人間は、自身に合わせて環境を構築するが、その能力を飛躍的に向上させたのが道具の存在である。
外敵を排除し、雨や風、暑さや寒さを和らげ、食品加工のバリエーションを豊かにし、加熱処理によって毒性を減じた。
人間は、貧弱な肉体のまま環境に適応してゆき、その力をより大きく、精度も高めた。
それでもなお、人間にとってもっとも有用な道具は人間だった。
群れを作り、社会を構成する動物は他にもあるが、人間の持った道具という概念は、同胞を道具にする思考を生み出した。
動物や昆虫のような本能ではなく、しきたりや契約、当事者同士の力関係によって、支配者層と奴隷層が生まれ、人間は人間を道具とし、人間の道具となった。
それは社会を社会たらしめ、発展させる基盤となった。
今日の役に立ちそうな話はここまで。
さぁ、よい子は家に帰って眠る時間ですよ。
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目覚めたら、さほど暑くなかった。
気温が体温より低くなったのである。
ゆえ、チェーンソウをとうとう稼働することにした。
納屋の前には切り落とした枝がいつくか散らかりっぱなしである。
オイルを注いで稼働させてみる。
思ったより回転は遅く、切れ味も格別良いわけではない(そもそもいつ替えた刃なのか不明である)が、安定してラクに木を切ることができる。
少なくとも、手動のレシプロソウ(普通のノコギリ)よりはラクである。
ついでに薪ストーブ(という名の焼却炉)もフル稼働である。
まずは前回の灰を掻き出して。
木製の使わない家具や段ボール(最近の古紙回収車はこれを拒否する)を分解して焼却できる。
もちろん納屋の前に積まれた枯れ草も燃やす。
燃やしながら、大きく育ったキュウリ1本とオクラ2本を収穫し、表庭に育ちつつあるいわゆる雑草と、横庭に繁々している猫じゃらしどもを抜いてゆく。
水分を補充しつつ、一輪車2台分まで。
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草の根を分ける、というと、
地道な聞き込み調査。
首を傾げる商店街の八百屋の主人。
夜の街を走る新人刑事。
殺人現場。ヒツジのような鑑識の群れを手刀で切り開いて奥に進む神妙な顔つきのベテラン刑事。
ビル群に沈みつつある夕日を、ブラインドに指を挟み広げて顔をしかめる刑事課長。
夜の街を走るパトカー。
そんな風景が浮かぶかもしれない。
そんな風景が浮かぶのは、間違いなく昭和生まれか、西部警察の再放送を見たことのある人間だけだろう。浮かばない人の方が多いことを理解した方がいい。
庭のいわゆる雑草を抜くとき、自生している可憐な花をつける草についてはなるべくそのままにしているのだが、どうしても誤って抜いてしまうことがある。
そのときに草の根を分けて「こっちは抜いていい猫じゃらし。こっちは抜いていけない可愛い子」としてしまうと、実に草取りが楽になることが分かった。
つまるところ草の根を分けるというのは、辞書にあるように「あらゆる手を尽くして、隅々まで捜す」というのではなく「最初からそうしておけば労少なくしてこうかはばつぐんだ!」ということのようである。
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家庭菜園ティスト1年生の僕からすると、専業農家というのはもはや雲の上の存在(物理で?)である。
よく、農家の人は土地に縛られるという。
悪くいえば執着している人もいるだろう。
年齢を重ねて、誰も耕すことさえなくなったその土地を手放さないのは、ときに愚かにさえ感じられると僕などは思っていたものだ。
しかし土を作り、生態系をコントロールしてゆくこと(その結果として、作物が手に入るの)が農業だとするならば、たしかに自分の先祖が大事に育てて、自身も大切に使ってきたそれを手放したくなくなるのは必然なのだろうと、合点がいった。
その場合、土地というのは不動産ですらなくて、土であり、菌類や昆虫、雨や風や気温、水質、動植物の棲息圏をまるっと含んだ大きな装置であり、簡単に替えがきくものではないのだと納得できるのだ。
もっともここまで天候が変化し、外来種の生き物に脅かされたりもするようになると、それまでは最適だった道具が、何の役にも立たなくなってしまうこともあるだろう。
何より、荒れ放題にして使わない道具なら、捨てるなり譲るなりした方が良いこともあるようには思うが。
人間の執着というのは、基本的に、どうしようもないものだ。
益体のない、といってもいいかもしれない。
しかしそれこそがときに、その人の自我の輪郭を形成するわけで、まぁでも、ボクはそういうの、要らないかなぁ、とか思いつつ。
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休憩時間に畳を一枚、持ち上げてみる。
とても重いが、無理な仕事ではない。
(これでも某有名運送事業者で1年くらいは働いたのだ。身体を壊したが)
畳の下は、安い板張りで、まぁなんというか、そっと畳を置いた。
板張りにするには大量の板を輸送する必要がある。
するとそのためには軽トラの入手を急がなくてはならない。
軽トラを買いに行くのが、なんとなく面倒である。
いつか行けばいいんじゃないだろうか。
ユルユルな現場監督を叱咤する人がどこにもいないことについて、しばし空を仰ぐ。
もちろん、空は何も答えてくれない。

