// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:20201015
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
自己愛とストーカーと既読スルーとお歳暮
SUBTITLE:
~ Defect tumbler. ~
Written by BlueCat
// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
10日前、母上は死んだ。
母上についてはすでに書いたし、母上についての悲しみを僕は悲しみ終えたので特に書くことがない。
強いていえば「生きているのに生きていない、死んでいるのに死んでいない」そういう空白地帯が生命にはあって、それを感覚するのが悲しいのではある。
なのできちんと死んでいる状態に至った今、僕は安堵する。
僕は母上を嫌いなわけでも憎んでいたわけでもないのだけれど、生きているよりも死んでいる方が適切だと僕が判断する状況に対して、生きていることを認識するのはストレスを感じるのだろう。
そのストレスが悲しみという感情として発露するのである。
あるいは人によってそれは怒りになり、あるいは消沈になり、一般的な状態の僕ならば(ストレスに対する表現手段の手持ちが少ないため)笑うだろう。
母上は死に、一度死した人間はもう死なない。
死んでしまうかもしれないし、快復するかもしれない(あるいは現状だけでも維持できるかもしれない)というグレイゾーンの状態はかなりのストレスである。
僕以外の多くの人間がどうなのかは分からないが、僕にとっては、失われたものよりも、失われる「かもしれないもの」のほうがストレスになるのだ。
観察した範囲でも、幼いときほど「失われたもの」に対するストレスが高く、「失われるかもしれないもの」に対するストレスは少ないようだ。
これは予測能力(経験)の欠如が原因だろう。
経験を重ねることでストレスに対して対策を取れるようになるが、同時に「失われたもの」に対するストレスに怯えて回避するような思考回路が構築されるのだろう。
結果として、大人になり経験を積んでいる人の方が「失われたもの」についてのストレス耐性は強くなり、「失われそうなもの」について過剰に反応するようになる。
その反応の過剰さが、すなわちストレスの高さだ。
僕の場合もこのモデルに合致して「失われるもの」が現実として失われる頃には、すでに慣れて諦めている。
ただ僕は「失われるかもしれないもの」に対する過剰反応が少ないように思える。
これは「失ったもの」についての記憶(の一部、あるいは全部)をつぎつぎ忘れてしまうからだろう。
人間は、自身が大きな価値や財産を(潜在的にであれ)持っていると思いこんでいる。
もちろんその意識があればこそ、認識の中心たる自身を重要視し、さまざまな欲を満たすことで社会の発展に寄与したりもできるわけである。
(僕にはその意識が希薄なので、社会の発展には寄与できそうにない)
しかし、個体の価値などたいしたものではないのだ。
100年と経たないうちに名前すら消え、数十年と経たないうちに自身の中での記憶さえ曖昧になり、頻繁にやりとりがなければ数年のうちに他者の記憶から消えるちっぽけなものが、「自分」なのではないだろうか。
必死に努力して誰かに自分を売り込み、記憶してもらうことよりも、誰にも記憶されない方が適切で、そのために努力しようと僕が判断する理由の、それはひとつである。
>>>
「新盆に贈った花について、お礼の電話がない」という内容の電話が、存命中のある伯母(といっても僕にとっては一族最後の伯母である)から妹宛にあったそうだ。
そういえばその伯母の娘(僕にとっての従姉妹)からの「一周忌はされますか?」というメールを僕は無視してしまっている。
その従姉妹を嫌っていてメールを無視したのではない。
「察してくれ」と思っている部分もある。
「法要等についてはこちらからご案内します」と最初に言ったものでもある。
相続手続きが終わったらそのまま埋葬せずに寺院に永代供養として納める予定であることも説明してある。
(そして伯母が亡くなってからまもなく1年が過ぎるのに相続手続きが終わらないので、納骨処理ができないのでもある)
言い訳ならいくらでもできるが、それが言い訳であろうとなかろうと説明することそのものに僕は疲れてしまったから、放置した。
そもそも法要というのは、する側が案内すればいいのだと思うし、僕は死んだ人間よりも生きている人間を重視したいし、縁遠い血縁者より縁近い他人の方を重視する。
その結果、僕に何かあったのではないかという探りを含めて妹に電話が掛かってきたというわけである。
僕は時節の贈答品をやりとりしないし、誕生日にプレゼントを贈る文化に接していたのは3歳くらいが最後である。
だから結婚式の引き出物や、葬儀の香典返しさえ、迷惑に感じるタイプの人間である。
端的にいえば、お返しなんて欲しくない。
どうしても贈りたいものがこちらにある場合、たしかに勝手に買って勝手に贈るけれど、その事実を、自身のエゴを、たいそう恥ずかしく思うのでもある。
「贈りたい」というのは贈る側のエゴである。
受け取る側は、欲しくないものを受け取るのかもしれない。場合によって、それは単なるゴミにしかならない。
ゴミを受け取った相手に喜んでいるフリをさせて、感謝の言葉という嘘を吐かせるのは、けっこう重い罪ではないだろうか。
恥ずかしげもなく、自分のエゴを押しつけておきながら自分が「与える側」であることを誇示するのは、ずいぶん下品な行いのように思えるのだ。
>>>
もちろん、もちろん。
贈る「モノ」ではなく「贈りたいという気持ち」が大事だ、という向きもあろう。
それなら電話やハガキでいいではないか。
「元気にしてる? 最近どう? あっそー、じゃあねー」でいいではないか。
あるいは「もらえるモノならなんでも喜んでもらうし、嬉しい」という貧しい発想の人間もいる。
自分が「本当に欲しい」「本当に必要」と思っていないモノが身近にあることを不快とも思わない、その鈍感さには感心するが、そういう人同士でやりとりしていればいいことだから巻き込まないで欲しい、とも思う。
年賀状程度でもやりとりしないと消えてしまうと気にする人もいるが、そんな希薄な関係なら、消えた方が自然なのだ。
その自然に逆らう気持ちは、不自然で人工的で、無理矢理のメカニズムは脆弱ですらある。
今の時代、人間にとって過剰なのは他人の存在だ。
だからそんなものは削ってしまえばいいのだ。なくしてしまえばいいのだ。
僕は、自分が「欲しい」あるいはせめて「あっても文句はないかな?」と思えないレベルのモノであれば、新品だろうと誰から贈られたものであろうと、すぐに捨ててしまう。
役に立つかどうかなんてことは関係がない。
他人から押しつけられた(自分にとって価値のない)ゴミなんて、売りに行く手間を掛けることさえもったいない。
つまるところ、誰かに勝手に贈り物をするというのは(それがたとえ商品券のような汎用性を持っているのだとしても)ちょっとしたエゴの押しつけだと思うのである。
(一番便利なのは現金なのだけれど、これをこともなく授受する関係を作るのは、じつはとてもむつかしい。なぜなのだろう。プレゼントの多くだって、経済で交換しているのは明白だというのに)
だから僕は、贈り物を贈りたいと思った相手には、受け取ってもらえたらそれだけでたいそう感謝する人間である。なぜといって、自分の醜いエゴを快く受け容れてくれたからだ。
なんという寛容。
なんという愛情。
それが僕に対してだけの受容であったとするならば、僕が完全なる愛されキャラの証ではないか。
そんな誤解を自ら招かないためにも、できるだけ贈り物なんてしたくないのである。
ところが自分のエゴでモノを贈っておいて、「受け取らない」だの「お礼を言わない」だのと文句を言うような無神経で恥知らずな人間は地獄に堕ちろ、と思うのである。
お前のエゴで私を強姦するな、と思うのである。
これがタイトルにあるとおり、時節の贈り物と既読スルーと呼ばれる行為に通じる現象である。
(ちなみに僕はLINEなるアプリケーションをインストールすることさえ嫌っているから、あまり意味を理解していないかもしれない)
たとえば相手をねぎらったり、おもんぱかる内容のメッセージであっても、それを送るのは自分のエゴである。
自分の中で発生した欲や決定した意思である。相手に責のないことである。
心配していようと、思いやっていようと、自分のためのメッセージである。
だから仮に、返信(感謝の言葉や、現状の報告)が欲しいと思っていたら、それは自分のための欲である。
とくにねぎらいの言葉や睦言程度のものであるならば、受け取ってもらった、読んでもらっただけで目的は果たされ、僥倖のはずである。
しかしそこで返信がない(さらにいえば「自分の思ったとおりの理想的な返信」がない)と憤ることは、自分の欲に任せて強姦しておきながら「どうしてこんなに僕が君を愛しているのに、君は僕をなぜ愛さないの? それどころかなぜ泣いて拒絶するの?」と言うことと一緒である。完全に狂っているのだ。
ストーカーが意中の相手にプレゼントを贈る。
贈ったら、相手がそれを受け取ってくれた。
自分の醜いエゴを相手が快く受け容れてくれた。
なんという寛容。
なんという愛情。
それが僕に対してだけの受容であったとするならば、僕が完全なる愛されキャラの証ではないか。
つまり僕は愛されているのだから、ナニをしたって許されるに違いないだってプレゼントを受け取ってもらえたのだから僕は愛されているのだから僕の愛に応えてくれないはずがないそれどころか僕の愛をもっと求めているに違いないそれならば僕は僕は僕は僕はもっとこの愛を伝えた方がよいに決まっていてそうしたら相手は必ずその愛に応えてくれるに違いなくてああなんていう幸せなのだろう僕は僕は僕は僕は。
── ざっとこんな感じ。
プレゼントを贈って受け取ってもらうことを履き違えるって、とんでもなく恐ろしい。
つまりプレゼントを贈ることって、その時点で相当に恐ろしい。
それらのプレゼントは自分が相手に与える愛情のように見せかけた、愛情を求める餓鬼の精神の具現である。
自分の手だけで埋まらない自己愛の穴を、誰かに満たして欲しいというエゴである。
そしてその無自覚な自己愛を自分の求める相手が埋めるのは当然であり、埋めない相手は非常識で排斥すべき敵であると見なす幼稚で愚劣で独善的な醜い欲である。
だから。
相手がプレゼントを受け取らなければ人は傷つき。
相手がお礼を言わなければ人は憤り。
相手がプレゼントを捨ててしまうと人はショックを受ける。
なぜなら。
自身の愛するいちばん大切な自分が拒絶され、
自身の愛するいちばん大切な自分の好意をないがしろにされ、
自身の愛するいちばん大切な自分の痕跡を消されるから。
恥を知れよこの醜いエゴイストども。
悔い改めよこの愚鈍な強姦魔ども。
己の自己愛を満たすために「優しくて思いやりがあって愛情に満ちたワタシ」という強者を演じて「施しを受けてワタシに跪くべき弱くて醜いアナタ」という劇場を作るな。
哀れな自己愛の飢えを満たすために他人を道具にするな。他人を喰いものにするな。
>>>
念のために補足しておくと、僕は親しい人(だいたい友人くらいの親しさ)からもらったプレゼントは大切にしている。
そもそも知り合う段階で、僕には「プレゼントしづらい」「めんどくさいヤツ」オーラが漂っているはずだから、もともとプレゼントを受け取る機会がほとんどない。
にもかかわらず、そのハードルを乗り越えて贈られる品々とそこに込められた情念は、食べ物のような消費物であったとしても、ただただ飾るためのオブジェクトだとしても、私にフィットする。しないはずがないのだ。
>>>
自分の身の回りのモノを買うときだって、自分に対して贈り物をするのと同じだと考えれば少しは変わるのではないだろうか。
気に入ってもらえれば嬉しいし、それを大切にしてもらえたらもっと嬉しい。
だから自分で「本当に気に入って」「本当に大切にできるモノ」を自分に贈るのである。
すると贈った自分も、贈られた自分も、満たされる。
自己愛というのは、些細な自身に対する思いやりの集積である。
それは尊大に他人に対してつまびらかに誇示する類のものではないし、そもそも自身の価値とは他者に認めてもらわないと完結しない類のものではない。
だから自己愛が満たされれば、それが溢れて他人の器に流すこともできるようになる。
たったそれだけのことなのだ。
ために自分を卑下する必要もないし、虚飾する必要もない。
自分のことについて嘘を吐く必要はないし、他人に嘘を吐かせないようにすることもできるようになる。
>>>
この「他人に嘘を吐かせる」ことについて多くの人は鈍感だ。
「嘘そのもの」に敏感になるあまり、「嘘を吐かせた原因」については思考が至らないのだろう。
「嘘を吐かれること」がストレスなために、その原因を見落としているように思える。
結果的に、嘘を吐く人間が悪くて、嘘を吐く原因は野放しになるから、この社会から嘘がなくなることがない。
「人をして嘘を吐かせた原因」が、嘘を責め立てる自分自身のエゴだとしたらなお、嘘を吐かれた上で自身の抱えたその罪を認められる人がどれほどいるのだろうか。見たことがない。
だいたいの正論好きな善人どもは嘘を吐いた人を断罪して終わりだ。
真実を隠しているのはどちらなのかと可笑しくなってくる。
優しくて、心のこもっていない嘘は、単なる欺瞞である。
欺瞞が世界を覆って、経済を回しているのではないかと、ときどき思うことすらある。
自己愛で満たされていれば、他人に嘘を吐く必要は感じなくなるし、他人に嘘を吐かせることを申し訳なくも思う。
プレゼントを相手のために贈る? それは嘘でしょう。
自分のためでしょう。
それなのに、どうして相手に感謝を強要するのでしょう。
そんなにあなたは、穴だらけだった?
注いでも注いでも、漏れ出てしまうから足りないくらい。
そんな不完全な器だった?
// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
-青猫α-/-黒猫-/-BlueCat-
[InterMethod]
-Algorithm-Blood-Diary-Ecology-Interface-Link-Mechanics-Style-
[Module]
-Condencer-Connector-Convertor-Reactor-Transistor-
[Object]
-Human-
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
-夢見の猫の額の奥に-
//EOF
