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TITLE:
私の口からそんなこと。
SUBTITLE:
~ I can't say that words. ~
Written by BlueCat
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210615
今週も妹が遊びに来る。
今週は市街中心から少し離れたところにあるJAの直売所に出かける。
午前中からとはいえ、高齢者がほとんどである。
中にはお嬢様と思しき50代ほどの女性と、父親もしくは母親というペアも見かける。
「これが必要って言っていたでしょう」とか「いらないものまで買わなくてもいいんだよ」などと言っている会話の流れから、介護の延長で買い物に来ているものと分かる。
妹と一緒に、そういった人たちの台詞を真似て笑い合い、遊ぶ。
妹は、普段からこのように「介護する人」「介護される人」の真似をしたり、あるいは身体に障害のある人の動作を真似て人を笑わせようとする。
そう、そこにはおかしみがあり、ある種の滑稽さがある。
だから僕は遠慮なく笑うし、遠慮なく一緒に真似をする。
きっと世の中には、そうした行為を「介護する人や介護される人、障害を持つ人を馬鹿にしている」などと言って怒り出す人がいるだろう。不謹慎だとそしりを受けるだろう。
僕は全くそうは思わない。
僕も妹も、介護をするのは大変だと知っている。介護を受ける側の苦悩も知っている。
身体が衰え、死に向かうことの心細さや、命を失うことの悲しみを妹は僕よりよほど悲観的に感じていることと思う。
指が曲がらない。膝が思う方向に動かない。そうした辛さは分からないでもない。
だからそれが滑稽なら、僕らは笑うのだ。
生きることは滑稽だから。
生活していると、意味もなく(いや意味はあるが)オナラが出てしまったり、してはいけないところでゲップが出たりする。
なるほど不謹慎で無礼なのかもしれない。
でも出ちゃうものは出ちゃう。とっても滑稽だ。
妹は子供の頃からそういうことを隠さないから、会話の最中にゲップをしたり、オナラをしたりする。
「出ちゃった」とか言って、それを笑わせようとする。
彼女がかつて美少女だったからだろうか、それをキャラクタとして確立させている。
もちろんもちろん。
常に謹慎に、謹んで慎んで、淑やかに上品に振る舞い続けることができるなら、それが一番いいことだろう。
しかし身体は若い頃からそもそも不自由なもので、一般に言う健常者であろうと障害者であろうと、不自由には変わらない。
要介護者が不自由であるように、介護者もまた不自由だ。
歩けないことは不自由だというが、歩けたって不自由だ。
不自由で、辛くて、だからイライラして、お互いに諍いあう人間関係もあるだろう。
お高くとまっている連中が「不謹慎だよ」と非難し怒り出すとしたら、それこそ何の不自由もない自身の立場に甘んじているのだろうと思う。
50年もすればお前だって身体が不如意になって嘆くのだから、今のうちからその滑稽さを笑っておけよ、と思う。
だから僕は遠慮なく、妹と一緒になって人々の不自由さを笑う。生きる滑稽さを笑う。
彼らのユニークで一筋縄に行かない言動は、本当に不自由で滑稽である。
何のことはない、僕ら自身、会社で、家庭で、人間関係で、コミュニケーションや目的意識の一致や日常的な茶飯事が、一筋縄に行かず、あらゆる行為が不自由で、実に滑稽なのだ。
誰だ「ワタクシはそんなことありません」みたいに澄ました顔をしているのは。
取り繕っても無駄だぞ。
お前がオナラしたりゲップしたりウンチを我慢してトイレに駆け込んだりした経験があることはお見通しなんだ。
経血が脚を伝って慌てたり、射精する機会こそが生きる意味だと勘違いしたりしていることはお見通しなんだ。
オマエらなんて、私と同様かそれ以下に滑稽なんだぞ。
なぜといって、己の滑稽さを隠して、澄まして「不謹慎だ」なんて人を非難しているからだ。
「私は一歩踏むごとに、ぷっぷっぷっ、なんてオナラがでちゃったりは致しませんことよ」みたいなツラをしているからだ。
膝の曲がった老人が、びっこを引いて歩いている。
僕と妹はそれを真似て笑う。
老人は怒るかもしれない。笑うかもしれない、どちらでもいい。
でも僕らにとって、その老人は、もう友達のようなものだ。
その人を笑うのは、その人がとても近しいものだと感じられるからだ。
バカで滑稽で愚図でろくでなしで性懲りもない連中を僕は嗤う。
なぜといって、それは僕にとても近しいものなのだ。
介護をして怒っている娘の口調を真似して笑い合う。
認知症があると思しき父親の、口調を真似して笑い合う。
笑ったついでに、妹がオナラをして、さらに笑い合う。
生きることを笑って、何が悪いだろう。
生きることを笑わずして、何を笑えばいいのだろう。
「ワタクシは滑稽なことなど致しません」なんて、僕には口が裂けても言えない。
しゃちほこばって、真面目くさって、ウンウン唸って、まっとうで常識的な善人を演じて生きるくらいなら、不真面目で不貞で不倫で非常識な自分を嗤って死にたい。
真面目も愉快、不真面目も愉快と、笑って死にたい。
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帰り道、自動車を運転しながら妹の曰く。
(僕は自動車の運転が好きではないが、妹は運転が好きなので)
「『○○うどん』とか『○○うどん』 ── 有名なうどんのチェーン店 ── てあるでしょう。友達に誘われて行ったんだけど、みんなすぐ『ぶっかけ』とかって頼むじゃない」と。
>>>
先に書いたように、妹はかつて僕の学年を騒然とさせるほどの美少女だった。
転校生。家庭環境は複雑にして棲んでいる家は奇怪。
宿題をしてきたためしはないがテストを含め成績は優秀(ただし運動音痴)。
女の子の服装で登下校。
晴れた日に長靴を履いて登下校。
雨の日にずぶ濡れで登下校。
猫を連れて登下校。
そんな奇人ぶり満載の僕の教室にある日、もじもじしながら美少女が「猫くーん 。習字セット忘れちゃったから貸して」とやって来る。
彼女が僕を「お兄ちゃん」と呼んだことは一度もない。
僕ら姉妹は(姉が多かったため)互いを名前で呼び合うのが普通だった。
「あの奇人の青猫に妹が ── !」
騒然はクラスから学年へ、学年から上級生の学年へ。
ひと月くらいは休み時間ともなると入れ替わり立ち替わり、僕のクラスと妹のクラスの入り口に、知らない奴らがやって来たものである。
少し厚かましい者などは「○年○組のあれはお前の妹なのか」とこちらの机まで確認しに来たりもした。
「この学校で、うちの名字は2人だけだねぇ」と僕は答えたのだったか。
(未だに、この街では僕と同じ姓を持つ世帯は他にないようである)
しかし一緒に育つと、妹が美少女であることに大した利はない。
素直でお兄ちゃん想いで気立てが優しくて家事もできて、なんていう妹はフィクションの中にしか存在しないだろう。
少なくとも僕の妹は、僕を階段から蹴落としたり(何かの比喩ではなく、リアルな階段からリアルに蹴落とされた直喩である)、手の届かない背中を狙って(本人談)思い切り噛み付いたり、高熱を出して寝込んでいる僕への看病に嫉妬して仮病を使ったり(そしてまんまと見破られたり)していた。
焼き魚や煮魚を食べるのが下手で、父親に骨を取ってもらわないと箸をつけず、中学生になってなお、そうめんが茹でられないどころかカップラーメンの作り方さえ僕に教わる始末だった。(ついでに学業は致命的)
女だらけの家の中で半裸の女性がうろうろしているのは日常の光景であり、それは水泳の更衣室とさして変わるものではない。
「水泳か、面倒だな」くらいの感慨があればまだ救いがあるだろう。
まして妹は自分が美少女であることに絶対的な確信を持っていたらしく(僕は当時から相貌失認だったのか、妹の顔立ちを可憐だと評価したためしがない)家族だけでなく、友人関係にもそれを自信満々に語っていた ── 結果、友達は極端に少なく、いじめられることも多かったようだ。無論、それに屈しない精神力も備わっていたのでまさに無敵だったようだが。
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「『ぶっかけ』だよ? よくそんなことみんな言えるよね。カヨちゃん ── 彼女は自分の名前を「ちゃん」付けで呼ぶ ── 言えない」
妹にしてはいつになくまともな意見だと思う。
「列を作って、周りに人もいるのに『おろし肉ぶっかけください』とか『ぶっかけうどん、入りまーす』とか、みんなどうかしてるよ。ぶっかけぶっかけって、何だよ」と言う。
ものすごく可笑しくて、2人でひとしきり笑う。
考えたこともなかったが「ぶっかけ」というのは確かに、品がない言葉である。
「ぶつ」というのは「うつ(打つ)」という言葉が濁ったものだろう。
「うちかけ(打ち掛け)」というのは「ものの上に軽く掛ける、軽く載せる」という意味である。
うどんであれば、盛りうどんのように皿に盛った上に、つゆや薬味を掛けたもののことだろうと想像する(食べたことはないと思う)。
その「うちかけ」が訛って「ぶちかけ」「ぶっかけ」になったものではないだろうか。
いなせな気風を装うため、中世から一部の男たちに使われた言葉のようにも思える。
他の例として、かつてフィクションで使われて流行った「ぶっちゃけ」という言葉もそれに当たる。
これは「うちあける(打ち明ける)」が「ぶちまける」になり、さらに短縮されて濁ったものだろう。
妹がどのような理由で「ぶっかけ」と言えないのかは分からない(いくつかのパターンは想像できるが、それを確認するのも下品なのでしない)。
しかし僕自身、濁音を含む言葉を避ける傾向にある。
ぶっちゃけ ── 。
ぶっちゃけた話「ぶっちゃけ」は語感がとても汚い。気持ち悪いとさえ思う。
その汚さが、斬新だったのだろうか。それで広く受けたのだろうか。分からない。
いずれにしてもメディアによって大々的に広まり、芸能人だけでなく一般人も日常的に使っていて、とても気持ちが悪かった。
「ぶっちゃけ、鶏卵は鶏の卵でしょ」なんて、とうてい何かを打ち明けているようには観察されないような状況でも使われていて、僕は独りで可笑しく感じていたのだけれど、周囲の人は(とくによく使っている人ほど)何も感じていないようだった。
「打ち明けた話、僕には、隠し子がいるようなのです」というくらいの用法でないと、打ち明けた話にならない。
そもそも大声で、公衆の面前で、皆が一様に口にするようなことではない。
打ち明けるというのは、そういう慎みのことではないのか。
うどんに話を戻すと、たしかに僕も「ぶっかけうどん、お願いします」とは言いにくい。
恥ずかしいというより、語感が気持ち悪いので、言いたくない。
「うちかけうどん」と言っても通じる世の中になればいいのに、とは思う。
きっと店頭で試しても通じないに違いない。
「うちかけ」と「ぶっかけ」は、意味が本来同じものなのに、その意味が広くは通じない。
そしてどういうわけか、濁った言葉の方が流布してしまっているのだ。
「肉ぶっかけとかホントwww センスwww 無理www」
妹と大爆笑している私も私である。
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[NEXUS]
~ Junction Box ~
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