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// NOTE:ここでいう「キミ」とはオマエのことではないと思うから安心しろ。
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TITLE:
キミと楽しむ才能を。
SUBTITLE:
~ Enchanted device. ~
Written by BlueCat
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モデルケースがない。
何のことかというと、僕の人生のことだ。
こういうナレッジがあるよ、とか、こういう規範があるよ、とか、こんな風にするとこんな風に過ごせるよ、という知見が僕の中に存在していない。
いや、これまでだって少なからずそうだった。
一人暮らしを始めるときも、唐突に、かつ短期間にそれを決定し、実行する必要があった。
いつもどおり僕は誰にも相談せず、それらを計画し、決定した。
初期費用を無理矢理捻出し、保証人が必要だったので唐突に父親にそれを申し出て、引っ越しの準備をそそくさと始め、友人1名の手を借りて実行した。
インターネットは当時 ── 23年前なので1999年前後である ── もあったと思うが、アクセスしている人は今よりずっと少数で、携帯電話は電話としての機能以外を持たない機体がほとんどで、人間はIRLを基盤に暮らし、コミュニケーションをしていた。
もちろん(今から考えると)僕は当時から社会性および社会適応能力が低かったので、何事も自分で考えて自分で決定し、可能な限り独りで実行するという規範(経験則)に従っていた。
幸か不幸か、残念か有意義かは分からないが、僕は子供の頃からずっと、選択不能だと判断できる環境の変動 ── 両親の離婚であるとか、親の体調不良や経営していた会社の倒産であるとか、それにともなう引っ越しであるとか、学校に通学することそのものであるとか、進学先の決定であるとか ── について何らの意志や意見を持たないようにし、持たないようになっていた。
両親の離婚に限っては最初のそれであったため、只一度だけ拒否の意志を示したが、それ以降は自分に選択権などないものと思い、そのように振る舞い、そのように生きた。もちろんそれを正しく「生きている」と定義するかどうかは人によるだろう。
とにかく選択可能な範囲は非常に限られていて、何も選択しないことによって、環境に流されることが可能だったし、むしろそれが求められていると思える場面は非常に多かった。
僕が無力な子供だったからだろう。
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子供に人権はないと僕は自身に対して思っていたし、そう認識していた。
正直に言えば、今でも「子供」という存在は親に対して絶対的に権利を委譲せざるを得ないものと思っている。
文字通り、生かすも殺すも親次第というわけだ。
僕が自分の子供を持つことに忌避感を持っているのは、その認識がおかしな作用(たとえば幼児虐待など)を起こすかもしれない(可能性を否定できない)と自覚しているからである。
価値観の上書きは可能だろう(得意でもある)けれど、過去の記憶を書き換えることはおそらく不可能だ。
捏造すべき記憶を持たない以上、忘れておくより他にない。にもかかわらず、どんな拍子に元の価値観が現れるかは予測できない。
自分とは異なる肉体にパッケージされた子供という人格は、自身の持つ(あるいはかつて持っていた)それとは異なるわけで、予測も制御もできるものではない。権利を認めるというのは、予測も制御もできない独立した存在を、自分の所有物などではないと認め、尊重し、可能な限りその意向に寄り添うことだ。
しかしもし、その意向とやらが攻撃的で破滅的だったら、僕はそれに対してどのように寄り添い、何を伝え、教えることができるだろう。それを埋め合わせるだけの豊かな、あるいは優しさに満ちた情景など持っていないというのに。
(実際、自身の過去のそれに対してすら、今はまだ手を焼くことがあるのだ)
当時、ただ1人になった親が死んでしまえば自分の生きる道はおそらくないか、あるいは想像を超えて辛辣なものになるだろうとは想像した。
だから早く大人になって、お金を稼げるようになって、自立しなくては、とは思っていた。
親を殺している場合ではなかった。殺すなら自立してからである。
だから僕は親に対する殺意を持つのをやめた。現実的に不可能だと判断したのだ。
それに父上は「大人」の「男」ではあるが、僕に危害を加えたことは一度としてなかった。
例外処理を作るのは(今でも)基本的に好まないが、例外処理を必要とすることもあるのだとそのとき学んだように思う。
着る服も、文房具さえ、自分で選択する余地を当時は持たなかった。
親切心を発揮した人(たとえば叔母など)に連れられて、買い物に行ったこともあるが、結局のところ何につけ、その人の意向に沿うようなモノを選ばなければ当然に却下される。
つまり二重の意志決定によって機能するという点において、完全なる選択権が自分にあると感じたことは、一人暮らしを始めるまで一度もなかった。
僕が他人とのコミュニケーションにおいてプレゼントする行為を忌避するのは、その価値観による。
誰かに何かを強制し、あるいは選択権を奪うことをしていないかと思うと恐ろしいことだし、無益な気がするし、エゴの発露のように思えてどうしていいか分からなくなる。
貰う側であっても、何らかの枷のように感じてしまう部分があって、どうにも困る。
サプライズを受けて喜べる人の気持ちも、だからよく分からない。
眼鏡美人に愛のコクハクとかされたら、ちょっとは嬉しいのだろうか。むしろ警戒するのではないだろうか。
え、何この人ストーカーなの? 美人局なの? ちょっと待ってやめてコワい。と思うのではないか。いや、思うまい(反語?)。
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とにかくそのようなわけで、友人たちの多くが進学先を自発的に選ぶ様子を見て、何というか、とても不思議な気持ちになったものだ。
「何でこの人たちは、生き生きとして、楽しそうに、それも迷いながらも自身で決定をしているのだろうか」と。
実に僕も奨学金を使って高校に進学したわけであり、その限りにおいてはある程度自分で進学先を選択する権利を持ち、その権利を行使することは可能だったはずなのだが。
就職の際にもずいぶんと困った。
自発的意志による選択というのは、ずっとしないと、できなくなるのだ。
子供の頃の僕はそれを知らなかった。
僕は就職先を自発的に選ぶことができなかった。
だからといって、誰かが指示してくれることもなかった。当たり前か。
無職で1年ほど「のほほん」と過ごしているワタクシを見るに見かねた父上が、知り合いの会社を紹介してくれたおかげで、僕の社会人生活はスタートしたわけである。特に何の選択をするでもなく。
自分の意志で選んだ結果、それが手に入らない苦痛にばかり目が行ってしまい、それを避けるために選択することそのものを放棄したのは過ちだった(と7歳の僕に言って聞かせている)。
どんなに選択の結果が苦痛に満ちていても。
求めるものが手に入らないと諭されても。そして現実問題としてそれを手に入れることが困難だとしても。
自分の意志を手放すことだけは、してはいけなかったのだ。
その時点ですでに、僕は僕自身を手放していたのだろう。
それによって苦痛はずっと少なくなったが、何の実感も、何の喜びもない日々だった。
自分という肉体と、自分という感覚器があるだけで、自分という存在を実感したことはずいぶんとなかった。
それに慣れているから、僕は仕事でも、あるいはプライベートでも、自分というものをけっこう簡単に捨ててしまうのだ(もちろん捨てられない部分もあるが、多くの人と比較して、驚くほど譲れない部分は少ない)。
例えば環境に合わせて、僕は仕事を簡単に変えてしまった。
父上から懇願されれば、したくない仕事でもしまいにはしてしまう。
「保証のない仕事は辞めて、転職してしまえば」と言われれば「そうかもしれない」と納得してしまう。
介護が必要になればそれに合わせて転職してしまう。
僕の意志だって多少は作用していると思うが、環境に合わせている割合が大きいようにも思う。
まぁ、努力や根性の占める割合がほぼゼロだから仕方ないか。
環境が与える障害の中で、もっとも抵抗の少ない場所を行こうとする。
水が低きに流れるのと同じである。意志がなくてもそれなら容易だし、周囲の摩擦も最低限で済む。
繰り返すが、しかし意志を手放してはいけない。
環境が与える障害や摩擦に抵抗して、意志による力を利用して、逆らうべきなのだ。
思う場所を思い、イメージのとおりに自身を運ぶだけの技術と能力と知恵を発揮するべきなのだ。するべきだったのだ。
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しかしどういうわけか、僕は、摩擦抵抗の少ない道を選ぶうちに、意志のない(少なくとも熱意がまったくない、しかしそれなりに本能的に強い)願いを叶えてしまうスキルを身に付けてしまった。何を言っているのか日本語の意味が自分でも分からないのだけれど。
願いに意志はあるだろうか。
たとえば「戦争がなくなってほしい」という願いは、意志だろうか。それとも摩擦抵抗を避ける本能だろうか。
「明日、肉が食べたい」という願いは、意志だろうか。それとも摩擦の少ない場所を求める本能だろうか。
「眼鏡ガールにモテたい」という願いは、意志だろうか。それとも抵抗の少ない現実を求める本能だろうか。
「日本がもうちょっとまともな国になって、まともな国民の声が正しく表出する場であって欲しい」と願うのは、意志だろうか。それとも己の欲にとって摩擦の少ない理想を求める本能だろうか。
意志とは何だろう。摩擦抵抗を忌避する本能をそう呼ぶとして、僕は疑問を持たない。
僕にとって、僕の意志は摩擦を避ける為に働く機能だからだ。
ゆえに上記のそれは、本能でありながら意志である。
きっとカタくてアツい、んじゃないかな? リビドーだけに。
仮にそれが、逃げの姿勢だとしても、あるいは逃げだからこそ僕にとっては本能的である。
困難に立ち向かうような闘争心を、僕は持っていない。
基本的に逃げることは戦うことよりも抵抗が少ない。危険が少ない気がする。よって逃げてしまうのだ。
しかし相手の方が力も強くて足も速かったらどうしよう。勝てる要素がないかもしれない。
街を歩いていて、チンピラに絡まれて「おう、おっちゃんカネ出せや」とカツアゲに遭ったら、抵抗したり逃げたりするのが面倒で、お財布の中からお金を出して渡してしまうかもしれない。その方が抵抗が少ないからだ。あるいは勝ち目がない可能性もある。
だからそれが僕の意志でないとは言い切れない。むしろ自分の意志のような気がしないでもない。いや渡したくないけれども! 渡したくないよ! 守ろうよお財布を! でも勝ち目がなかったら仕方ないか。
摩擦を承知で、それでも毅然と立ち向かうだけの熱を持ち続けることができる目標を、あるいは場所を、僕は持っているだろうか。
ない。ないな。全然ないな。多分ないと思うんだよな。
そもそも保持している熱量が少ないのだ。
摩擦で熱が発生するのだろうか。
しかし熱を持っていなければそもそも摩擦に抵抗する気力が湧かないわけで。
意志より本能が強いのだ。その本能だって、他と比較して強いわけではない。少なくとも生存本能なんかすごく希薄だ。よく今日も生きているなと毎日感心する。
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しかしもう、ここまで特異な場所にいる自分を自覚するにつけ、どのように考え、どのように振る舞い、どのように他者と接するのがよいのか、よく分からない。
モデルケースが見つからない。
メディアなどに見られる「ちょっと変わった人」に似たようなケースがあるようにも思えるのだが、あれらの真似をしたいとはまったく思わない。
そもそもメディアなどを通してたくさんの他人と関わっているという時点で、モデルケースから外れてしまうともいえる。
僕は自身の社会性の低さに合わせて、社会との接点が少ない環境を(両手の届く範囲において)構築しているわけだから。
つまるところ仙人のような、社会と隔絶した位置を保っている人をしてモデルケースにすればよいのかと、はたと膝を打ってみたりしたわけだが、実際に膝を打って「みょーん」となって遊んだりしているわけではない。そもそも膝を打っていないのだが、それはキミぃ、言葉の綾だよ。慣用句だよ。嘘をついているわけではないのだよ。
社会から隔絶しているモデルケースを探すって、およそ不可能ですよね。
もはや宇宙を漂流している宇宙船が、同じく漂流している宇宙船を探しているのに等しい。
もう地球に帰れよ。帰っちゃえよオマエ。
あ。帰れないから漂流っていうのか。
>>>
どこで読んだか忘れたが、宇宙飛行士に必要な資質のひとつにポジティヴィティがあったように思う。
つまるところ決断力や行動力、知識などの知能的(あるいは肉体的)資質の他に、心理的資質として、物事に対して前向きに、よりよくしようという志向を持ち続ける性質があること、である。
なるほどいかに知能的資質が優れていても、心理的資質が上向きというか前向きというか善意的な指向性を持っていなければ、物事の処理が著しく制限される可能性もある。つまり本気を出さないということだ。
そういうのってどうするんだろう。
関数みたいに組み込むことができたのだろうか。できた気がするんだけれど。よく思い出せないのだ。
ちょっと困ったなぁ。
それが解決の糸口のようにも思えるのだけれど。って何に悩んでいるかを明記していないけれども。
<育児しないときはときどき膝に戻ってくるアヲ>
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[NEXUS]
~ Junction Box ~
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[Engineer]
:青猫α:青猫β:黒猫:赤猫:銀猫:
[InterMethod]
-Algorithm-Blood-Darkness-Diary-Ecology-Engineering-Link-Mechanics-Memory-Recollect-Stand_Alone-
[Module]
-Condencer-Convertor-Generator-Resistor-
[Object]
-Memory-
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[Cat-Ego-Lies]
:暗闇エトランジェ:
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