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世界を作る者たち。
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~ Creator. ~
Written by BlueCat


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【大工仕事】
 書斎(になる予定の部屋)の床工事は順調である。
 ノミやカンナもある程度使えるようになった。
 骨を組んで釘を打ってから、既存の床面に比して完成時のフローリングが高くなってしまう場合があり、骨を削る必要があるのだ。
 釘を打った後の場合は、センタポンチなどでフロア釘をさらに深く打ち、上面をノミで削るのが早くて綺麗にできる。
 カンナは刃の調整も含めて、まだ「使える」とはいえないレベルである。

 大工といえば、保育園児の頃、将来の夢を無理矢理、問いただされた(そういう授業があった)ので仕方なく「大工」と答えたことがある。
 当然に僕は子供の頃から虚弱体質で、大人になった今でも力仕事にはとうてい向かない。
 ただあの当時、家の近くに製材所か大工さんの資材置き場のようなものがあり、そこに無垢の角材がよく置かれていた。
 保育園に向かう途中など、母親や姉に手を引かれながら、その木の香りを楽しんだ。
 木というのは、こんなにいい香りがするのかと思って、それで「大工」と答えたのである。
 だから大工になりたかったわけでも大工仕事をしたかったわけでもない。

【言葉の話】
 子供の頃といえば「幼少」という言葉は敬語の一種であり、僕はそのことを20代になってから知った。
 10代の頃の日記では、自分の子供の頃のことを「僕が幼少の頃」なんて具合に、気取ったふうでよく書いていたものだから、知ってからちょっとドギマギしてしまったものである。
 もともと辞書を引くことは好きだったけれど、それ以来、よく使う言葉でも辞書であらためるようになった。(この「あらためる」の使い方も、若い人には「?」となるかもしれない)
「奥様」というのも敬語であり、多くは他人の女性配偶者を指す言葉だろう。
 僕の仮想奥様の場合は僕にとっての経済的主体者なので、従者が女主人をして指し示す言葉として適切だ。そんな意味では使っていないけれど。

 かように言葉というのは、ひとつの語が複数の意味を持ち、立場やTPOでその意味を厳密には変えることが多い。
 というようなことを小学生の頃から教わるものなのだけれど、大人になればなるほど言葉の乱れはひどくなるように感じる。
 読書をしていればかろうじて乱れを抑えることができることもある。

 もっとも読む本にもよるだろう。
 ライトノベルばかり見ていては「本気」と書いて「マジ」と読んだり「奇想天外!」と書いて「マジかよ!」と読みかねない(読まないので知らないが)。
「ら」抜き言葉なども、ネットニュースではもはや常識的に使われていて、そんなものを気にしているこちらがおかしいのかもしれないと心配になってくる。
 おそらくTVなどでも「ら」抜き言葉は日常的に使われているのだろうと想像する(観ていないから分からないが)。

 だからといって「武士道」や「茶の湯」や「風姿花伝」などのような古典的作品ばかり読んでいたら「して候えば」なんて言い回しを日常で使ってしまうかもしれない。いやしないか。
 僕は周囲と比較すると大和言葉を多用するらしく、ときどき「その言葉は何ですか?」と問われる。
「そこはかとなく」や「よしんば」「うつしみ」「宵の口」「まどろむ」「ひねもす」「お御足(これはただの敬語にも思えるが)」などなど。
 雅やかかもしれないが、相手に意味が通じなければ、知らない外国語と一緒である。

【頑固さについて】
 人間というのは自分より能力や立場が明確に上である人間が近くにいて、普段からある程度以上の緊張感を持っていることが必要なのではないかと感じる。
 僕自身も、ひとつ間違えれば他人に対して尊大に振る舞ってしまいかねないタイプの人間である。
(なので仮想奥様を構築した)
 会社に勤めている人でも、40代にもなる頃には不惑特有の頑強さが頭をもたげてくる。
 本来に優柔不断な僕でさえそうだったから、周囲の40代の男たちを見ていて反省するのである。
 40年生きるというのは確かに大層なことである。少なくとも僕にとっては、もう2,3回死んでいる予定の年齢である。
(17か27か32で、自分は死ぬと思っていたので)
 だからその長い経験の蓄積によって経験則が固まり、その経験則によって行動して一定の結果が出るという法則性を確固たるものとして身につけている。
 新しいものについてそれを試すのは、やがて腰が重く感じるだろうし、自分の価値観にはびこった法則性に正反対の理屈など絶対に信じない。
 つまりそれが思考の老化であり、頑固さだ。

 もちろん、その個人にとっては有用だろう。
 体質も思考も能力も人それぞれで、対人の技術を考えても、魅力の高い人とそうでない人とでは同じコミュニケーションの手法で同じ結果が出ることは少ない。
 感性の傾向も含め、人にはそれぞれに入力・蓄積しやすい情報と、処理傾向があり、出力はだいたい一定している。
 だから、僕の場合は「僕にとって」正しい法則があったとしても、それが他者にも当てはまるとは限らない。
 よほど抽象された法則でもなければ、何の役にも立たないだろう。
 そういう柔軟さを、いつも忘れずに死にたい。
 だから僕は、自身の嫌いなものを好きになり、嫌だと思っていることをしたりするのだけれど、これはこれまで観察する範囲ではほぼ皆無だ。
 みな、子供の頃から嫌いなものを嫌い続け、好きなものを好きであり続けようとする。
 それが自然なのかもしれない。

 しかし感情が判断を歪めることがないとはいえない。
 そう考えると感情的であること ── 感情を持つことさえも ── が、果たして良いこととは思えない。
 もちろん、無感情の人より適切な感情表現力を持った人の方が魅力的には見える。
 けれどもそれは集団の中でしか意味を持たない能力であり、習性だ。
 実際、僕のように1人でいるのに笑い始めたりするイキモノを、周囲の人は遠巻きにして見ないフリをする。


【家計簿】
 今はしていないが、ずいぶん昔、家計簿をつけたことがある。
 当時は父上から自営業を継いだ(そして父上がみまかった)直後だったので、事務処理は必須だったのだ。
 しかし家計簿のほうは数ヶ月で馬鹿馬鹿しくなってやめた。

 収入がある以上、支出を把握するのは大切なことである。
 しかし支出を体系化し、分類してしまえば、あとは概数で処理可能なのだ。
 当時はすでに一人暮らしをしていたので、まず固定費を文字通りにフィクス(直訳すれば固定)した。
 家賃は固定であり、車両維持費のうち車検以外の定期維持費(燃料、保険、メインテナンス)は固定費扱いし、水道光熱費もまとめて固定費として考えた。
 通信費は水道光熱費と同等に扱い、それらはすべてコンビニ払いにして、毎月まとめて支払いをした。

 家賃は当時50k(円)、光熱通信がおよそ30k、車両維持がおよそ30k、食費が(昼食、外食除き、酒を含む)だいたい30k。
 ここまでで僕の固定費がだいたい140k。
 ときどきプラスマイナスはあるが、1年ほどを観察すれば誤差範囲もわかるし、3年も蓄積すれば勘で処理できる。

 ちなみに光熱費は季節でその内訳の比率が変化するものの、トータルはだいたい同じである。
 当時の僕の場合、冷房は電気(と水)、暖房は石油を使うため、夏は電気代が高くなるが、石油は使わなかった。冬は逆である。
(もし夏と冬で空調費に大きな差がある家庭は、消費するリソースを含め機材そのものを再検討した方がいいだろう)

 他に積み立て分も固定費として引く。
 車検なら2年で200kほど。
 一時期は高額な自転車やコンピュータを買うため、月々決まった額を積み立てようとした。
「ようとした」というのは、急な出費があればその分をそこから捻出したためだ。

 ここまでを収入から差し引いて(当時の僕は手取りが200k前後だったので)60kを自由に使っていた。
 貯金をするくらいならお金の使い方を学ぼうと思っていたし、毎月数万円は本を買っていた。

 つまり僕の家計は、だいたい1万円単位、細かくしても数千円単位の概数で演算され、細かい金額は積み立て分か小遣いに回った。
 通常、細かい金額は積み立てに回らない。
 現金だと使ってしまうし、預金にわざわざ数千円を入れに行くのは面倒である。
(前述のとおりアンチ貯金主義だったので)

 当時の僕は、ピン札預金をしていた。
 給与(平成になってなお、手渡しの会社に勤めることが多かったが、預金の場合、引き落とし固定費を除いて万単位ですべて下ろしていた)のうち、ピン札はとにかくピン札預金袋に入れてしまう。
 そのあとコンビニ払いの固定費を分けたりしていたのだが、小遣いとして固定費余剰の差分が出た時も、ピン札があったらとにかく持ち帰って袋にしまっておいた。
 お祝い事などに使うとき、わざわざ銀行に行って用意するのが嫌だったのである。

 なので月によってはピン札預金袋から生活費を捻出することもあり、また月によっては使い古しの紙幣だけれど財布に入り切らないため、ピン札預金袋に仕舞われることもあった。
 結果的に、ピン札を残すことでお金を残しやすくなった。
 このピン札預金袋は家の中のかなり目立つところに置かれていたのだけれど、入っているのがピン札だからみだりに使うことははばかられるのである。
 財布の中の現金は3万円まで、というルールも有用に作用した(僕は本を前にすると金銭感覚がおかしくなることがあるので)。

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 1円単位で家計管理をしている人を馬鹿にする気はないが、果たして意味があるようには思えない。

 一度、算数もできないのに家計管理をしたがる女性と付き合ったことがあるが、とても苦労した。
 家計管理は大事なことかもしれないが、数時間も掛けてするような仕事ではない。そもそもその作業は何も生まないのだ。
 それを1円単位で細かく仕分けして管理している。
 最初は感心したものの、私の家計管理に(概数ベース、現金と勘での管理、記録は付けないのだから無理はないが)ケチをつけ始めるようになって辟易した。
 当人は、一円単位の家計管理に誇りを持っているのである。
 僕からすると、事務処理だけして偉そうにしている会社の管理職みたいなものである。
 事務仕事なんて直接お金を生むわけではないし、そもそも管理職は他に仕事があるでしょー、的な。

 もちろん今は諸般の事情で財務管理を(自分のものと妹のものと)しなくてはならないので、領収書を残して、引き落とし口座の割り振りをして、税理士さんと打ち合わせもするし、銀行の渉外にも対応する。
 しかしやはりこんなものは雑事だから、この程度のことでエラソーにしている類の人間の底は知れていると感じる。

 それより僕は、服のボタン付けであるとか、水回りの掃除であるとか、畑で作物を作れる人の方が偉いと思うのだ。すごいと思うのだ。


【バカが嫌い】
 もともとバカが嫌いだと公言していたのだけれど、本当にバカな人は自分が属している細かなことをよりどころにして、他人を貶めたりするものらしい。
 無論、バカであると自覚していないからこそである。

 もちろん自分の流儀を大切にすることは悪いことではない。
 ただ、それを他人に押し付けたり、あたかも自分だけが正しいというような論で語られるとどうにもならない。
「これ以外は正しくないと思っています」というタイプのイシアタマに理屈を使って説明することは簡単だが、理解してもらうことはほぼ不可能だ。
 少なくともその労力がもったいない(ので僕はしない)。

 当時から僕は「使えばお金は増えて戻る」と考えていた。
 自営業を経て、営業の仕事をしていたからだろうか。それとも本を読んで知ったのか。

 この理屈を、大手の生保会社はセールスパーソンにトップダウンで押し付けているように観察される。
(どの会社、とは言いませんが)
 もちろん「使ったお金は増えて戻ってくる」と僕は思う。
 しかし「使わされたお金はさらにマイナスを生む」とも思う。
 こういった事象は、家計を数値管理しているだけでは到底抽出できない情報だろう。
 事務職や公務員のようなサラリーマン意識であれば、使ったお金が増えて戻るという感覚はないようにも思える。
 しかしお金は交換するための道具で、掛かる時間が交換した価値を増やすこともある。
 銀行に預けてお金が増えるのは、それを誰かが使っているからだ。
 ならば自分が使って、その金額以上の価値を身につけてゆければ、それは金額以上の価値になって返ってくる。

 僕は本を読んでモテる方法を身につけたし、一人暮らしを(する必要に迫られて、だけれど)してタフにもなった。
 30代まで、食費を削ってでも高いコンピュータを買ったり、本を大量に買ったりして(僕は本を折ったりメモしたり破いたりお風呂に落としたりするので、借りることができない)、貯金はしなかったけれど得るものは多かったし、10代の頃に夢見た程度に若隠居することができた(本当に驚きである)。
 友達は少なかったし恋人も30人を超えることはなかったけれど、アタマワルい人間に時間(つまり寿命)を浪費されないだけでも有意義だった。
 それに最近は、明らかに視力が低下している。本を読むことができなくなってきているのだ。


【孤独とお金】
 若い頃だからこそ、孤独な時間が多くてよかったし、貯金もしないで好き勝手に過ごしていてよかったと思う。
(言い訳に聞こえるかもしれないし、結果論ありきの言い草だと非難されても反論の余地を探すのはむつかしいが)
 恋人は多かったけれど、僕の時間を浪費する者は(ヒト型以外を含めた恋人にも)ほとんどいなかった。
 何より目が悪くなってしまえば、お金を払って本を読んで、ボロボロになるまで使うなんて、この先はなかなかできないだろう。

 友達が多い方がいいとか、社会人になったら貯蓄をしないと、とかそういう考え方に僕はまったく賛同しない。
(恋人が多い方がいいのかどうかは知らん、各自勝手に考えて好きにしろ。たまたま僕は一生分の恋人と、20代から30代にまとめて付き合っただけかもしれないし)
 寂しさを埋める機能しか持たない、くだらない友人や間に合わせの恋人と時間を浪費するくらいなら、独り寂しく恐怖と不安に震えて夜を過ごすほうが、後の人生には素晴らしい糧になるだろう。(あるいは肥料といってもいいかもしれない)

 それはたとえば安売りされている菓子パンに似ている。
 その場の空腹はしのげるし、けっこう美味しいのだ。
 ただ満腹になったところで、飢えは収まらない。なぜといって、栄養が足りないし、添加物も多くて身体が疲れて鈍感になるからだ。
 満腹なのに飢えているから、過食することになる。
 数十年して、その影響が身体に出る。
 身体が不可逆的なダメージで変質するのだ。
 ならば飢えをしのぐのではなく、飢えるままに苦しんだ方がよかったのではないか。

 人間の心が、安い他人という資源を食い物にして同じように歪まないなどと、いったい誰に言えるだろう。
 まして安っぽい人間は、不可逆的なダメージを与えるだけでは済まないかもしれないのだ。

 人間と食べ物をしてそうである。
 お金ならどうだろう。
 貯蓄という使い方は、果たして本当に、若いうちからしておくべきだろうか。
 投資という運用は、果たして本当に、早くからしておくべきだろうか。
 いったいどういう人たちがそれを言っているか、分かっているのだろうか。

 きっと僕が宝くじ協会の会長あたりに天下りしていたら「若いうちから宝くじは、毎年10口でもいいから買っておいた方がいい」と言うだろう。
 なぜといって、早くから買い続けて、より多い口数買えば買うほど、それは当たる確率を上げることになるからだ。

 同様の理屈で、すべてのギャンブルは早くから、より多くのお金をつぎ込んだ方が利益を上げられる計算になる。
 しかしすべてのギャンブルは、胴元が儲かるようにできている。
(宝くじの販売額と当選金額合計の差額を計算したことがありますか? 僕はあります。だから宝くじ協会の会長にしてくださいお願いします就任した暁には頑張りますから!)
(ちなみにあれ ── 宝くじ協会 ── 財団法人ですよ! よく考えて! 宝くじとか買う前に! 夢を現金で買ってる場合じゃないから!)
 なので貯蓄と投資に胴元がいないなんて、ボクニハオモエナインダヨナー。


【ゲームの話】
 僕はゲームが好きだったので、10代の頃はゲームを作ったりもした。
 RPGやシミュレーションのルール作りが特に楽しくて、キャラクタのパラメータや行動の成功判定演算式を立てるのは、まさに現実世界の物事をヴァーチャルの世界に落とし込む作業で、没頭した。
(だいたいひとつの世界のルールを作るのに1年は掛かる)
 そしてたまたまあの頃の僕は天才で、パラメータの種類やその演算式の組み立てが上手だった。
 3つの6面ダイスを振ったときに出る合計値の確率を、アタマの中に6*6*6のキューブを回転させて感覚的に理解していたし、同じように、個体Aのパラメータa群と個体Bのパラメータb群が(a群≠b群のとき)相関した演算出力の傾向を確率で確認して楽しんでいた。

 僕がギャンブルを嫌う一番の理由は、ゲームメイカがゲームを楽しませることを楽しんではいないからだ。
 そのゲームのルールはプレイヤがゲームに熱狂し、にもかかわらず負け、ゲームメイカが勝つようにできている。
 僕にとって、それはゲームとは呼べない。
(それでも数学的な見地から挑んでゆくプレイヤがいるのは事実だけれど)

 しかし現実の世界は、ヴァーチャルのようにフェアなルールなどない。
 フェアに見せかけた巧妙なからくりがあって、約束された未来は偽りで、積み上げる努力が報われる保証はない。
 最低限に保証された生きる権利というフレームの中は窒息しそうなほどの絶望にまみれている。

 ゲームのルールを作るとき、世界を構築するとき、歴史や場所を作り、人物を構成するときは、フェアネスの基礎の上にしかアンフェアは成り立たない。
 手の届かない場所もなければ、力の及ばない場所もない。
 ヴァーチャルな世界や人物を作る楽しさはそこにある。
 誰かの作ったモノにはたいてい突っ込みどころという隙が存在するようで、そういうものを探すことに異様なほどの情熱を傾けるタイプの人間は少なからずいる。
 そういう人たちがどれほど精巧なヴァーチャルを構築したことがあるのか(あるいはできるのか、もしくはできないのか)分からないけれど、世界を作る愉悦を知らないことはひとつの不幸だろう。


【世界を作る自由】
 大人になればなるほど、世界に縛られて、世界を縛り付けて、人は不自由になるようだ。
 子供たちはたいてい、世界に縛られることもないし、世界を縛ることもない。
 自由に世界を作ることにかけては、大人よりも子供の方が長けているのだ。

 世界を作るにあたっては、矛盾を嫌ったり恐れていたら始まらないのだ。
 ヒトノカミサマは7日で世界を作ったらしいが、人間はそれをずっと改良しようとし続けているように観察される。
 突っ込みどころ満載で、いつまで経ってもリリースできない不良品だったのだろうか。

 ちなみにネコノカミサマの作る世界は箱の中に入っていてだなフタを開けるとその中から ── 。

 

<むにぁ!>





 

 

 


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[Engineer]
  :青猫α:青猫β:黒猫:

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[Cat-Ego-Lies]

  :ひとになったゆめをみる:






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