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TITLE:
ハロー、リアル。
SUBTITLE:
~ Welcome to Virtual world. ~
Written by BlueCat

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 学校の卒業アルバムの写真が無加工であることに耐えられない子供たちも居るという。
 愉快な話だと、僕は思う。
 別に嘲笑するわけではない。
 ありのままの現実を受け容れられないそのありようを弱さだとも思わないし、架空の自分に傾倒するありようを危険だとも思わない。

 人間はもともとヴァーチャルに現実を認識している。
 認識という作業、視野という範囲の限定、肉体という起点の存在が、現実をして既に仮想の情報に組み替えている。
 現実を、現実のまま認識している人間など1人もいない。

 にもかかわらず、現実、現実と、鬼の首を取るように妄想家を人は嗤ってきた。
「もっと現実を見なさい」という言葉を、僕でさえ、相応の数の人間に言われてきた。
 彼ら彼女たちの宣う「現実」とは主にキャッシュ、つまり現金であり、あるいはその供給源となる社会、要は家族や会社であった。現実とはそんなに無価値なものか。

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 GoogleEarth が台頭した頃だろうか「Googleは地球上のすべてを情報化し、ヴァーチャルな世界(コンピュータの中の情報世界)にリアルを丸写ししようとしている」と言われたことがあった。
 Google SketchUp は、その世界の詳細を人々が作り出す手伝いをしていた。

 まだその頃、現実は現実で、人々は現実に暮らし、ヴァーチャルはただの娯楽として考えられていた。
 つまり現実世界が先にあり、ヴァーチャルは現実世界に構築された役に立たないものとして認識され、位置づけられていた。

 しかし実は逆だ。
 この現実の世界にあって、人間が「人間社会」と認識しているその多くは、人間が作ったもので構成されている。
 都市も、文化も、道具も、経済も。
 たとえば自動車は、自然発生したものではなく、人間がイメージし、設計し、構築し、実存させたものだ。

 そうやって人間は、現実の、自然の世界を、自分たちのイメージで塗りつぶしていった。
 この世界に ── より正確には「人間の認識できる世界に」 ── 人工物の存在しない場所なんて、ほとんど存在しない。
 なぜなら人間が、すでに人工物の一翼を担っているからだ。
 服を着ず、道具も持たない「動物のまま」の人間はもはや人間という集合のごくごく一部にしか分布しない。

 イメージし、望んだフィクションを、人間は現実世界に投影し、実現する。
 山や川、海や島の形さえ変える能力を、大昔から持っていた。
 それは果たして「現実を見ていたから」実現できたのだろうか、それともフィクションやイメージを見ていたからだろうか。

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 まるで服を着替えるように、人間は己の顔を見たいように見る能力を得た。
 美容整形であろうと写真加工であろうと、それは変わらない。
 見たいイメージを、見たいままに現実世界に投影し、構築し、実存させているだけだ。


 仮象の世界は ── つまりヴァーチャルの、イメージの世界は ── その人にとって、現実以上に現実なのだ。
 つまり現実というのはその程度のもの。
 認識したい者が、認識したいように認識し、視野や肉体によって情報が限定的になり、その土壌に自由気ままなイメージが芽吹いて花開く。

 情報に、視点や視野や立場や認識が介在する限り、同じ現実が見る人次第で姿を変える。
 今に始まったことではなく、ずっと昔からそうだったものが、いよいよ人間の肉体や相貌といった「人間そのもの」を浸食し始めてようやく人間たちは気付いた。

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 ありのままの現実を受け容れられないのは、確かにある種の弱さだ。
 しかしその弱さは人間の持つ能力そのものでもある。
「空を飛びたい」と思うことと「自分の鼻筋がもっとスリムだったら」と思うこと、「ゴキブリが絶滅すればいい」と思うことと「殺処分される犬猫が減るといい」と思うこと、「邪魔な奴は死ねばいい」と思うことと「悪事を働く奴は罰されるべき」と思うことはすべてイコールである。
 それらの望みは、イメージは、何らかの形でこの世界を変えてきたし、これからも変えてゆく。
 それが人間の能力だから。

 将来は有能なエンジニアになりたい、という夢と、勇者になって人々から英雄と称えられたい、という願望との違いを僕は知らない。
 起業してお金持ちになりたい、という夢と、自分の思うとおりの骨格になりたい、という願望の違いを僕は知らない。
 呪いと願いと祈りと怒りの違いを、愛情と殺意と諦念と復讐の違いを、僕は知らない。



<すべての猫にも、美しいときとそうでないときがある>
 
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 きっと現実は駆逐されるだろう。人間の望んだものだけが現実になってゆく。
 今までだってそうだったし、これからもそう。
 人間が、知性と欲と意識を手放さない限り、不可避だ。
「現実を見なさい」とはつまり、絶滅危惧種であることが確定的であった現実に対する庇護の願いだったのだろうか。

「現実という名のこの子たちは、貴方の無思慮で無責任で自分勝手な夢想によって殺されようとしている、だから守って欲しい」ということだったのだろうか。





 
 

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[NEXUS]
~ Junction Box ~
[ Traffics ]
[Engineer]
  :青猫:赤猫:銀猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Convergence-Ecology-Life-Mechanics-Technology-
 
[Module]
  -JunctionBox-Reactor-
 
[Object]
  -Camouflage-Human-Tool-
 
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[Cat-Ego-Lies]
  :夢見の猫の額の奥に:Webストリートを見おろして:
 
 
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