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TITLE:
統べる者の責務。
SUBTITLE:
~ Any way you want it. ~
Written by BlueCat

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::そういえば、この講演会のすぐあと、ロビィで紙コップのコーヒーを飲んでいるキシマ先生を僕は見つけた。みんな誰かと話をしているのに、先生だけは独りでぽつんと立っていた。僕は、先ほどの質問で、先生がエキセントリックという単語をどういう意味で使われたのかをきいてみたかったので、そのことを質問した。
「はは、そうだね。王道を外れている、という意味だ」先生はにやりと微笑んで答えた。
「王道って、学問に王道なしの王道ですか?」
「違う、まったく反対だ。ロイヤルロードの意味じゃない。覇道(はどう)と言うべきかな。僕は、王道という言葉が好きだから、悪い意味には絶対に使わないよ。学問には王道しかない」
 
 
 

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//[Body]
220623
 
 6時頃、いつもどおりに眠くなる。起床は0930。
 最近、朝方になると仔猫たちが走り回るので、静かに眠れない。だいたいこれが3ヶ月は続く。
 
 僕はどちらかというと猫派だが、基本的に仔猫は嫌いだ。もっと正確に言えば大嫌いである。
 可愛くないかと言われればそんなことはない。あの綿毛のような体毛や、にぃにぃとか細い声も愛らしい。
 よたよたと歩く様子も、全身を転がすように走る様も、必死の威嚇さえもが微笑ましい。
 
 しかし僕は基本的に馬鹿が嫌いなので仔猫も嫌いなのだ。
 煙草の吸い方について書く予定だったが予定を変更し、猫を飼うことに対する僕なりの哲学について(以前も書いた気がするが)書いておこう。
 
>>>
 
 乳児期からおよそ1〜2年、しっかり育ててようやく人間と暮らせるくらいに賢い猫ができる。
 
 人間(主に僕)を噛んだり引っ掻いたりしたら怒らなくてはならないし、粗相をしたら叱らなくてはならない。
 テーブルやカウンターなど、人間にとっての床以外に乗ったら叩いて払いのけて怒って蹴飛ばして追い回さなくてはならないし、人間の食べ物を食べたら吐き出させ、ただでは済まないことを身をもって知らしめなくてはならない。
 またリモートワークでPCの前に居座られるなんて可愛いものばかりなら良いが、僕は家屋配線をいじったり、電動工具や先端工具、ニッパやカッタなどの刃物、重量のある道具や資材、有機溶剤や塗料、次亜塩素酸水溶液なども使うので、作業の邪魔の一切を許すこともできない。近づいたら怒って追い回す必要があるし、上記を含め、怒ったあとは(安全な、あるいは適切な状況になったら)ごろごろ言うくらいまで撫でて、安全な状況になったことを教えてやらなくてはならない。
 
 現在のアヲはテーブルにも乗らないしカーテンを登ったりもしない、PCデスクにも台所のカウンターにも乗らないし、自身がどんなに空腹であっても僕の食事に口を付けることはない ── お腹空いた〜と訴えることはあっても、外出先だとそれさえしないで待つことができる。
 僕以外の人間を威嚇したこともほとんどなく、来客があるとすすんで出迎えに行き、その人を気に入ると初対面でも肩に乗ることがある。
 危険作業については理解できるはずもないが「ダメだよ」と言うとその場所から離れてゆき、しばらく(数時間)は近づかない。
 
 人間社会に適合した賢い猫を育てるのは、本当に苦労するのだ。
「可愛い」というだけで何でも許すような飼い方は僕にはできないし、何でも許されると思っている馬鹿なイキモノは猫に限らず大嫌いだ。
 だから僕は基本的に、人間の子供も嫌いである。
 他人の子供ならどうだっていいが、自分の子供だったら神経がすり減って衰弱死する可能性さえある(ない)。
 
 なぜそんなに厳しくするのかと言われると、単純に僕がラクをしたいのと同時に、猫を嫌う人が減ってほしいからだ。
 猫(あるいは阿呆なすべてのイキモノ)に ── ときに虐待的だと言われるほど ── 厳しいため、大抵の「なんちゃって動物愛護家」どもに僕は嫌われる。それは承知している。
 
 しかし野良猫まがいの去勢/避妊もしていないような飼い猫やら地域猫がいるせいで野良猫が増えるのだ。
 そうした猫たちはゴミを漁り、人様の庭や物置を荒らし、人間からは逃げ回り、必要とあらば威嚇し攻撃してくる。
 だいたいの人間は、そうした「厳密に野良かどうか分からないイキモノ」を殺すことをしない(考えもしないのか、できない)。
 万一誰かの愛玩動物(所有物)であった場合、法的に問題になるから僕もしない。
 
 僕は猫が好きだからギリギリ、噛まれようと庭を荒らされようと飼い猫を孕まされようとそれはそれで受け容れるけれど、猫を好きでもない人が猫から被害を受ければ猫を嫌いになるだろう。社会に不要なゴキブリ同様のイキモノだと断ずるだろう。
 好きでもない人に猫を好きになってもらうには、猫の愛らしさをただ広めるのではなく、人間社会に適合した存在になれることをきちんと証明することだ。
 自分が好きだから、自分が愛しているからその対象は好かれ、愛されるべきだと世俗に押し付けるのはシンプルな暴力だ。強姦やストーカ行為と変わらない。
 
 実際「ペット同伴可能」とされている施設があっても、その多くは猫や鳥、爬虫類や昆虫を対象としていない場合も多い。
(犬だけならそう書いておいてほしい)
 たとえば僕の行く店の1つにホルモン屋なのに犬同伴可能という店があるが、未だに猫についてはいい顔をされないので連れて行っていない。
 つまりその店主にとって、猫は「犬と違って人間社会に適合しない」と思われているのだ。
 
 多くの人間は「犬は飼い主の言うことをよく聞くが、猫はそうではない」と思っているかもしれない。
 しかし犬だってアホウな育ち方をしていれば、人間社会に適合できない。
 アヲは手間と時間 ── 人はこれを愛情と呼ぶこともあるらしい ── を惜しまず掛けたので(上述のホルモン屋を除いて)いくつかの店で入店が許可されているが、だいたいの猫は野生のままを可愛がられたアホウばかりである。
 それは単純に飼い主が阿呆であるためにそうなっただけだろう。阿呆という言葉が蔑称だというなら、イキモノと暮らすことについて哲学がないと言い換えてもいい(つまり阿呆なのだが)。
「可愛いは正義」というのは、下賤な欲を哲学に見せかけた、幼稚な言い訳にしか聞こえない。
 可愛いだけですべてが許されるのは、ヴァーチャルキャラクタくらいだろう。
 現実の世界の「可愛い」は、評価や能力や資質ではあるかもしれないが、ゆえに全能ではないし、何もかもが許されるわけでもないし、まして王道でもない。
 
 ついでに話しておくと「犬は従順で猫はわがまま」という通説もまったく間違っていると僕は思っている。
 猫のコミュニケーションは犬に比べると淡泊に見えるかもしれないが、あれは相手(飼い主も含まれる)の空気を読んでいるからだ。
 賢い猫は ── 膝の上に乗ることはあれど ── PCの画面の前に居座ったりしないしない。
 あれで喜ぶ人間もたいがいだと思うが、他人の邪魔をすることで自分アピールをする奴はいわゆる空気を読まない阿呆なだけだ。人間にも居るし、基本的に嫌われているのではないか。誰だ撲を指さすのは。
 
 犬がそれをしないかといったらそんなことはない。
 家に帰るとやたら喜んで尻尾を振って飛びついてきたり、散歩やごはんとなると喜び勇んで飛び回るのは犬の方に多い気がする。
 感情表現が豊かで、さらに抑揚が激しいことは確かだが、それは社会性(つまり他者の空気を読む能力)とは関係ない。
 むしろ発露することよりも抑制することが社会性である。我々はそうやって、暗黙のうちに社会に適合している自分をアピールしているはずだ。
 
 従順な犬は、従順に育てられた賢い犬だから、餌の前でも飼い主が帰宅したときでも座って待てるし、飼い主と共に行動する程度のことで、はしゃいだりはしない。そして猫にそれができないとは、僕は思わない。
 大げさなアピールで邪魔されることを喜ぶ人間は、ちやほやされることが好きな幼児と一緒で、相手が空気を読む賢い動物だと退屈なのだろう。子供は子供同士で、ということか。
 
>>>
 
 野良猫を保護する人たちは確かに素晴らしいと思う。行政がそこに関与していることも良いことだと思う。
 しかし殺処分が必ずしも悪いことだとは、僕には思えない。
 誰にも愛されない ── 少なくとも物理的に、十分な食事と睡眠、清潔と安全を保てる環境にない ── 猫ならば、保護されただけ一層不幸ではないか。飼われて憎まれるだけ損ではないか。
 現在の社会的取り組みによって、かつて野良犬の多くが減ったように、やがて野良猫も減るだろうとは想像する。
 
 今は野良猫が多く居たり、野良猫が産まれても放置される社会ではある。
 すべてが管理されるべきとは思わないが、野生の部分と人間社会とは相容れないのだ。それがペットになりうるから。
 基本的にペットにならないイキモノ(たとえば蚊やゴキブリ)なら、シンプルに出会い頭に殺すなり、逃がすなりすればいい。
 しかしそれを飼うなら、野生の部分と人間の部分とで折り合いを付けなくてはならない。
 
 猫は可愛らしいし、仔猫はそれに数倍して可愛いかもしれない。
 しかし仔猫は、成猫に数倍して野生なのだ。社会と折り合いを付ける必要がこれからやって来るイキモノなのだ。
 だから僕は仔猫だろうと容赦なく蹴飛ばす。
 社会に折り合いを付けられず処分され、あるいは庇護から外れて猫嫌いに虐待されて死ぬくらいなら、この手で殺しておいた方がよいのではないかとさえ思う。
 
 もちろん殺す前提で飼っているわけではないが、たとえばペットの大型犬が他所様の子供に大けがをさせたり(あるいは殺したり)したとき、まさか飼い主が自害するわけにも行くまい。そのときは社会のために飼い犬を殺すしかないのだ。
 犬が人間に危害を加えることができて、猫にそれができないとは、僕には思えない。
 イキモノを自身の責任で飼うというのは、自身の責任で殺すことも考えるということだ。
 無思慮に(たとえば管理できないという理由で)捨てたり殺処分するのは問題だとは思うが、まだ殺処分する方が社会的な道義は果たしていると思える。
 よって無思慮に保護するのも考えものだ。それを殺す覚悟のない者に、それを育てる資格はないと僕は思ってしまう。
 
 自分の手で殺すことまで考えていると、仔猫はまったく可愛くない。
 多くの人は無責任だから「今が一番可愛いですね」なんて言うが、今が一番面倒くさくて、阿呆で憎らしい。
 僕は利口で空気を読んでくれて思いやりがあって、存在をアピールできるときはしてくれて、僕の我が儘にも付き合ってくれて、他の誰かに危害を加えることもなく安心して預けたり放っておけるアヲ(彼女も捨て猫である)の方が、よほども愛おしい。
 
 確かに野生のありようではないだろう。
 けれど動物園の動物だって、あるいは多くの犬だって、人間社会に適合して暮らす動物たちは皆、社会性を獲得する中で野生を捨てるのだ。
 だからこそ人間は、人間社会に適合したその動物を、死ぬまで大切にする責務を負う。
 
 野生のままであることを見た目の可愛らしさに誤魔化されて放置すれば、互いに不幸になるだけだ。
 これは動物と人間に限ったことではなく、人間と人間、つまりは男女や親子の関係であっても同様だと思う。
 可愛らしさは正義などではないし、それをして何でも許してしまう甘さや低能さは、社会にとっての害悪ですらある。
 
<でもこういうのがいいんだろう?>
 
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 10時頃からキャンピングキャビンの工事。
 電源系を見直し。
 ブレーカボックスを経由しない電源コンセントを一系統、2箇所用意し運用テスト。
 エアコンなど大きめの電力消費が発生すると、やはり開閉器がバチバチと大きな音を立てる。
 もしかして開閉器が壊れているんじゃないかとさえ考えるが、さすがに新品を使っているだろう ── キャビンに備え付けだったので自作していない ── しヒューズの代わりの役目をしている回路なのでみだりにショートさせる気にもならない。
 以前書いたとおり、消費の大きい機械は独立系統に回し、ブレーカボックスは2代目のサブバッテリィに接続することで解決した。
 
 天気が悪くて、今日はあまり充電がされなかった。
 じつは現在稼働している充電コントローラはメインバッテリィ ── 車両電気系統に直結している車体側のバッテリィ ── から引き込むための装置なのだが、今まではソーラパネルの出力が十分だと思っていたので、その処理をしていない。
 天候不良の時期や、照射角が不適合な冬に備えて、いずれ工事を必要とするだろう。
 
 12時頃から休憩。14時頃に再開。
 明日は泊まりで出かける予定なので、最後に掃除をして終了。
 
>>>
 
 午後から妹が姪を連れてやって来る。
 仔猫たちと遊んでくれるので助かる(僕はアヲが相手でもめったに遊ばない)。
 
 18時頃、いつもどおりに眠くなったので眠る。
 2230起床。
 週末は酷暑だという。
 そろそろ夏のタイムテーブル(日中、ざっくりと眠る)に移行すべきかもしれない。
 
 
 
 
 
 
 

// ----- >>* Escort Division *<< //
 
 
::「ふられた? それは違うな……。まあ、彼女にも、そのなんて言うのか、成り行き……、いや少し違うな……、しがらみ、というのか、どうも言葉が出てこないが、周りに対する義理みたいなものがあったんだな。それはそれで、しかたがないことだ。そういうものは僕にはないが、普通の人間には沢山あることは学習している。つまりは、僕が彼女に言うのが遅かった。もう、話が決まっていたようだったね。もう少し、早く言ってほしかった、てなことを言われたよ」
「え、本当ですか? それ」僕はますます可笑しくなる。「断るときは、みんな、そう言うんじゃないですか?」
「意外に低俗なことを言うな、君は……」キシマ先生は少しむっとする。「まあ、どう思うかは君の勝手だ。結果には変わりがない。しかし、僕は嘘は言わないし、彼女もそれは本心だろう。僕と彼女は出会うのが少し遅すぎたな」
 
 
 

// ----- >>* List of Cite Division *<< //
[出典]
~ List of Cite ~
文頭文末の引用は、
「キシマ先生の静かな生活 〜 The Silent World of Dr.Kishima 〜」
(著作:森 博嗣 / 発行:講談社文庫)
 によりました。
 
なお、引用文中のルビ文字は『()小括弧』にて記述しています。
 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :工場長:青猫α:青猫β:黒猫:赤猫:銀猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Blood-Diary-Ecology-Life-Love-Mechanics-Recollect-Stand_Alone-Technology-
 
[Module]
  -Condencer-Connector-Convertor-Generator-Reactor-
 
[Object]
  -Cat-Human-Tool-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :いのちあるものたち:
 
//EOF