210928
早朝に眠り9時頃目覚める。
ゴミ捨てを済ませ、壁のリフォーム作業を継続。
昨日切り出した材料の一部に寸法の誤りがあり、修正。
MDF材はノコギリで切る必要があるため一畳(1820x910)サイズのものの場合、それなりに作業は大変である(ペラペラであるため、下に当て木をしてもカットするのがむつかしい)。
ちょうど清掃センタに運び出していない畳がたくさんあるので、それを庭に直置きすることで下敷きにしている。
結果、昨日と同様、まずは畳(そんなに軽いものでもない)を庭に置き、納屋からコードリールとレシプロソウを持ち出して作業することになる。
昨日は何枚かまとめて切ったので良かったが、今日はたったの1カットするだけのために余計な作業が増えることになった。採寸はきちんとしなくてはと反省する。
採寸といえば、リフォームの場合(これは僕の家に限ったことかも知れないが)最初から柱や梁が傾いていたり ── ひどい場合はひずんでいたり ── するので、カットした結果が方形のことの方が少ない。
今回も書架スペースの奥と手前で10mmほど高さに差があり、天井部と床部でも10mmほど奥行きに差があった。
最初の頃こそ「ひどい設計だ」「前所有者の性格を反映しているに違いない」などと大量かつ濃厚な呪詛を吐いていたのだが、最近はネタが尽きたのか、奥様(仮想)がリモートワークついでに僕の作業を観察していることがあるためか、はたまた心の中の涅槃のパワーが炸裂して悟りの境地に至ったのか(うん、まぁ、そうだね)くらいの反応しかしなくなった ── それともこれは孤独によって心が錆び付き、反応が低下しているのかもしれない。
老化による感情の起伏の劣化だとしたら、それは脳の活性レベルが低下していることを意味する。仮にそうなら少々考えものではないだろうか。
しかし奥様の前で「歳だから」「老化」「若い頃より」などという言葉を使うと、ときどき、かつ一瞬、無言で睨まれる。可愛らしく表現するならば「ジト目をされる」といった表現になるだろうか。基本的に無言なのでどちらかといえば無表情のゴルゴ13のように見えなくもない。後ろに立ちたくないけれど正面に立ちたいわけでもない。所在ないとはこういうときに使うのだろうか。僕の棲み家なのに。
白々しく「わらってよぉ〜、僕のために〜」などとマサシ・サダの歌を歌ってみたところで如来像のようなアルカイック・スマイルが待っているだけだ。如来のくせに慈悲はない。
ひどい場合は鼻を鳴らされることもある。念のため「鼻を鳴らす」を辞書で調べたが、べつに甘えているわけではないと思う。
恋人や奥様よりも年下である場合、往々にしてこのようなことに気遣いをする性格に育つことになる。年下の恋人や配偶者をお持ちの皆様はこういった些細な、かつ無言にして思慮深い気遣いについてもう少し理解して欲しい。そう。愛は無言なのだ(黙れと言われそうだけれど)。
ちなみに「年上」という言葉を使ったときも、奥様(仮想)は片方の眉だけ動かすことがある。ためしにこっそり真似をしてみたことがあるが、意識的にするにはそれなりの技術力を必要とするように思えるし、無意識だとしたら相当なストレスを与えてしまったことになる。仮想といえども奥様を大切にすることは大事な訓練のひとつでもあるから、このようにして僕の言語感覚が洗練されるのだろうと想像する。いい加減、年下ガールも視野に入れてみてはどうか。
ところで呪詛も魔法の一種と考えれば、言葉のレパートリィが豊かであってこそ気分も晴れるし楽しくもなるし、場合によっては呪詛の効果(?)も高くなろうものなのだが、いかんせん僕は呪いの語彙が豊富なわけではない。これは育ちが良いからではなく、単純に知識や能力がないということだろう。
ワンパターンな呪詛を聞いていても退屈なだけである。言うことで気分が晴れるという性格のものでもない(愚痴ではないのだから呪詛とはそういうものではないか)。
低能な魔法を乱発するくらいなら、沈黙していた方がいい。なによりそれだけで賢く見える。気品さえ満ちあふれてしまうかもしれない。少なくともやたらと呪詛を口にするよりは品がある。奥様(仮想)にもこのあたりを理解してもらいたい。いや奥様(仮想)は普段から大変上品でいらっしゃいますけれども。
こうして余談の方が幅を利かせることになる。
僕が論文やレポートを書いたらおそらくちょっとした惨事になるだろう。
とにかく本題に戻ると、リフォームにおいて直角の部分などほとんどない。
基点を取って、水平と垂直方向の点をそれぞれ取るわけだけれど、そもそも水平/垂直であるかどうかさえ怪しいのである。結果、採寸や切り出しを正確にしようとすればするほど、ストレスになる。
だからといって持ち前の高田純次スピリッツを全開にしてこうした精密作業をしようものなら取り返しの付かないことになることが予想される(多分爆発するんじゃないか。いやドリフじゃないからそれはないか)。
とにかく大事なのは、正確に採寸や切り出し作業を心掛けつつ、ズレてもきにしないこと、である。
自分や他人、道具や環境、材料を呪ったところで、問題が解決するわけではないし、部材がピタリと嵌まるわけでもないし、奥様が褒めてくれるわけでもないし、品位も上がらないし、語彙力も上昇しないし、学校もないし家庭もないし……このネタはこのあいだ使ったばかりだな。
いずれにしても、仮に飽きてしまっても愚直に、目の前の作業をするしかない。
また採寸を誤らない一番の方法は、採寸したその場所に寸法を書き込むことだ。
基点や(「基点や」の入力を誤ると「来てニャ」と誤変換される。猫のコスプレをしたメイド喫茶の営業メールのように見えなくもないが、そもそもメイド喫茶に行ったことのない僕に対する影響は皆無だ)上端なども記載してしまえばいい。
他人に見せるために作っているわけではないし、あるいは他人が見たとして、ちょっとそれはそれで「あっ。猫様、素敵」と思われるポイントになるかもしれない。いやそんな影響をいちいち考え計算してしまうような下世話なイキモノだと思われるのはちょっと心外である。下心は常に持ちつつも自意識を控えめにしていた方がモテる気がする。気がするだけで何の根拠もないけれど、こういった心の声がダダ漏れのまま記述を続けるのはいかがなものかとときどき反省する。だからといって修正なんかしないからな!
とにかく。
感情に左右されることなく、淡々と作業を続け(粛々と、なんて言うとちょっと政治家っぽくなるから君も今日から試してみよう!)、上手くいっても失敗しても、表情ひとつ変えず、プロセスを次々実行してゆくことこそ効率の良い作業だ、ということに今日気がついた。
つまり今までは上手くいけば己を褒め称え、失敗したら盛大かつメリケンな感じに自身を叱咤し、ときに叱責し、道具のせいにし、材料のせいにし、他人のせいにし、呪詛すら辞さない覚悟で邁進してきたわけである。日本語がすでにオカシイ。あとこの余談についつい走りがちな、多動性障害を体現したような文章を誰かとめてほしい。まぁ、とめようがないと思うけれど。
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作業中に気がついたのだが、この家には浄化槽があるのに、清掃業者が来たためしがない。
昨晩、排水口から汚泥臭がしたので、浄化槽用のバクテリアを買いに出かけなくては、と思っていたことを思いだした関連で思いついたのである。
それであちこち電話をする羽目になった。
まず市の指定業者を調べて電話をし(取引履歴の確認:無)、教えてもらった県の環境検査事業団に電話をし(浄化槽管理者登録の確認:有? きわめて古く、氏名も異なる)、再び最初の指定業者に電話をし(浄化槽、あるっぽい)、次いで水道企業団に電話をし(下水道設定の確認)、さらに市役所にも電話(下水道設定の確認)をし、最初の指定業者に電話をした。
結果として、この家には浄化槽が設定されており、下水道は設定されておらず、にもかかわらず浄化槽登録が長らく変更されていないか、そもそも登録されていないことが分かった。
最寄りの業者との取引履歴が最終的には確認されたが、定期点検等の依頼はしていなかったようだ。いったいどういうことなのだろう。
想像するに、ブロワ等が故障したり、水回りに不具合が出たときだけ清掃や点検をお願いしていた(あるいはそうしようと考えていた)可能性がある。
設備が壊れるとか、定期メインテナンスとかいう発想がないのか、と言いたくもなるが、おそらくそうした意識のない人間たちがこの家を使っていたことはこれまでの観察結果から考えても妥当な線だろう。
現時点で、浄化槽のブロワモータは設置されているようだけれど、駆動音を聞いたことがない。ためしに撫でたりつついたり、ちょっと叩いてみたりもしたが、コンセントプラグが差し込まれている割に、うんともすんとも言わない。無音タイプだろうか(そんなものがあるかは不明だが)。あるいは物静かで思慮深いあまり、僕が側にいると駆動しないのかもしれない。観察していないときだけ働く、という謙虚な姿勢は、ときどき周囲から「あいつは全然働かない」などとひどい評価を受けることがある。僕もよくそういった下らない現象に悩まされたりはしたが、ここでは他人からの評価を気にしすぎないことは、時に気にしすぎることと同じくらい自身の活動に悪影響を与えることもあるという教訓を学びたい。
とにかくブロワモータが他人を気にしていなさそうなことだけは分かったので、あとでこれもよく調べる必要がありそうではある。
浄化槽の清掃業者さんはとても親切で、何度となくこれまで取引のあった業者さんがあったのではないかとか、現在の登録者を確認する方法であるとか、実際に浄化槽が設定されかつ稼働しているか(浄化槽が設置されていても下水道が後付けされればその浄化槽は使われないことになるので)を確認する先などを細かに教えてくれた。
相続という経緯や設備の有無や稼働の有無が不明瞭であることなどを適切に(かつ過剰なまでに丁寧な言葉遣いによって)説明することのできた僕の日本語能力が優れているからではないかと密かに思っている。また心の声がダダ漏れてしまった。
しかしそもそも僕は浄化槽というものを持ったことがない。
自分が所有権を持つ家を持ったことがないからで、浄化槽について調べて初めて管理者登録などが必要だという事実を知った。こんなもの相続ついでに手続きする人の方が少ない気がする。
たまたま浄化槽の仕組みについて(損害保険の仕事をしていたときに事故処理のついでで)勉強する機会があったので、そこは助かったといえば助かったといえる。
その気になれば自分で点検清掃するくらいもできるような気がしないでもないが、この上特殊な機材まで購入しかねない自分の節操のなさを考えると、それはやめておいた方がいいだろうと結論した。
電話の合間に部屋の電源の増設工事を少しして ── といっても1つしかなかったコンセントを3つに増設し、そこから配線を2本、壁伝いに這わせて梁にタップを2つ設定するという荒技を行ったわけだけれど ── 本日の作業を終了した。
旧来からコンセントの多くは床付近に設置され「配線が邪魔くさい問題」を引き起こしがちである。高い位置にコンセントがあると(特に150cm以上の身長のヒトには)便利だと僕は考えている。少なくとも僕は高い位置にある方が便利なので、ついつい柱や梁にスイッチタップなどを設置してしまう。
<いい加減、漆喰を塗ったときのマスキングを剥がしてはどうか。>
久しぶりに休憩もなく8時間以上働いてしまったので、飲酒のため近所の焼肉店に外出した。近所に美味しいものを出す店があるというのは大変嬉しいことである。
そして唐突だが最近、この曲をよく聴く。
驚きの脱力感とその破壊力。
人生なんてどうでもいいやぁ〜、という気持ちになる。痒いところに手が届かない名曲である。

