方ない。
そういえば早期リタイアする人間には、結局復職する者もいるという。
おそらく、何の用もないことに耐えられないのだろう。
誰に必要ともされない不安に、苛まれるのだろう。
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お腹が空いたという妹と食事に出かけ、スーパーで一緒に買い物をする。
陽差しのあるうちから寒い日で、明日はもっと冷えるという。
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[NEXUS]
~ Junction Box ~
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[Engineer]
:青猫:黒猫:
[InterMethod]
-Algorithm-Diary-Ecology-Engineering-Link-Mechanics-Memory-Season-
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-Condencer-Connector-Convertor-Generator-
[Object]
-Human-Memory-
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[Cat-Ego-Lies]
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