1211023
未明に就寝。
体調は、絶好調ではないが、不調でもない。いかんせん寒いので扱いに困る。
こういうときに油断をすると風邪を引く。
だからといって大人しくしすぎると、体力と気力が落ちる。
毎日すこしずつ、何かをすることができればいいのだけれど、1時間何かをしていると、ずっとそれをしていたくなることが多い。いわゆる行動における慣性の法則である。
最初はあまりしたくないのに、ひとたび始めると、楽しくなってしまって今度はやめどきが分からなくなる。何一つ計画的に行動できたためしがない気がしないでもない。
8時に来客の約束をしていたことを忘れ、インタフォンで目覚める。恥ずべき事態である。
慌てて目覚めて作務衣を着て、玄関へ。
寝る前に確認しなかったスケジュールはこのようにして忘れ去られる。
外に出て作業をしようかしばらく考えるが、寒いし土曜なのだからのんびり過ごそうと考える。完全に慣性の法則に支配されている気がする。
要するにやる気が出ない。やる気というのは出したり引っ込めたりするものでも、できるものでもないとは思うが、とにかくやる気が出ないのである。寒いし。どことなく気力も体力も絶好調とは言い難い。
しかしそんなことを言っていたら、絶好調の時なんて、月に数回も訪れない気もする。単純な怠け癖ではないのか、とも思うが分からない。好調なときは、目覚めてすぐに次の作業を開始したいと思うのだ。たしかそうだったはず。
理由の分からないやる気のなさは、体調由来なのか、それとも季節由来なのか、昨日気付いたセロトニン不足のせいなのか、よく分からない。
こういう気質をして、姉にして僕を「双極性障害だよ」と言わしめるのであろう。
気力というのが、そもそもよく分からない。
たしかに気分が乗るときもある。目覚めた瞬間から、よーしやるぞぅ! という気分のときのことである。
しかしそういうのは、いつまでも続くようにそのときは思うのだけれど、思い返すと2週間も続かない。1週間続けばいいのではないのか。
待て待て。
ワクチン接種以降と以前の行動を考えると、まずギターを弾いていない。
朝方、軽いワークアウトをしたら急激な眠気に襲われ、倒れるように眠る。
211024
世間的に日曜ということなので、今日は何もしないことにしようと決める。
211025
未明に眠り9時頃、姉の電話で目覚める。
月曜だけれど雨になるということなので、今日は何もしないことにしようと決める。
しかし朝から晴れ。こころなしか暖かい気もする。おかしい。
庭作業をするかしばし迷うが、目覚めたときから(正確には昨晩から)お腹を下しているので、止めておこうと決める。
悪いモノを食べたのか、胃腸虚弱を発動したのかは不明。お腹が痛いこともなく、ただただ下しているだけである。
午後からお昼寝。やはり疲れているのかもしれない。何もしていないのに?
そう、何もしていないからこそ、である。
寝ている最中、姉からの電話で目覚めるが、受電せず眠り続ける。
夕刻、妹からの電話で目覚める。
メールに返事がなかったので、何か事故でもあったのかと心配したらしい(確認したら確かに受信していた)。
その後、姉に電話。
僕の姉妹はどのみちたいした用でもないのに僕に連絡をする傾向が強い。まぁ、僕が暇人だとバレているのだ。もっと忙しい人のフリをしようと思った。
211026
燃えるゴミ出しの日、を無視して昼頃まで眠る。
本来ならきちんとゴミ出しをするのだが、ゴミの量がさほどでもなかったことと、雨の予報だったのでやる気が出なかったのが理由か。
昼過ぎにシャワーを浴びて、午後から姉上の家に出掛ける。
211027
姉上の家にいるときの僕は、正直何もしない。
姉は身体能力の発揮にかなりの制限を持つ病気と障害があるのだが、だからといって替わりに何かをしようにも家の勝手も分からないので、頼まれないことは何もしていないことにしている。恐らくだけれど、無闇に手伝うと言われても面倒に感じるような気がする。
僕がそうだから。なのだけれど。
気質に似ている部分が多いから勝手にそう思っているだけで、実のところ「手伝おうか?」と訊ねるくらいしてもいいんじゃないか、と当の姉は思っているのかもしれない。まぁ、姉の家は全体に狭いので、キッチンにひとり立つのがやっとなので、物理でも無闇に手伝わない方がよいものと思われる。
【1027までのまとめ】
歌を歌わないと、気分が鬱屈しやすい傾向は以前から分かっている。
しかし自然に歌っているので、歌わないことを不自然とも思わない。
体調の悪いときはギターを持つのも苦痛だし、いい音も出ない。声も出ないからどうにもならない。
煙草も同様で、吸うのは苦痛だし、味も香りも最悪である。
行動によって気分が変わるのは事実だが、その行動を支えているのはいわゆる「健康」である。
もちろんただ健康なだけを目指す「健康至上主義(最近あまり見かけなくなりましたが)」の人たちを観察する限り、「健康」だけを目指して手に入れても、それだけが目的になっている限り「健康な割に不健全」なありようを体現するよりない。
もともと僕は身体が弱かったから余計なのかもしれないが、成長期の間も心身は安定しなかったし、30代を過ぎれば徐々にそれらの機能は衰え続けた。
本当に意味もなく「調子がいいな」と思えたのは今までの人生で3年くらいしかなかっただろう。
しかし衰えることが特に悪いこととも思わない。
死ぬときにはすべて止むことでもある。
呼吸をしなくなれば、声も出ないし煙を味わうこともできない。
おそらく会社員を続けていた方が僕の場合は健康的だっただろう。
行動を最適化するため夜は早めに寝るだろうし、適度な運動も今以上に心掛けていただろう、他者との摩擦をできるだけ小さくするため、価値観を修正する努力を、努力とも思わずし続けたはずだ。
(摩擦抵抗を低減させることは、僕には大きな意味を持つので)
しかし抵抗や摩擦というのは、運動、つまりは推進することによって発生するものだともいえる。何もせず、停止しているものには抵抗も摩擦も発生しない(摩擦があるから停止しているのかもしれないが)。
生きているというのは、抵抗や摩擦を必然に受けながら、今いる場所から次の場所へと運動する現象のことだろう。
そこには必ず環境があり、他者が存在する。
それらこそが抵抗や摩擦になるわけだけれど、それらが存在しない場所に自己の存在はない。
おそらく自身も環境であり他者なのだ。
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明日には家に戻る。
途切れることなくしたいことはある。
しなくてはならないことも、まだある。
直近では経費の精算がいくつかあるし、期日前投票にも行きたい。
他にも花壇の木の根の除去、松の木の手入れ、庭の草取り(まだ残っている)、火鉢の準備、etc,etc……
気力と体力を整えて、万全の体制を待たずに挑みたいところである。
投票といえば、他人に投票に行くことを強要する人があまり好きではない。
ネット上でもときどき「みなさん、投票に行きましょう」と言う人がいるが、そんなことはわざわざ誰かに呼びかけるものではないと僕は思っている。
語感は強いものではないし、何かを強要しているふうでもないが、明らかに催促している、要求している。つまりは強要しているのである。
これはたとえば学校から帰宅した子供に対して親が「今日も宿題があるんじゃないの? すぐに勉強しなさい!」と強い語調で言うことと「宿題は今日は出ましたか? あるならしなくてはなりませんね」と柔らかい口調で言う程度の差でしかない。
まぁ、僕は親からそんなことを言われたことが一度もないので分からないのだが、言われたら絶対にしなかったろうと思う。言われなかったのでやはりしなかったのだが。
オンラインゲーム(EVE Online)をしていて驚いたことがある。
(成人のプレイヤが多いゲームであることもあり)多くの人が「今日は選挙に行ってくる」といってログオフする場面を見ることが多かった。
コミュニティの中で「(誰かに)行きましょう」ではなくて「(私は)行ってくる」ということでも十分に姿勢を示すことはできる。
何故わざわざ不特定多数に向かって「行きましょう」などと呼びかけるのか。
その潜在的な支配欲を僕は嫌悪する(天性のアナーキストでありラケンローラなので)。
数日前、弟子からの電話で「猫さん、投票に行ってくださいよ」と言われたため文句を垂れた。
「お前に言われたから俺は投票には行かない。投票にだけは絶対に行かないからな!」とまで言った(言いながら2人で大笑いしてしまったが)。
実に大人げないことである。
行きたくない人、行く意味を感じない人は行かなくていいと思う。
投票しなくても、政権に文句がある人はしゃあしゃあと文句を言っていいと思う。
したいことをする中で、自分の影響力を知るといいと思う。
つまるところ投票をするというのは、労少なくして最大限の効果を発揮するのではないだろうか。まぁ、ろくに投票に出掛けない人間がこれを書いているのだが。
しかしクーデターを起こしたり、革命を起こしたり、反体制組織を構築するよりは簡単であるし合法的でもあるし人道的でもある。ついでに投票用紙が勝手に送られてくる。
つまり革命を起こせる人は起こせばいいのだ、と弟子に話していたら「中年革命家として Youtube でデビューしてはいかがですか」と言われて絶句した秋。
残念ながら僕は革命家には向かない。それも明らかに。