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// TimeLine:221202
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TITLE:
砂漠の旅人。
SUBTITLE:
~ Desert Traveler. ~
Written by BlueCat
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//[Body]
221202
先日、ついいつもの癖で、酒席に相合わせた初対面の人と連絡先を交換してしまう。
僕は基本的に独りで呑むことが多く、積極的にこちらから話し掛けることはない。
そもそも僕と話の合う人がそう多くないことは自覚しているし、料理を愉しむときは料理と、酒を味わうときは酒と、相対し黙して味わうことを至上としているので、たとえ行きつけの店であっても他のグループや酔客に興味を持つことは少ない。
それでもそうした場で、誰かと親しくなることはある。
僕の場合は決まって年下の男性である。
対外的な影響を推測するに、スリーピースのスーツを着て背筋を伸ばしてカウンターで独り飲んでいる中年男性に話し掛けるのはかなりハードルが高いものと思われる。僕だったら絶対に話し掛けたりしないし目も合わせない。
かなりカジュアルな私服の時や、作務衣のときもあるが、カウンターに座っている中年男性というのは基本的にそっとしておくべきものである。
とはいえ止まり木の隣同士となると軽く挨拶をしたり、ちょっとした世間話をするのが社交の礼儀といえばそのとおり。それがきっかけで(仮にその場限りであっても)意気投合することは少なからずある。
なぜといって、わざわざ無視したり敵対する理由はないからだ。
これは遠方の温泉で見知らぬ誰かと居合わせたときの心理にも似ている。
>>>
もっとも僕の場合、立ち居振る舞いが最初から少し特殊なため、だいたいの人から敬遠されがちだ。
僕からすると一般の人はがさつで無神経で騒々しいし、一般の人からすると僕は気取った変人に見える。よって(幸か不幸か)女性もほとんど近づいて来ない。
年上の男性は基本的に特殊な気配の年下男性に興味を持たない。
結果として、僕と親しく話ができるのは(変人を知らないか、変人に興味を持つ類いの)年下の男性が多いことになる。
もちろん酒席で親しくなった人の中には、同世代、あるいは年上の男性もいるし、女性も数人はいる ── といっても顔を合わせたら軽く挨拶をする程度の知り合いだが。
単純に、独りで行動できる人間かどうか、ということがキーになっている気がする。
僕は3人以上で行動することは非常に稀だし、2人で行動することも珍しい。
どこに行くにも何をするにも独り、もしくはプラス猫である。
>>>
悪く言えば僕はグループ行動における配慮というものを知らない。
恋人や友人、家族を含め1対1なら存分に自由に振る舞うことができ、なんとなれば料理の取り分けやオーダの細かい(摂取制限により塩分少なめ、甲殻類はアレルギィでダメとかいった)アレンジなど相応のサービスを提供する(してもらう)ことも可能だ。ウェイタ歴が長いのでそのあたりはお手のものである。
一方で4人以上のグループになるとそこには ── たとえ潜在的にであっても ── 必ずヒエラルキィや暗黙のルールが発生する。
僕はまずそれが読めない。
集団に存在する暗黙のルールは、学校に猫を持ち込むことさえ許されて生きてきた特例の塊みたいな僕にとって、解読不能の教典なのだ。
>>>
そういう集団生活のエアポケットのような僕にとっては、だからふとしたときに気が合う相手というのはそれだけで特殊なのだ。
それで次も誘い合わせてお酒を交わすために連絡先を交換する習慣を、およそ5年前に作って持っていた。
その習慣をつい先日も発揮してしまったというわけだ。
しかしよくよく考えるとこの習慣を僕はもう利用しない。
なぜといって、この先は新しい友達や知り合いや恋人をなるべく作らず、可能な限り関わり合う人間を減らすことを決定しているからだ。
非凡に非凡を重ねた結果、多くの人と相容れない価値観と生活様式をして日々過ごしている僕が、平凡に暮らす人と親しくなったところで、価値観か音楽性の違いから決裂するか、そうならずとも互いにストレスを抱えることになるのは目に見えている。
そもそも独りでいることに不自由を感じず ── まさか。自由こそは孤独であり孤独こそは自由である ── 不満もなく、その上タイムリミットまで設定している僕にとって、もはや時間や手間を掛けて新しい人間関係を作ることに価値を見出す必要はない。
失望しかないとまで言わないが、互いにどれほどのメリットがあるのかと考えるとさほどの積極性は必要ないと思ってしまうのである。
>>>
ために通常なら翌朝には必ず連絡をするのだが、今回は放置した。
煙草やお酒をよく勉強している面白い青年だったのだが、僕が関わりを持ったとして、互いに良い影響があるかというとさほどでもないように思えたのだ。
人間を悲観しているわけでも、人間関係に希望を持っていないわけでもない。
ただもっと尻すぼまりにしたほうが良いと思ってしまっている。
一般的な人ならば、それでも誰かと関わり合いを持った方がよいのだろう。
多くの人にとって、孤独の自由は冷たく乾燥し、寂しいもののはずだ。
僕の場合も同様。
徹底した自由の孤独は、まるで砂漠の夜を歩いているかのようだ。
ただその冷たく寂しい有りように苦痛を感じない。
望んだ旅が、道が、そこにあるような気がして。
先日、ついいつもの癖で、酒席に相合わせた初対面の人と連絡先を交換してしまう。
僕は基本的に独りで呑むことが多く、積極的にこちらから話し掛けることはない。
そもそも僕と話の合う人がそう多くないことは自覚しているし、料理を愉しむときは料理と、酒を味わうときは酒と、相対し黙して味わうことを至上としているので、たとえ行きつけの店であっても他のグループや酔客に興味を持つことは少ない。
それでもそうした場で、誰かと親しくなることはある。
僕の場合は決まって年下の男性である。
対外的な影響を推測するに、スリーピースのスーツを着て背筋を伸ばしてカウンターで独り飲んでいる中年男性に話し掛けるのはかなりハードルが高いものと思われる。僕だったら絶対に話し掛けたりしないし目も合わせない。
かなりカジュアルな私服の時や、作務衣のときもあるが、カウンターに座っている中年男性というのは基本的にそっとしておくべきものである。
とはいえ止まり木の隣同士となると軽く挨拶をしたり、ちょっとした世間話をするのが社交の礼儀といえばそのとおり。それがきっかけで(仮にその場限りであっても)意気投合することは少なからずある。
なぜといって、わざわざ無視したり敵対する理由はないからだ。
これは遠方の温泉で見知らぬ誰かと居合わせたときの心理にも似ている。
>>>
もっとも僕の場合、立ち居振る舞いが最初から少し特殊なため、だいたいの人から敬遠されがちだ。
僕からすると一般の人はがさつで無神経で騒々しいし、一般の人からすると僕は気取った変人に見える。よって(幸か不幸か)女性もほとんど近づいて来ない。
年上の男性は基本的に特殊な気配の年下男性に興味を持たない。
結果として、僕と親しく話ができるのは(変人を知らないか、変人に興味を持つ類いの)年下の男性が多いことになる。
もちろん酒席で親しくなった人の中には、同世代、あるいは年上の男性もいるし、女性も数人はいる ── といっても顔を合わせたら軽く挨拶をする程度の知り合いだが。
単純に、独りで行動できる人間かどうか、ということがキーになっている気がする。
僕は3人以上で行動することは非常に稀だし、2人で行動することも珍しい。
どこに行くにも何をするにも独り、もしくはプラス猫である。
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悪く言えば僕はグループ行動における配慮というものを知らない。
恋人や友人、家族を含め1対1なら存分に自由に振る舞うことができ、なんとなれば料理の取り分けやオーダの細かい(摂取制限により塩分少なめ、甲殻類はアレルギィでダメとかいった)アレンジなど相応のサービスを提供する(してもらう)ことも可能だ。ウェイタ歴が長いのでそのあたりはお手のものである。
一方で4人以上のグループになるとそこには ── たとえ潜在的にであっても ── 必ずヒエラルキィや暗黙のルールが発生する。
僕はまずそれが読めない。
集団に存在する暗黙のルールは、学校に猫を持ち込むことさえ許されて生きてきた特例の塊みたいな僕にとって、解読不能の教典なのだ。
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そういう集団生活のエアポケットのような僕にとっては、だからふとしたときに気が合う相手というのはそれだけで特殊なのだ。
それで次も誘い合わせてお酒を交わすために連絡先を交換する習慣を、およそ5年前に作って持っていた。
その習慣をつい先日も発揮してしまったというわけだ。
しかしよくよく考えるとこの習慣を僕はもう利用しない。
なぜといって、この先は新しい友達や知り合いや恋人をなるべく作らず、可能な限り関わり合う人間を減らすことを決定しているからだ。
非凡に非凡を重ねた結果、多くの人と相容れない価値観と生活様式をして日々過ごしている僕が、平凡に暮らす人と親しくなったところで、価値観か音楽性の違いから決裂するか、そうならずとも互いにストレスを抱えることになるのは目に見えている。
そもそも独りでいることに不自由を感じず ── まさか。自由こそは孤独であり孤独こそは自由である ── 不満もなく、その上タイムリミットまで設定している僕にとって、もはや時間や手間を掛けて新しい人間関係を作ることに価値を見出す必要はない。
失望しかないとまで言わないが、互いにどれほどのメリットがあるのかと考えるとさほどの積極性は必要ないと思ってしまうのである。
>>>
ために通常なら翌朝には必ず連絡をするのだが、今回は放置した。
煙草やお酒をよく勉強している面白い青年だったのだが、僕が関わりを持ったとして、互いに良い影響があるかというとさほどでもないように思えたのだ。
人間を悲観しているわけでも、人間関係に希望を持っていないわけでもない。
ただもっと尻すぼまりにしたほうが良いと思ってしまっている。
一般的な人ならば、それでも誰かと関わり合いを持った方がよいのだろう。
多くの人にとって、孤独の自由は冷たく乾燥し、寂しいもののはずだ。
僕の場合も同様。
徹底した自由の孤独は、まるで砂漠の夜を歩いているかのようだ。
ただその冷たく寂しい有りように苦痛を感じない。
望んだ旅が、道が、そこにあるような気がして。
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[NEXUS]
~ Junction Box ~
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[Engineer]
:黒猫:
[InterMethod]
-Algorithm-Diary-Ecology-Interface-Link-Stand_Alone-Style-
[Module]
-Reactor-
[Object]
-Human-Night-Poison-
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[Cat-Ego-Lies]
:ひとになったゆめをみる:
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