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// NOTE:書こうとしているテーマがブレるのはいつもどおり。
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TITLE:
好きなことを、工夫しようよ。
SUBTITLE:
~ Love your life? ~
Written by BlueCat

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220120
 
 冬は、死に似ている。
 静かで、冷たい。
 
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 たまには好きなもののことについて書いてみようか。
 本当は新しく導入したコンピュータ(Mac mini)とモニタ(40インチ超)や洗濯機と冷蔵庫、それから以前導入したファンヒータがいかに素晴らしいか、そして包丁を突き刺した左手の指の傷が10日ほどで塞がりほぼ完治していることなどについても書こうと思っていたのだが、奥様(仮想)が「いつも同じようだとガールフレンドにも飽きられますよ」と断言されたので、突発的に趣向を変えることにしたわけである。
 
 僕が好きなものはコンピュータであり、本であり、お酒と煙草とカフェインである。
 TVゲームも好きだし、歌を歌うことも好きだ。
 
 どれもこれもありきたりなものだと思っているし、煙草とお酒とカフェインはWHOが順に社会から排斥したそうだと思っているので表立って「ちゅき♡」とは言わないようにしている。(ぶりっこしている40代男性を笑え、笑えよ)
 でもまぁプライベートな文書だから、そういうのもたまにはいいだろう。
 
 10代の頃、毎晩のように朝方まで日記を書いていた。
 僕が文書を書くことが好きになったのは、そのせいだ。あるいは文書を書くことはもともと好きだったのかもしれない。
 好きなものごとについて、ひたすら書くのが大好きだった。
 嫌いなものごとについて、ひたすら書くのが大好きだった。
 
 なぜといって、それは僕だけのものだからだ。
 誰かに見せる必要もないし、誰かに理解してもらう必要もない。
 ただただ自分の思いの丈を、ありのまま言葉にすることの快感を、僕は少しずつ知った。
 
 思ったことを言わない(言えない)、感じたことを言わない(言えない)というのは僕にとっては日常であり、願うこと望むことを求めない(求められない)という環境が自分にとっては標準だと認識していた。
 
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 歌に似ている。
 
 昨今、歌を歌うことを好きだと公言する人の多くは、だいたい歌唱能力が標準以上の人が多いように思える。
 しかし、音痴でも歌うことが好きな人がいたとして、それが果たして悪いことだろうか。僕はそうは思わない。
 
 歌が好きで、歌うことが好きなら、思った通りに発声を制御できなかったとしても、恥じる必要などない。
 好きであることと上手であることは、イコールである必要なんてない。
 
 だから歌うことが好きなら、歌いたくなったら歌えばいい、と僕は思う。
 
 料理を作りたいなら(調味料や材料や時間や加減が分からなくても)作ればいい。
 
 思ったことは、誰かに伝わったり理解してもらえるから思っている価値があるなどと僕は思わない。
 思ったことは、思っている自分が、きちんと思って、大事にするのがいい。
 
 感じたことは、誰かに理解されたり共感を得ないと感じる価値がないなどと、共感を得られることの方が価値が高いなどと僕は思わない。
 感じたことは、感じている自分が、きちんと感じて、それを大事にするのがいい。
 
 願ったことは。望むことは。
 恋する気持ちは。
 祈る想いは。
 
 それは空振りになったら無意味なのだろうか。
 叶わなければ、そもそも振り出しに戻って無価値か、それ以下になるのか。
 その想いには価値がなくて、それを持っていた自分は果たして蔑まされるべき、無価値な存在なのか。
 
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 といういつもの抽象的な話はさておいて(書かせろ!)まずは煙草について書いておこうかな(口調が変)。
 
 煙草というのはWHOのおかげさまをもちまして、もうすっかり下火の文化に成り下がり、あんなものを愉しむのはケダモノかジャンキィだと思われている。
 歴史については以前書いたこともある。ネイティブアメリカン? いわゆるインディアンの人たちが儀式のために使っていたものだ。
 ニコチンにはいくつかの医学的作用があるが、報酬系に対する作用によって中毒性が現れる人もいる。
(どうも一般論と抽象論に走りがちなのだが、続けてみよう)
 あいにく僕にはさほどの中毒症状が出ていないので、今日のすぐにも止めることができる。吸いたくて我慢できずイライラするという経験もない。
 
 僕はシガー(葉巻)も、煙管(キセル)も、シガレット(一般的な紙巻き煙草)も、パイプ煙草も喫む。
 昨今流行りの電子タバコ、加熱式タバコ、ヴェポライザなどは一切吸わない。
 香りも大概だし味もケミカルで酷いからだ。
 
 煙草の煙というのは基本的には甘いものである。
 シガレットも例外ではなく、僕の愛喫しているショートピースは格別に甘やかで、クッキーのような香ばしい香りがする。
 
 苦かったり辛かったりするのは、葉の保管状態や吸い方が悪いせいだ。
 もっと具体的に言うと、葉が乾燥していたり、吸い込みすぎで火種の温度が高温に過ぎたりするためである。
 一般的なシガレットのほとんどは、俗説ではあるが勝手に燃焼を続けるように燃焼剤というものが含まれている。
 勝手に燃え続けるのだから、それを吸引すれば火種により多くの酸素が供給され燃焼が促進され、温度が高くなる。
 
 すると煙草葉に含まれるタールが気化することになる。
 場合によってはこれが焦げるほどの温度にもなるだろう。
 ニコチンはタールよりも低温で気化する。
 ために低温で煙草の火種を燃焼させることができれば、タールをさほど燃やさずにニコチンと芳香成分のみを気化することができる。理論上はそういうことになる。
 
 ために煙草葉は湿度を調整する必要がある。
 原則としては70%を目標に維持するのが最適である。
 それを超えるとカビが生えることがある。
 湿度が最適な煙草葉は、湿度が高いほど燃焼温度の上昇を抑える効果がある。
 ── ちなみに僕はショートピースを(フィルタ付きならキングサイズほどであるが)およそ30分ほどもかけて喫む。というより5分ほどでは先端の10mmも燃えない。
 
 調湿のため、僕はショートピースを缶のケースに収め、加湿材と調湿剤を入れて湿度を保つようにしている。
 これまでの人生でそうまでして煙草を管理している人を見ていない。
 
 実のところシガー(葉巻)やパイプ煙草の葉は、この調湿による保管がおよそ絶対的な条件である。
 たとえば葉巻なら1本で数千円することも珍しいことではなく、そうなるとワインのように、保管中の温度や湿度を調整してコンディションを整えるのは必然のことなのだ。
 
 いずれは書くが、お酒でも同様のことが言える。
 ワインだけでなく、ビールも、日本酒も、輸送中を含めた保管温度には敏感だ。
 
 なぜそんなにこだわっているのかと言われることがあるが、特にこだわっているのではない。
(ちなみに僕は「こだわる」という単語に良い意味を感じない。辞書で調べると本来的に良い意味ではないことが理解できると思う)
 
 たとえば料理を作る。
 いやもっと簡単に、たとえば納豆を器に混ぜる。
 そこで今日はちょっと卵を加えてみようか、あるいは小口切りにしたネギでも加えようか、と思いつく。
 味噌汁でダシをいれる頃合いを考える。
 天然出汁なら最初から使うしかないが、粉末の化学調味料ダシの場合は最後に加える方がまだ美味しい。
 これらは料理をしない人からすればとんだこだわりである。
 面倒くさいし、たいして変わるものでもないと皆思っているだろう。
 
 
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 では人生ならどうなのか。
 
 ちょっと工夫して、ちょっと美味しい人生になるなら、ちょっと工夫した方が良いのではないのか。
 たかだか卵を加えるだけだ。
 たかだか粉末ダシを最初ではなく最後に加えるだけだ。
 
 ちゃんと靴を磨くとか、背筋を伸ばして歩くとか、困っている人がいたら親切にするとか、いい加減な言葉遣いをしないとか、やたらに邪推しないとか。
 そんなちょっとした工夫を大切にし、継続し、ひとつまたひとつ増やすだけで、自分の「生きている」という感覚は、味わいは、少し変わってくる。
 
 くすんでカカトがナナメになった靴を履いていれば、それはその日に見る風景に含まれる。
 つらくなって背を丸めたとき、そんな靴が目に入ったら、それだけで自殺する要素がひとつ増えることにさえなる(僕はなる)。
 取引先で叱られても、帰りに磨かれた靴を履けば(いやまだ大丈夫)と思えることだろう。
 
 買い物をして店員さんに「ありがとうございます」と「伝える」ことができれば、それができなかった日々より少し嬉しい気持ちになれる。
(言われるだけの側がいい人は仕方ないが)
 
 味噌汁の味が、いつもよりちょっと美味しい気がすれば、食事は楽しくなる。
 
 これらはこだわりだろうか。
 そう言われればそうだろう。
 けれどもないよりはあったほうが良くはないだろうか。
 
 どうでもいい感じに、雑に、テキトーに生きて死ぬのは楽だろう。
 でもちょっと工夫すれば、ちょっと気持ちよくなるのが人生だと僕は思う。
 ラクをして、雑に、しかもいきなりすごく気持ちよくなったりはしないと経験上は思う。あるいはそういう快感は、ものすごく毒性が強いとは思う。
 もちろんそれが悪いとは言わないが、中毒性とうまく付き合えるようにしたほうがいいだろう。
 
 もし自分の人生にまったくこだわっていない人がいるのだとしたら、今からでも遅くないから、何かひとつだけでも、少しの工夫で少し良くなることを探した方がいい。
 それが習慣になって積み重なると、人生が、気持ちよくなってゆくように思う。僕の経験上は、だけれど。
 
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 雑にタバコを吸う男や女を僕は知っている。
 おそらく苦くて辛い。焦げ臭い煙のニオイでそれと分かる。
 そういうタバコを、そういう吸い方で、味わうでもなく吸い込んでは吐き出している。
 単にその行為に酔っているかのように。毒されているかのように。
 
 タバコの本当の味も香りも、知らない人が多い。
 きっとその方がいいのかもしれない。
 嗜好品なのに、嗜好品として愉しめない動物の方が多いなら、そういうことになる。
 
 嘘だと思うだろう。
 
 いい煙草は、着香されていなくても、いい香りがする。
 火を着けても、いい香りがする。
 味は甘やかで、ニコチンの酔いも心地よい。
(それは神 ── The big spirit.  ── と自分を繋ぐ大切なものだったのだ)
 
 大仰な言い草だと自分でも思うが、人生も同じだ。
 
 慌てて吸い込んだところで、美味しく感じるのは最初だけで、あとは辛くて苦くて臭くなるだけだ。
 消えそうなくらいの火を保って、そのために日頃から適切な管理をして、ゆっくり味わえば、奥行きが生まれる。
 
 煙草を吸うことを、喫むことを、未経験の人に薦めるつもりはない。
 喫む人生もあるし、喫まない人生もある。
 喫む者は、喫まない人生も知っている。それだけのことだ。
 そしてどうせ喫むなら、美味しく喫んだ方がいい。
 
 どうせ生きるなら、美味くなる工夫をして「美味しかった、ごちそうさま」と感謝して死ねる手段を模索してはどうか。
 なるべく余計なことにこだわらないようにして、けれども何か、ほんの少し工夫をして。
 
 今日も煙草が美味しいです。
 ネコノカミサマ。ごちそうさま。
 
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[NEXUS]
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[ Parallel Line ]
 
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[Engineer]
  :青猫α:青猫β:黒猫:銀猫:
(βもとうとう煙草を語るようになったか:黒)
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Diary-Ecology-Engineering-Life-Style-
 
[Module]
  -Condencer-Connector-Convertor-Generator-Reactor-
 
[Object]
  -Human-Poison-
 
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[Cat-Ego-Lies]
  :夢見の猫の額の奥に:
 
 
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