201128
久しぶりに1日のんびり過ごす。
そもそも、この家にいても前橋のアパートにいても、足利の家にひとりでいた頃のような安息を味わったことはない。
なんとなく、心の底が、いつも落ち着かない。
そんな日々をだいたい6年くらいは過ごしていたか。
いつも誰かの体調や死を気にしていたり、慣れない場所でくつろいだ気分になれない日々。
あちらこちらと移動ばかりして、他人に気を遣って自分の身体を壊して、落ち着かない場所で丸くなって自身の身体を抱える日々。
6年前などは仕事もなくてお金もなくなってしまったから、食生活も(今よりさらに)荒んでいた。
少しずつ、自分の使いやすいように改良している、その入り口だから、とうてい落ち着くとは言い難いが、それでも、誰もいない他人の家に息を潜めて暮らすことにも慣れた。
思っていたほど人も来ないし、思っていたほど誰かに監視されてもいない。
来た人間の相手を必ずする必要もないし、場合によっては追い返しても大丈夫そうだ。
食べたい時にだけ、食べたいものを食べたい量食べることができる(毎日2食はやはり負担である)し、眠くなったら眠れる。
ときどき緊張しているのか、眠れない日も一年のあいだにはあったが、最近は10時間くらい連続で眠れるようになり、そのままごろごろしていても落ち着かない気分になるようなことはなくなった。
不要なものを次々捨てて、今は段ボールの中にある本に、やがて囲まれるような設備を整えることもできるだろう。
やはりというべきか、孤独は感じない。
おそらく猫がいなくても、人の気配のない方が、本来的に僕は落ち着くのだと思う。
5年棲んでいた前橋のアパートは、今や殺し屋の借り住まいのようにがらんどうで、ベッドのマットレスとテーブル代わりのワイン箱と机、カセットコンロと簡易ガスヒータがあるだけだ。
結局、家の中を整備する時間がないまま5年が過ぎてしまった。
正直、後ろを振り返ると生きる気力を失う。
ただ、今死ぬと残った人が僕と同じ苦労を抱えることになるので、その道筋を整えるまでは死ねない。
モルタルを塗るより先にすべきことなのかもしれない。それを済ませれば、いつでも先立つ不幸をお許しくださいなんて、許してもらう気もない一方的な宣言をすることも可能だろうから。
とはいえ他人と関わる必要のある手続きだし、時世もあるからあまり他人と関わり合いたくない。
>>>
明日、MacBook が届くらしい。
NASも整備していないし、ルータとモデムはケーブルが足りなくて、中途半端な位置に吊るしてあるのみだ。
5m以上の純正光ケーブルはなかなか使う機会もないから物がない、と工事の方も言っていた。
5mでは、回線を繋いだ家の端の部屋からモデムを出すこともできず、ために鴨居の下に逆さに(不恰好に)吊るされているというわけだ。
MacPro も、一切手を付けていない。そもそも置いて使えるスペースが、どこにもない。
床を張り替えるまでは大きな家具は置けないし、壁を塗り終えるまでは床を替える気にはならない。
リフォーム業者に任せるのは高くつく気もするし、なにより自分でしてみる方が面白そうである。
そんなつもりで始めたのだが、もう寒くなってきて、早起きするのが億劫である。
暑いときは暑いときで、やはり億劫なのだ。
そういう怠惰なイキモノであることよ。
>>>
オクラは乾燥してきて、いい種が採れそうである。
チェインソウで解体した家具のうち、燃やすと有毒ガスを出しがちなものも区別がつくようになった。
それらは軽トラを使って清掃センタに持って行こう。
古い、仕事の知り合いもいることだから。
>>>
昨日書きかけた日記を書き終えたくらいで、今日は何もしなかった。
不安も緊張もなく、何もしないでひとつの場所で息をついていられるというのは、本当のところとても素敵なことで、そういう平穏が、少しずつでも戻ってくるなら、そんな日常なら、もう少し、生きていてもいいかもしれない。
何かを追ったり、何かに追われたり、何かを強要したりされたりするような、そんな気持ちで生きるには、僕は向かないから。
