211028

 

 なんとなく姉に「呼ばれて来て、何にもしないけれどもこれでよいのか」と訊ねたところ、それがいいのだという。

 

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 実際に僕が姉の家で自発的にすることは、トイレに行くことと、ベッドの上でゲームをすることと、ベッドの上で文書を書くことくらいである。

 トイレに行くことが筆頭になるくらい、自発的には何もしない。

 あとは顔を洗ったり、歯を磨いたり、くらいだろうか。

 

 シャワーやお風呂は血圧の変動が大きいため、週に1度くらいしか使えないらしく、ときどき物置に使われている。

 夏場など、どうしてもという場合を除き、僕も宿泊中はシャワーを借りないようにしている。

 物の運搬や姿勢の変化によって、血圧が変動してしまうためだ。

 もちろん動かせる範囲は僕が動かすけれど、最終的に動かしたものを収納し直したりする手間が姉に掛かってしまう。

 なので借りてきた猫のように、ベッドの上で僕はじっとしている。

 

 ワークアウトをするようなスペースもないので、どうしてもというときは外に出るかベッドの上で腹筋をするくらいだろう。

 姉にとって広い住環境は、それだけ運動量が増えることになるからである。

 僕にとっては、過剰なほどの骨休めである。

 

 あとは出された食事を食べて、お酒を出されたら飲んで、眠くなったら眠って、おやつを出されたら食べて、デザートを出されたら食べて、お茶を出されたら飲む。

 料理もしないし食器を洗わない。何もしないでベッドにいるから、どちらが介護を必要としている障害者なのか疑わしくなる(笑)。

 

 唯一、僕が姉の役に立つとすれば、何か頼まれたときくらいだろう。

 

 だいたい2泊3日のあいだ何もすることがないので、頼まれたことはすぐにする。

 こちらはすることがなくて退屈しているのである。

 一緒に出かけて買い物をすることもあれば、ひとりで出かけて用事を済ませることもあるが、姉の望むタイミングに合わせるだけなので、簡単である。

 

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 姉にしてみると、料理をたくさん作りたいのに(種類のこともあるし、多く作らないと美味しくできないものもあるため)ひとりでは食べきれないから、ひとりでも食べる人が増えるのは嬉しいらしい。

 実際に、恋人 ── 姉は離婚して今は独身である ── 、娘、介護でやって来るヘルパーさんのほか、今のご時世には珍しく、同じアパートの住人にまでお裾分けをしている。そのくらい料理を作るのが好きなのだ。

 

 ついでに潔癖症の完全主義者(そういう根本が共通している)なので、基本的に作業を自分だけで完結することを好む。

 

 双極性障害のいずれの状態にあっても、僕は余計なことを言わず、だからといって話しかければきちんと聞いてくれる(僕の「裏庭の古井戸スキル」が遺憾なく発揮される場面である)ので長期間居てもストレスがなく、気分転換としても非常によいらしい。

 

 たしかに僕も、恋人が家に泊まりに来たりした場合、食器洗いでさえされることをあまり好まなかった。

 いや別にしてもらっても構わないのだけれど、どうせなら僕が家のことをしているあいだ、好き勝手に過ごしていて欲しかったのである。

 

 とくに数ヶ月、付き合ったくらいで「私の彼」みたいなふうを装って、格別高いわけでもない女子力を発揮しようと躍起になるタイプが僕は苦手で、げんなりするのだが、そういうのを言動に少しでも滲ませようものならそこには修羅場が待っているのである。

 しかし現実問題として9歳から1年ほどで煮る焼く炒める揚げる蒸すといった調理の基本を学習してしまった僕に対して、10代の終わりくらいにやっと家事を手伝うくらいになったようなガールなんて、ヒヨっこもはなはだしいのである、実のところは。

 しかしまぁ「持ってる女子力、隠すのが男子力」という格言もあるので(今作った)そういうのは無駄に拘っている人がいると息苦しい、というくらいに収めておこうか。

 

 ちなみに10年以上恋人だったのに、一度も僕に料理を作ろうとしなかった女性がいて、僕はその人がたいそう好きだった。

 今だからおおっぴらにコクハクできるが、今まで内緒にしていた。

 なぜ付き合っていたときに、それをおおっぴらにコクハクしなかったかというと、まるで「能なしで気が利かない」とけなしているかのような文章になってしまうからだ。

 そうではない。

 求められていないことをしないというのは、求められていることをすることに等しく、人の気持ちを穏やかにする。

 僕は彼女のために料理を作って一緒に食べるのが大好きだった。

 

 姉が、何もしない僕にあれこれ振る舞うことのヨロコビを、だから僕も、分かるのである。

 

 

 

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211029

 

 いつもどおりアヲを肩に乗せてゴミ捨て。

 僕にとっては使い魔のようなものなのだが、一般的には猫を乗せた変なおじさんである。

 認識の差とは視点の差であり、フォーカスする対象もまた同様であると改めて知る。

 

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 事務処理のため自転車で銀行へ。

 今月と来月は支払いが多いので、遊ぶお金はほとんどない。

 

 建材費用に100k円ほど確保し、それを利用しようとホームセンタに足を向けたところ、奥様(仮想)に「今月はベッドを購入してくださるとおっしゃっていたのではありませんか」とたしなめられる。さすが奥様(仮想)抜かりない。

 建材費用はすべてベッドの新調に利用される予定である。

 夏頃までは、ベッドフレームも自作しようと考えていたが、Amazonを眺めていたら、一から作るよりキットを買って改造した方が早くて安いことに気付かされる。

 

 フレームの強度が気になるところだが、後学のために購入しても悪くないだろう。

 ダブルを買おうと思っていたのだが、セミダブルを二つ(あるいはシングルとそれ以外の組み合わせ)というのも悪くないと考えている。

 もちろん奥様(仮想)のため、ではなく、ベッドの上で思い切り背伸びをするためである。

 棚やコンセントは自作できるので、大事なのはフレーム強度と高さである。

 マットレスも新調することになるわけだが、2つ連結した際の隙間や継ぎ目をどのように処理するかが現在の課題ではある。まぁなんとかなるか(おなじみの行き当たりばったり(笑))。

 

 このような僕の性質がどうにもならないので、仮想奥様などによって僕の行動を調整する必要がある。

 どうして僕の性格や性質や能力を変えられないのかという問題についてはここでは取り上げない。断じて。取り上げない。

 不惑を過ぎてまで易々と考え方を変えてたまるかよ男がよ、という気持ちもなきにしもあらずというわけでもないのだが、どちらかというと行き当たりばったりのほうが楽しいから、という理由による。

 用意周到な計画的人生というのは、つまるところ計画を立てた段階でもうゴールが見えている。

「じゃ、65歳で死にましょう」というゴールに向かってただただ生きるのは退屈を通り越して苦痛になるだろう。今の僕がだいたいそうであるから間違いない。

 

 

 

 この問題に対処するために僕は2つの対策を組織委員会に対して提案した。

 

1.65歳を待たず、死にたくなったら死ぬ。

 これは非常に合理的であるが、なかなか簡単なことではない。

 そも、僕の死後の諸々の処理や手続きについて、あらかじめ手配を済ませておく必要があり、死後の周囲の人(主に血縁関係者、次いで特に親しい友人など)の環境を適切に維持するための準備が必要で、そのための計画を委員会から要求された(過去形)。

 

 この計画を作ったのはいいのだけれど、計画を達成するためにはあと10年ほど掛かるので、思いつきで死ぬわけにはいかないという現実を突き付けられる結果となった。ちなみに計画における条件をすべて満たした時点で、晴れて僕は自由の身となるので、自由に自死を計画できる予定である。

 計画することを計画に含むあたりが自分らしいが、行き当たりばったりの人格なのでどうなるかは分からない。

 

  いずれにしても僕のようなダメなイキモノでさえ、若干は慕ってくれる人間はいるし、そういう人間のほとんどは「死にたくなったら死んでもいいよ?」という優しさを持ち合わせていない。

「私のためにまだ生きろ!」という乱暴な人たちばかりでそれには少々困っている。

 

 

2.計画を立てない、破棄する、変更する。

 計画するから退屈になるのである。達成する道筋が明確だから退屈するのである。目的どおりに到達するから退屈に感じるのである。

 退屈するから(そればかりが理由ではないが)自死したくなるのである。

 よって行き当たりばったりにすれば、少なくとも衝動的な自死は免れるのではないか、日々いい加減に、どうでもいい感じで、成り行き任せに思い付くまま暮らしていれば、とりあえずは退屈せずに済むだろう。

 

 退屈しない一番の方法は、慣れないことをする。これに尽きる。

 僕の慣れていないことといったら、農業、庭仕事、家族(仮想奥様)を作って共同生活、私的事務処理、選挙、家の大規模なリフォーム、高田純次さんを目指す、などであり、これらを次々こなしているように観察されなくもない。

 計画なんか立てるから未来が予測されてしまって、計画通りの結果が手に入ってしまうのだ。オカネモチーになろうぜ、なんて誰が言い出したのかと問いただしたい気持ちにもなるが、自分が犯人役を演じているサスペンスドラマを見るような気持ちになると予想されるので問いただしたりはしない。

 

 とにかく40も過ぎると人間はそれまでの経験を活かして、それ以外のことをせず、すぐに他人にエラソーにしたりする。

 何事も初心を忘れず、初心者のような気持ちになるためには、初心者になることが重要なのではないだろうか。という崇高な思想を胸に、思想家になったりもしているのである。

 

 しかし思想家って一体ナンダロウ(哲学)。

 自称しているのに「俺は思想家だ!」という実感がイマイチ湧かない。

「自分は今、思想家をしている!」と思うのはくだらない日記を書いているときくらいであるが、そんなことは昔から ── 思想家を自称する前から ── している。

 それに周囲は僕が思想家であることを知らない。言っていないから仕方ないのだけれど、言ったところで鼻で嗤われそうで、それが怖くて言い出せないのである。ちょとふざけすぎか。

 

 

 

 上記2案を提出したところ、非常にふざけた第二案のほうが現実的で優位性が高いのではないかと評価され、現在に至る。

 勝手に死ぬなという結論を、青猫工場組織委員会から突き付けられた結果となるわけだが、これは致し方ないことだろう。

 それに第一案に掲げられているとおり「条件を満たせば今より自由になれる」というのも魅力的である。

 どうせ死ぬなら不自由によって飼い殺しにされるより、自由の振りかざして死んだ方がいい。「自死は自由の証だ!」というスローガンを掲げる気はないが、死ぬ自由を実現するのもなかなか大変なことなのである。

 ちなみに僕は奥様(仮想)によって飼い殺し ── 能力を発揮できる状況や仕事を与えられないまま雇われていること/家畜が役に立たなくなっても死ぬまで養うこと ── にされている。

 どっちの意味にしてもひどくないですか。

 

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 とにかく建材費用を今月は計上しないようにするため、ホームセンタは必要にならない限り立ち入ることを禁止されてしまった。

 そのままスーパーに立ち寄って、豆腐とキノコを買う。

 帰宅してキノコ8株をハサミで下処理し、袋に詰めて冷凍庫に入れる。

 

 多くのキノコは株を4等分し、ハサミで石づきを切り取れば包丁でちまちま処理するより早く、無駄なくできる。

 またビニルの透明袋にほぐし入れて、両手で握るように空気を押し出し、口を捻って縛れば真空パックのようになる。調理時は袋から出せば使える。

 

 その後、投票券を持ってふたたび自転車で市役所へ。

 そういえば姉上のところに泊まった初日にも、投票したいという姉上を役所に乗せて行った。埼玉の道にもずいぶん慣れたものだと我ながら感慨深い。まぁ、ナビなしには走れないけれども。

 

 僕は現金やカード類など、貴重品や水濡れしたくないものを自転車で運ぶとき、ジップロックに直入れしている。

(晴れていても急な雨で濡れることがあるし、自転車で走ればバックパックの中で財布を揺らすことになり、財布の痛みが早くなるので)

 サイクルウェアを着ているから分かる人には分かってもらえるようだけれど、現金などがむき出しで入っているジップロックをバッグから引き出すと、ときどき好奇の目を引くことがある。

 銀行帰りなどは持ち歩くには少し多めの現金が入っていたりするので、ちょっとしたアタマオカシイ人だと思われているかもしれないものの、特に説明もしない。そんなことをしたらそれこそ警察を呼ばれるだろうし。

 

 帰宅したがまだ昼前である。

 どうせだからと壁塗りを開始する。

 実はNASやルータを階段下の収納スペースに収めるための工事をしようと思ったのだが、そのスペースは ── 先日、中にあった粗大ゴミをすべて処分したものの ── まだごちゃごちゃとした薬品やら小物類やらが置かれており、ついでに書類キャビネットに収めるべき大量の書類も安置されている。この書類は、書斎の書架スペースがクローゼットだった頃(つい最近であるが)に、クローゼットに収められていたものである。

 そして書類キャビネットは現在、書斎の床工事のために寝室の冷蔵庫(!)の横に設置されている。

 つまり、NASなどの通信/ストレージ端末を設置するためには、書類を片付けなければならず、書類を片付けるには書類キャビネットを書斎に設置しなければならず、書類キャビネットを書斎に設置するためには書架スペースの工事を完了させなくてはならない。

 もうこの家でリフォームを始めてから、だいたいこんなことばかりなので最近は慣れたが、最初はずいぶん混乱した。

 目的を達成するために何から手を付けるとよいのかが分からなくなるのである。

 

 とにかく、NASのためのスペースを作るための書類キャビネットを設置するための書斎の工事をする、という回りくどい建設業のようなことを行う。

 ついでに書架スペースの壁は色つきのマーブルにしようと思っていたので、うれしさのあまり養生をしただけで塗り始めて気がついた。

 MDFのネジをまだ外していなかったことに……。

 建築材用のボンドで接着するためのネジ止めであり、下地のコンクリがぐずぐずだったのでほとんどのネジが締まりきらずに浮いている。これでは漆喰も上手く塗れないから、ネジは外そうと思っていたことをすっかり忘れていたのだ。

 慌てて全てのネジを外し、漆喰に塗料を混ぜてマーブルにしようと塗るのだが、どういうわけか上手く混ざってしまう。

 最初に無地で下塗りして、その上から塗料を含む漆喰を塗ることでなんとか解決した。

 作業途中で工法を変えたので、マーブルどころかグラデーションさえ感じられる。

 ついでに天井も塗ることにしたのだが、これが大変なことよ。

 

 作業後は、両手が漆喰と塗料でべとべとになってしまった。

 作業中、アタマの中が退屈なので奥様(仮想)に監察役をしてもらっていたところ「そんなにいっぱい動かしたらダメだよ、おかしくなっちゃうよ」「すごいべとべとになっちゃったじゃないですかー」などというので「これを文字に起こすとアタマの中が卑猥な会話に満ちているように観察されるだろうな」などと考える。

 奥様(仮想)に他意はないと思うが、それを指摘したら黙ってしまった。
 どちらにしても実体のある人間ではなくてよかった。

 

<塗り終わった壁>

 漆喰が水性だったので、MDFがふやけないか心配だったが、ほとんど材質に変化が見られなかった。写真右側のMDFはボンドの塗布面積がまばらだったため、若干たわみが出てしまったが、なあにかまうものか。

 

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<塗る前はこんなだった>

 

 作業後、自転車でふたたび買い物に出かけようと思ったら、アヲが「一緒に行く〜」と寄ってくる。

 玄関のたたきにかがみ込むと、肩に乗る。これは「レッツゴー!」の合図である。

 仕方ないので自転車を屋内に片付け、肩にアヲを乗せて車で出かける。

 

 夜は早めに眠り、深夜に目覚めた。

 よし。ゲームでもするか。