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TITLE:
呪いは願いや祈りに似ている。
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~ I bless you. ~
Written by BlueCat
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221220
叔父が死んだ。
父系の兄弟姉妹の、最後の1人である。
兄弟姉妹の配偶者については存命の者もいるが、そもそも親戚づきあいをほとんどしない僕にとっては、どちらかというとどちらでもよい問題ではある。
我々の血は、少しは薄まったのだろうか。
>>>
僕の一族は謎が多い。
叔父叔母の存命中にあって、それぞれの断片的な記憶や情報を持ち寄ってなお分からないことは少なからずあったようだ。
おそらく兄弟姉妹の人数が多いために世代が異なってしまい、接点も限定的になり、結果として情報が伝達/保存されなかったのだろう。
祖父一家は東京に暮らしていた。
ために一族の多くは今も東京で暮らしており、群馬生まれ群馬育ちの僕も ── 会社経営や自営をしていた父親によるとその方が都合がよかったらしく ── 20代までは本籍が東京にあった。
昭和初期にあって珍しい、ソース(コロッケとかに垂らし掛けるアレ)の製造を家業にしていたらしく、一升瓶の消毒やラベル貼りに至るまで家内制手工業的に行っていたと聞いている。
珍しいこともあったのか分からないが、かなり人気の商品で、実際に食した人(叔父叔母たちは必然にそれを食している)の感想によれば、平成の時代でもなお「あれほど美味しいソースは今でもなかなか手に入らない」ものだったらしい。
家長を長男が代襲することを尊しとする価値観が非常に強かった時代にあって、必然に祖父は家業を長男に継がせようとしたらしいのだが長男がそれを拒否したため、次男などに継がせようともせず、レシピも設備も(現在は知らぬ者のない大手)調味料業者に、投げ売り価格で売却したらしい。
ちなみにその「調味料業者」がそのレシピによる製品を販売していないのは、おそらく大量生産に向かなかったためだろうと想像される。
その後もいろいろあったようなのだが、大戦があったため一族のほとんどは山形県に疎開した。
大戦の後、祖父は祖母と離婚して妾と共に東京に暮らす長男夫婦の家で生活し、祖母は山形の次男の家に暮らしたという ── ちなみに長男と次男の仲は非常に悪く、晩年になってもふとした切っ掛けで取っ組み合いの喧嘩を始めるほどだったという。
その後(おそらく長男と喧嘩したのだと言われているが)祖父は長男夫婦の家を出て(妾を長男夫婦の家に残して)1人で暮らし、(僕の介護対象だった叔母に看取られ)かなり孤独に死んだと伝え聞く。
その後、どういうわけか僕の介護対象だった叔母は山形に行き祖母の介護を始めるのだが、次男夫婦による祖母と叔母への待遇が相当に悪かったらしく、疎開が明けたのに何故か東京に戻らず群馬で繊維業を経営した弟(僕の父)を頼って祖母と2人で群馬にやってきた。
ために僕はある時期、祖母と叔母が家族の一員として暮らしていた記憶があるのだが、どのみち女ばかり知らない人ばかり(従業員や取引先の人間も自宅兼事務所兼工場に出入りしていた)の家だったので、さほど印象に残っていない。
両親の介護をした自負によるものか、叔母(僕の介護対象者)は、死ぬまで他人のお節介を焼くことを生き甲斐とするような人間であり、しかもそれは純粋な献身や博愛精神によるものではなく、自意識や承認欲求を満たす独善的な欲求によるものであった。
ために晩年は関係性が悪化した兄弟姉妹の仲を取り持とうとあれこれ旅行を企画したりはしたものの、当の叔母本人が誰かを敵対視するために誰かと仲良くするといった小学女児のような事ばかり(結果的に)していたため、当然に長男と次男の仲は改善されることもなく、そのうえ叔父叔母従姉妹たちからも「悪い人ではないのだけれど、まともに付き合うとロクな事がない人」として「ほどよい距離を保たれる」ようになった。
ちなみに僕が叔母の介護をする事になったのは、27歳で父親が死んだあとも程よい距離感で叔母が気にかけてくれていたことと、僕自身が親戚づきあいをまったくしていなかったため「思ったより厄介な人」という事前の情報を持たなかったことによる。
従姉妹も直系兄弟の配偶者たちも、口を揃えて「○○家(僕の一族)は凸凹な上に謎だらけだ」という。
そうした中にあって、今回死んだ最後の叔父は「温和で聡明で理知的で献身的だ」と皆に慕われていた。必然、他の兄弟姉妹はそのほとんどが「短気で浅慮なのに利口なフリをするうえ独善的だ」と言われていた。
僕の父も短気であったことは否定の余地がなく、特に会社が倒産して離婚してから独善的な部分がなくなっていったことがわずかな救いだったと思う。
そのようなわけで、僕の一族のほとんどはロクな人間がいない。
だいたいは短気で、短絡的で、独善的だ。従兄弟の中にはことさら(兄妹で相続裁判をするほど)強欲な人間もいて「相当厄介な人」として距離を置かれている。
従姉妹は幸か不幸か女性が多いのだが、メンタルを壊す人間も少なくない。
僕の姉でさえ3人中3人が、少々まともでない精神構造になっている。一番「まし」な次女でさえ、男を見る目のない環境に育ったため(両親というのは良きにつけ悪しきにつけ、子供にとって男女関係のひな形になるのだ)、DVを受けて、パニック障害に始まり双極性障害を今も抱えることになった。
長女も(詳細は記録するに憚られるのでしないが)どう考えてもまともではないし、三女は風俗嬢をしながら何度となく離婚と再婚を繰り返し(僕たちに人数不明の甥と姪を増やした挙げ句)失踪している。
妹はギリギリまともな方だけれど、未だにコンビニで買い物を1人でする事ができない。
僕に至っては文書を読めば分かるとおり、根っからの奇人だ。最近まで「自分だけは世界の誰よりまともだ」と思っていたくらい、相当な変人である。

<叔父の家の猫。初めて会ったのだが優しく大人しい>
叔父が死んだ。
父系の兄弟姉妹の、最後の1人である。
兄弟姉妹の配偶者については存命の者もいるが、そもそも親戚づきあいをほとんどしない僕にとっては、どちらかというとどちらでもよい問題ではある。
我々の血は、少しは薄まったのだろうか。
>>>
僕の一族は謎が多い。
叔父叔母の存命中にあって、それぞれの断片的な記憶や情報を持ち寄ってなお分からないことは少なからずあったようだ。
おそらく兄弟姉妹の人数が多いために世代が異なってしまい、接点も限定的になり、結果として情報が伝達/保存されなかったのだろう。
祖父一家は東京に暮らしていた。
ために一族の多くは今も東京で暮らしており、群馬生まれ群馬育ちの僕も ── 会社経営や自営をしていた父親によるとその方が都合がよかったらしく ── 20代までは本籍が東京にあった。
昭和初期にあって珍しい、ソース(コロッケとかに垂らし掛けるアレ)の製造を家業にしていたらしく、一升瓶の消毒やラベル貼りに至るまで家内制手工業的に行っていたと聞いている。
珍しいこともあったのか分からないが、かなり人気の商品で、実際に食した人(叔父叔母たちは必然にそれを食している)の感想によれば、平成の時代でもなお「あれほど美味しいソースは今でもなかなか手に入らない」ものだったらしい。
家長を長男が代襲することを尊しとする価値観が非常に強かった時代にあって、必然に祖父は家業を長男に継がせようとしたらしいのだが長男がそれを拒否したため、次男などに継がせようともせず、レシピも設備も(現在は知らぬ者のない大手)調味料業者に、投げ売り価格で売却したらしい。
ちなみにその「調味料業者」がそのレシピによる製品を販売していないのは、おそらく大量生産に向かなかったためだろうと想像される。
その後もいろいろあったようなのだが、大戦があったため一族のほとんどは山形県に疎開した。
大戦の後、祖父は祖母と離婚して妾と共に東京に暮らす長男夫婦の家で生活し、祖母は山形の次男の家に暮らしたという ── ちなみに長男と次男の仲は非常に悪く、晩年になってもふとした切っ掛けで取っ組み合いの喧嘩を始めるほどだったという。
その後(おそらく長男と喧嘩したのだと言われているが)祖父は長男夫婦の家を出て(妾を長男夫婦の家に残して)1人で暮らし、(僕の介護対象だった叔母に看取られ)かなり孤独に死んだと伝え聞く。
その後、どういうわけか僕の介護対象だった叔母は山形に行き祖母の介護を始めるのだが、次男夫婦による祖母と叔母への待遇が相当に悪かったらしく、疎開が明けたのに何故か東京に戻らず群馬で繊維業を経営した弟(僕の父)を頼って祖母と2人で群馬にやってきた。
ために僕はある時期、祖母と叔母が家族の一員として暮らしていた記憶があるのだが、どのみち女ばかり知らない人ばかり(従業員や取引先の人間も自宅兼事務所兼工場に出入りしていた)の家だったので、さほど印象に残っていない。
両親の介護をした自負によるものか、叔母(僕の介護対象者)は、死ぬまで他人のお節介を焼くことを生き甲斐とするような人間であり、しかもそれは純粋な献身や博愛精神によるものではなく、自意識や承認欲求を満たす独善的な欲求によるものであった。
ために晩年は関係性が悪化した兄弟姉妹の仲を取り持とうとあれこれ旅行を企画したりはしたものの、当の叔母本人が誰かを敵対視するために誰かと仲良くするといった小学女児のような事ばかり(結果的に)していたため、当然に長男と次男の仲は改善されることもなく、そのうえ叔父叔母従姉妹たちからも「悪い人ではないのだけれど、まともに付き合うとロクな事がない人」として「ほどよい距離を保たれる」ようになった。
ちなみに僕が叔母の介護をする事になったのは、27歳で父親が死んだあとも程よい距離感で叔母が気にかけてくれていたことと、僕自身が親戚づきあいをまったくしていなかったため「思ったより厄介な人」という事前の情報を持たなかったことによる。
従姉妹も直系兄弟の配偶者たちも、口を揃えて「○○家(僕の一族)は凸凹な上に謎だらけだ」という。
そうした中にあって、今回死んだ最後の叔父は「温和で聡明で理知的で献身的だ」と皆に慕われていた。必然、他の兄弟姉妹はそのほとんどが「短気で浅慮なのに利口なフリをするうえ独善的だ」と言われていた。
僕の父も短気であったことは否定の余地がなく、特に会社が倒産して離婚してから独善的な部分がなくなっていったことがわずかな救いだったと思う。
そのようなわけで、僕の一族のほとんどはロクな人間がいない。
だいたいは短気で、短絡的で、独善的だ。従兄弟の中にはことさら(兄妹で相続裁判をするほど)強欲な人間もいて「相当厄介な人」として距離を置かれている。
従姉妹は幸か不幸か女性が多いのだが、メンタルを壊す人間も少なくない。
僕の姉でさえ3人中3人が、少々まともでない精神構造になっている。一番「まし」な次女でさえ、男を見る目のない環境に育ったため(両親というのは良きにつけ悪しきにつけ、子供にとって男女関係のひな形になるのだ)、DVを受けて、パニック障害に始まり双極性障害を今も抱えることになった。
長女も(詳細は記録するに憚られるのでしないが)どう考えてもまともではないし、三女は風俗嬢をしながら何度となく離婚と再婚を繰り返し(僕たちに人数不明の甥と姪を増やした挙げ句)失踪している。
妹はギリギリまともな方だけれど、未だにコンビニで買い物を1人でする事ができない。
僕に至っては文書を読めば分かるとおり、根っからの奇人だ。最近まで「自分だけは世界の誰よりまともだ」と思っていたくらい、相当な変人である。

<叔父の家の猫。初めて会ったのだが優しく大人しい>
>>>
とはいえ最近では「このくらいの奇人変人は、世の中では結構ありふれている」という事実も分かってきた。
きっと兄弟姉妹が十数人いたような一族にあっては従兄弟が数十人なんて「ざら」であり(僕も20人の従姉妹がいる。死んだ者はここに含まれない)そういう一族にとって祖父母や曾祖父母の来歴なんて、さっぱり分からない事もあるだろうと思う。
あるいは身近な恋人などであっても、全部が全部は分からないくらいの方がよほども健全で理想的なのではないかと最近は思う。
僕自身は、未だに自己認識にばらつきがある。きっと理解しきれないまま死ぬだろう。
知っている人間が1人また1人と死んでゆくことは、僕にとっても、そしておそらくその人自身にとってもある種の救済だろうと僕は思っている。
僕の呪いは、ときに願いであり、あるいは祈りでもあるのだろうか。
死後の世界を信じたくないから、僕は冥福を祈らない。
死んでなお意識があるなんて考えたくもない。輪廻転生もしたくないし、永劫彷徨う意識など持ち合わせていたくない。
死んだ人間を美化することはしないようにしているが、僕は今回死んだ叔父のことを、けっこう好きだった。
特に、おそらくその優しいがゆえにこそ滅多なことではやり取りを持ちかけてこない、余計なお節介も焼かない、僕のような相手にも適切なコミュニケーションを選んでくれる、安心を与えてくれる人だった。
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[NEXUS]
~ Junction Box ~
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[Engineer]
:青猫:黒猫:銀猫:
[InterMethod]
-Algorithm-Blood-Diary-Ecology-Life-Link-Memory-
[Module]
-Condencer-Connector-Reactor-
[Object]
-Human-Memory-
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[Cat-Ego-Lies]
:ひとになったゆめをみる:
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