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TITLE:
ミニマリズムについて。
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~ Which are your way. ~
Written by BlueCat


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::芸術と同じく、茶にもその時代と流派とがある。茶の進化は概略三大時期に分けられる、煎茶、抹茶(ひきちゃ)および淹茶(だしちゃ)すなわちこれである。われわれ現代人はその最後の流派に属している。これら茶のいろいろな味わい方は、その流行した当時の時代精神を表している。と言うのは、人生は我々の内心の表現であり、知らず知らずの行動はわれわれの内心の絶えざる発露であるから。孔子いわく「人いずくんぞ廋(かく)さんや、人いずくんぞ廋さんや」と。たぶん我々は隠すべき偉大なものが非常に少ないからであろう、些事に自己を顕すことが多すぎて困る。日々起こる小事件も、哲学、詩歌の高翔(こうしょう)と同じく人種的理想の評論である。




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【なぜ自称ミニマリストは気持ち悪いと感じられてしまうのか】
 昔、付き合っていた恋人が、急にミニマリストかぶれして、辟易したことがある。
 曰く「冷蔵庫がなくても、毎日買い物に行けばいい」
 曰く「パソコンなどの情報機器は1日1時間程度の使用でいい」
 曰く「洗濯機はなくても生きていける」
 などなど。
(1年ほどで別れたのだったか。ろくに記憶に残っていない)

 正直、未だにミニマリストを自称する人たちの文書が好きになれない。
 要するに、そこに透けて見える哲学が浅薄で、ちょっと痛々しいのである。


【ところでミニマリズムとは何なのか】
 現在、一般に流布しているライフスタイルとしてのミニマリズムが何であるのかというと、すなわち「足るを知る」ということに尽きる。
 それ以外の、音楽や絵画、文学、建築などにおいてもミニマリズムは存在する。
 精神論から端を発した技術に展開する部分もまぁだいたい同じである。
 ただ、ライフスタイルとしてのミニマリズムが特殊なのは、その対象の中心が「人間の生活そのもの」であることだろう。

 人間の生活をシンプルにしようとすると、食べてセックスして排泄して寝ることに尽きる。
 どうせだから「人間」の部分を、好きな動物に置き換えてもだいたい同じである。
 とてもシンプルなライフスタイルであり、欲は十分に満たされているように思える。

 ミニマリストを自称する人たちが、あたかもヒッピーのように、そうした自然回帰のライフスタイルを謳っているのかというと、まったくそうではない。
 まず「モノを捨てろ」。
 まず「モノを持つな」。
 こじらせると「モノに頼った生活を送るな」。
 そして「お金が貯まるぞ」。

 これである。
 これが宗教感を重々しく醸し出している。
 どういうことかというと(ライフスタイルとしての)ミニマリズムは本来、人間の精神性を訴えているはずなのだ。
「足りていることを知りましょう」「すでに満たされていることに気付きましょう」てな具合に。
 それだけのことであって、やれ事細かに「床に荷物を置くな」だの「ソファは不要だ」だの「冷蔵庫は要らない」だの「靴は3足あればいい」だの「収納家具を上手く利用して部屋をすっきり見せる」だのと啓蒙することは、その行為がミニマリズムから離れることを意味する。
 黙ってお前の満足を感じて幸せを噛み締めておけよこのお節介な%$△£●&め! と、狭量なワタクシなどはつい思ってしまうのである。
 挙げ句の果て、それを訴えるブログなり動画なりが、広告にまみれていて、内容そのものは技術というよりポエムに近しいものであったりするともう本当に言葉を失う。

 その欲! その欲の発露が「足るを知る」からぐんぐん遠ざかっている行為なんではないのか、と思ってしまう。
 口先で「ミニマリストなんですぅ、家はすっきり家具も少なく収納上手でモノは少なく自然派スタイルで家族やペットと慎ましくも明るく幸せに暮らしているんですぅ」みたいなことを並べつつ「これで年間100万円貯金できましたぁ。あと本も出しましたぁ」とかいうその欲! それ!
 ほんっとおまーらいっぺん涅槃に連れて行くぞ。と思ってしまうのである。
 ついでにいうと、家族はほとんど出てこない。
 そのミニマリズムに当の家族がどれだけ幸福を感じているのかという、身近なヒトのレビューが出てこない。出てこないから笑顔も見えない。
 これをして本人だけ満足している宗教だと断じることはさすがに乱暴かもしれないが「足るを知る」人間が、そこまで自分のスタイルと収益をアッピルする必要はあるのだろうかと、正直疑問には思うのである。矛盾を禁じ得ないのである。


【どうなればミニマリズムを心にたたえたありようと言えるのか】
 床が散らかっていようが、ソファに衣類が掛かっていようが、そんなものはどうでもよろしい。
 夜もすがらガールとぱやぱやしていようと、TVゲームをしていようと、そんなことはどうでもよろしい。
 同じ調理器具をいくつ持っていようと、靴や服をどれだけたくさん持っていようと ── あるいはまったく持っていなかろうと ── どうでもよろしい。

「いやぁ、人に自慢するほどではないのですが、今の生活には満足してますよ。家族には感謝しています」
 というシンプルな気持ちが(ライフスタイルとしての)ミニマリズムの体現ではないのか。
 己の両手の届く範囲に満足している人間が「これこそが素晴らしいのよ」「これがミニマリズムの極致なのよ」てな具合に、周囲に息巻くとはボクには思えないんですよねぇ……。


【どうでもいい締めくくり】
 そのようなわけで全く家族のいない僕が(正しく)(ライフスタイルとしての)ミニマリスト気取りをするならば、
「いやぁ、他人に自慢するほどではないのですが、今の生活には満足してますよ。ほんと、奥様(仮想)には感謝しています」
 と、訊かれたときにぼそぼそっと言えばいいのである。

 ちなみに、しばらく公式ブログジャンルというものを(目立ちたくないので)設定していなかったのだけれど、面白そうなので「他人に言えない恋愛ジャンル」に設定した。
 僕の恋人のそのほとんどは「他人に説明しても理解してもらえない恋愛ジャンル」として確立しているような気がしたからである。
 仮想奥様についても、まぁなかなか他人には言えないものである。
 ところで「他人に言えない恋愛ジャンル」でブログの文書を書く人って、結局「他人に言いたくて仕方ない恋愛ジャンル」のような気もしないわけでもないわけであり(失言を恐れる政治家口調)、先のミニマリズムと足るを知ることの矛盾にも似た滑稽さ(ゴムのような感触)を噛み締めては仮想奥様に叱られております。










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::茶には酒のような傲慢なところがない。コーヒーのような自覚もなければ、またココアのような気取った無邪気もない。




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[出典]

~ List of Cite ~


 文頭文末の引用は、
「茶の本」(著作:岡倉 覚三 / 訳:岡村 博 / 発行:岩波文庫)
 によりました。

 なお、引用文中のルビ文字は『()小括弧』にて記述しています。


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[NEXUS]

~ Junction Box ~

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[Engineer]
  :工場長:青猫α:黒猫:

[InterMethod]
  :Algorithm:Chaos:Ecology:Form:Kidding:Life:Mechanics:Technology:

[Module]
  :Condencer:Convertor:Generator:Reactor:Resistor:Transistor:

[Object]
  :Camouflage:Fashion:Human:Koban:Poison:

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[Cat-Ego-Lies]

  :ひとになったゆめをみる:





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