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TITLE:
人に好かれないことの優位性。
SUBTITLE:
~ Would you likes me? ~
Written by BlueCat

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220726
 
 姉上の検査入院のため、レンタカーで外出。
 入院の荷物が大量になり、ご本人様は酸素ボンベ付きのため運転席の狭い車は(僕の所有する軽自動車は2台とも該当するので)基本的に除外される。
 運転席が広いものは軽自動車であっても(僕が)嫌いなので、このあたりはどうにもならない。
 
 コペンに乗っていて思っていたのだが、キャビンが狭いため、エアコンがすぐによく効く。
 室内空間が広い軽自動車だと、そのあたりはどうしても弱いなとは思う。
 ひとつの物事をとっても様々な側面があるということをこの事象からは学びたい。
 
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【ハイブリッド車の利便とキモチワルさ】
 
 レンタカーも必然にハイブリッド車(HV)の方が多いのだが、アクセルやブレーキがぶにゅんぶにゅんしていてキモチワルイ。
 この「ぶにゅぶにゅ感」を感じない人が多いのか、みんな我慢しているのか分からないが、個人的には正直耐えがたい。
 
 まだAT車であれば、アクセルを一定量踏み込めばエンジンの回転数もおよそ一定になるのでATフルード分のギャップはあるにしても、一定の出力を保ちやすい。
 HVの場合はATの特性に加え、モータ出力の切り替えが発生するため、一定量の踏み込みであっても、低速であればあるほど加速度にばらつきが発生する。
 
 発車時はAT車同様、クリープで発進することが多いのだが、最初はモータによるものなのか加速が悪い。
 それではともう少し踏み込むと、動力がエンジンに切り替わるのか思ったより急激に加速してしまう。
 なのでそこでアクセルを戻して調整する必要が出る。
 これが発進時だけならまだ我慢もできるのだが、少し大きめの加減速をするたびに、タイムラグだけでなく出力のばらつきが目立つ。
 これが冒頭の「ぶにゅぶにゅ感」の正体である。
 
 とにかくアクセルやブレーキを踏んでも、定量的な出力の調整にならない。
 だから実際の加減速度を体感しながら、それに合わせて微調整をすることになる。
 にもかかわらず、微調整の最中に出力が変動するので、再調整をすることになる。
 これが毎回のように起こるため、非常にストレスを感じるのだ。
 
 アクセルの踏み込みによる切り替えと出力の調整なので、ソフトウェア的に対応できるものとは思うのだが、各メーカともさほど注力しているようには思えない。
 特に軽HVに顕著だが、普通車だろうがなんだろうが、HVは宿命的にぶにゅぶにゅしている。
 
 この「ぶにゅぶにゅ感」が転じて、事故の原因になっているのではないかと邪推したくなるほどである。
 
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【社会性と摩擦抵抗】
 
 先日、リフォーム会社の人と話していたときのことだが、僕は基本的に人当たりが良く、物腰も柔らかい。
 ために「誰とでも仲良くなれそうですよね」などと言われる。
 
 実際問題、文書を書かせれば思考回路のアクの強さが滲み出ているとは思うが、日常生活ではその片鱗も伺わせないくらい、ぼんやりのんびりしている。
 インタフェイスとしては、僕は他人から「おっとりしていて、少々頭の回転が低くて、世間を知らず、汚れた世界を知らない」くらいのキャラクタとして見くびられている方が得だと思っているので、そういうキャラクタを演じ、接している。根底にある思考を完全にシールしている。通常は表情にもほとんど出ないはずだ。
 ごく一部の人 ── 子供の頃からの友人や妹、弟子など ── だけが、その僅かな違和を察知して、僕の心情を正確に読み取る ── そして僕はこれを苦々しく認める。
 
 昔、ブログの知り合いとオフ会をしたとき、半分以上のケースで「え、こんなイキモノなの?」という反応をされた。
 ギャップが激しかったようである。
 そりゃそうだろう。こんなにアクの強い思考回路をそのまんま現実世界の人格として発露していたら、たいそう性格と当たりの悪い人間になってしまう。
 摩擦抵抗が強くてもそれ以上に高い出力を持つ推進装置で動いているならいいが、あいにく僕は肉体からして出力が不足しがちである。
 
 ために周囲の環境との摩擦抵抗を極力小さくすることで、小さな出力で自身を制御することにしたのだろうと想像する。
 
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【モテることと摩擦抵抗】
 
 他人にモテるにも、この「周囲との摩擦を制御する」ことは有用である。
 結局のところ人間関係において、摩擦抵抗の高い存在というのは目立つ上に、大抵は敵視されるからだ。
 だから摩擦抵抗を相手に合わせて低めに調整するだけで、たいていの人間関係は無難に切り抜けられる。
 単純に相手から敵視されないだけなので、正しく味方のフリをする機会を窺うことにはなるが、上手に敵視されずに過ごしていれば、味方になることは容易である。
 
 僕の場合はそれでも、阿呆の味方だけはできないので、多数決的に決定されている習慣や常識であるとかに迎合できず(抵抗を小さくすることに失敗し)集団から目の敵にされることはある。
 結果として、現在はおよそ集団という集団に帰属していない。
 同居の家族もいないし、会社などの経済活動も他人と関わる機会は年に数回もない。
 友人が月に1〜2回遊びに来て、姉の家に月に1度、入通院のため泊まりに行き、妹や家族が2回くらい遊びに来る程度である。
 
 人好きのすることは、悪いことではない。
 モテるときは、なべて等しく、老若男女誰にでも、というのはある種の理想だろう。
 ただし一度でもモテたこと(老若男女誰にでも)がある人なら理解できるとは思うのだが、実のところ、そんなのは迷惑千万なのである。
 
 人がましい顔をして、自分の利益しか考えず、こちらの時間や所有物や人間関係や物質的財産や権利などを奪うべく、お金の無心に来たり、借金の保証人を頼みに来たり、人のプライベートを暴いてみたり、人の過去を探り出してみたりという連中は多少なり居る。
 最初から悪人ヅラをしていてくれればこちらも警戒する余地はあるのだが、だいたいそういう人は弱いフリや、真面目で誠実なフリや、好意を持っているフリをしている。
 それらはすべて、当の本人の(他人をエサにしてでも叶えたい)欲を具現するためのインタフェイスであり、その抵抗の少なさは警戒するに値する。
 
 つまりすべての人と言わずとも、相手に大きな摩擦抵抗を感じさせないように好意的なインタフェイスを持った人間は、意図的にそういう形状をしているのである。
 何が本心で、何が計算で、何が演技であるかなんて、少々観察したくらいで分かるものではない。
 
【人間関係の摩擦抵抗】
 
 仕事でも、目的を遂行するために「ここはこうした方がいい。このほうがまともでは?」と、相手に嫌われてでも自身の思う正しさをきちんと提示できる人間の方が、僕は信頼できる。
(僕がそれをしないのは一人で完結するプロジェクトがほとんどだったのと、仮にチームであっても僕は常に少数派に回る上、説明が下手なため体力をあっという間に消耗し、理解を得られず敵対されるだけに終わることが多かったためである)
 仕事の営業で来る人間たちも、基本的に人がましい顔をしているが、もう少し人間くさい部分、陰のある部分を見せてもらえればとは思う。
 そうしたある種の獣性をみんな隠しているから、余計にアヤシイと思ってしまうのだ。
 
 恋愛でも、いつも聞き分けが良くて、何でもしてくれる都合の良い恋人よりは、いろいろ不得手があり(料理や家電の操作が得意じゃないなんて、すごく可愛らしいと僕は思うが)、デートが終わって帰るとき(翌日こちらは仕事があったりするのに)ぐずぐずと「帰りたくないよぅ」なんて泣き出して困らせてくるくらいの人の方が信頼できる。
 しかしそれを対外的に公言してしまうと、それを使って「摩擦抵抗の少ないカタチ」を作る人間がいるから、表向きは「美人しか興味がない。都合のいい女が一番いい」と言っておくのである。
 そうすれば、少なくとも大抵の人(老若男女)は警戒(場合によっては軽蔑)して距離を置いてくれる。
 
 要するに普段から当たりのよいカオをして、不特定多数にモテても(そのように振る舞っても)疲れるだけなのだ。 
 
 だったら最初から、非常識で奇人変人として正しく振る舞い、周囲から白い目で見られている方がラクなのである。
「ああ。猫氏は基本的に男が嫌いで、頑固でヘンタイで奇人で、30代以上の女性かつ美人かつ都合の良い女として振る舞える人間しか相手にしない、えらく下世話で狭量なケダモノなんだな」と思ってもらっていた方が都合がいい。
 何となれば世界中 ── そんなに接している境界面が広いと思い上がりたくないものだ ── とまで言わずとも、顔を見知っている全員から、ある程度嫌われて ── あるいはそこまで相手から意識されているなんて考えるほど過剰な自意識を持つのもおこがましいし面倒なので、せめて距離を離されて ── いた方がラクでいい。
 
 そうしていても、どうしたって勝手に魅力を感じて近づいてくる人間はいる。
 僕なんか男嫌いなのに、最近はIRLだと男にばかり好意を持たれる(そういうのは仕方ないので普段どおりに接しているが)。
 
── 大丈夫だよ、こわくないよ。
 昼頃起きて、猫と遊んで草取りして焚き火しているような、人畜無害の無職のおじさんだよ、とガールに対しても思うのだが、そういうところが警戒される所以かもしれない。
 まぁ無職を偽る(有職者のフリをする)ことはできないからな。
 
 結果的に誰にでも好かれるくらいなら、誰ひとりとして味方がいない方が気が楽ではある。
 誰からも頼りにされず、誰からもアテにされないということは、誰のエサにされることもない、ということだ。
 嫌われるほどの強い印象をもって誰かの意識に上ることさえもなく、ただただ背景のように無視されることの心地よさについて、つい想像してしまう(私がそれを願うとき、それは実現する)。
 
 もちろん。
 ときに庇護したい対象だってあるだろう。僕だってある。
 でも、それをぐっと堪えて、あえて見放す必要も時にはある。
 それ(見放さないこと)によって、自身の存在が目立つならば。
 それ(自他共に自覚し観察されてしまう関係性)が時に自身の(あるいは庇護したいと願う対象の)不利に働くこともあるし、最終的に環境を乱すこともあるから。
 
 しかし観察者の有無によって結果が左右されているかどうかなんて些細なことは、観察者にはなかなか判定できないことであるし、事前の予測もおよそ不可能だ。
 人間が生きる上での多くの選択は、そうやって不可逆的に、(一見して)予測不能に、結果を導いてゆく。
 
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【非国民が許される豊かさ】
 
 弟子から以前「憲法に記載されている国民の三大義務」について説教されたことがある。
 なんでも働かない人間は、日本国民としての義務を果たしていないらしい(勤労(労働)の義務による)。
 
 えー、だったらいいよオレ非国民でいいしそうしたら税金免除してほしいしどうせなら海外に移住するしそもそも日本国って言ったってろくに国家として機能していないじゃんかぁ、と言い返したら怒られた。
 
 しかし昨今は不純異性交遊したりした挙げ句、議員の仕事もまともにしない国賊みたいな議員さんもいらっしゃるようなので、まぁ平和で豊かな国なんだろうなぁ、とは思う。
 
 
 
 
 
 
 

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[NEXUS]
~ Junction Box ~
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[Engineer]
  :工場長:青猫α:黒猫:銀猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Diary-Ecology-Engineering-Form-Interface-Link-Mechanics-Season-Stand_Alone-Style-
 
[Module]
  -Condencer-Connector-Convertor-Generator-Reactor-
 
[Object]
  -Camouflage-Human-
 
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[Cat-Ego-Lies]
  :ひとになったゆめをみる:
 
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