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// TimeLine:20200806
// NOTE:
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TITLE:
なぜ本を読むのか。
SUBTITLE:
~ Flight. ~
Written by Bluecat


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::私を見て ── 。
 顔を上げて私を見て。下ばかり向いてるから五線譜の檻に閉じ込められちゃうんだ。
 大丈夫。君ならできるよ。
 ずっと昼休み聴いてたでしょ。譜面はいつも目に入る所にあったでしょ。
 私達ならできる。

 モーツァルトが空から言ってるよ「旅に出ろ」って。
 旅の恥はかきすて。おもいっきり恥をかこうよ、2人で。




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//[Body]
 僕は数学嫌いだった。
 なのに30代半ばにしてある日突然、三角関数を理解し(急に座標系がアタマの中に降りてきたのだ)、微分積分を学び(とても情緒的な関数だと今の僕は思う)、今は経営と経済の本を読んでいる(無職のくせに)。

 弟子は言う。何故ですか、と。
 何故、嫌いなものを ── ときに嫌悪し、憎悪さえして、復讐を企てていることもあるというその対象を ── 学び、理解しようとするのですか、と。
 それは「何故、学生の時は真面目に勉強せず、今頃(仕事もしなくなって)」という意味もあるのだろう。

 それは小学2年の時に、僕が算数に感じたことと同じ疑問だ。
 四則演算までならともかく、分数以降の算数や、合同、相似、比例、角度の法則といった幾何や証明を解く能力が、いったい実社会で何の役に立つのだろうかと。
(僕は幾何や証明が好きだったが)
 マーケットに出かけて、1本66円のキュウリを3本買うのと、3本セット200円のキュウリを買うのとどちらが得で、500円を出した時のお釣りがいくらになるか分かればいいのではないかと。
 僕はそう思っていて、だから。普段の宿題なんてものはまったくしなかった。
 それでも授業をおおむね理解できて、成績も上位のことが多かった僕は、ちょっとした神童だったのだろう。

 現に、四則演算より以上の概念を学ぶ必要や価値を、明確に示してくれた教師はいなかった。
 僕は自分の心のままに、すべての価値を決めることができた。

>>>

 人は(あるいは僕のような猫が)なぜ本を読むのか。
 それは、本を読むことで少しずつ、自由になることができるからだ。
 知識を増やし、経験則を集積し、普遍の法則を知り、ありきたりな人間の機微を知る。
 そしてヒトは、己以外を知る。すなわちそれは他者との境界を知り、己を知ることでもある。

 自由とはなんだろう。
 それは己を知り、己の居る位置を知り、己以外を知り、それらの運動を見切ることだ。
 それを完全に理解できれば、自身の次の一手が見えるだろう。
 未来予知のように、物事の今のありようと、将来の姿が見えるだろう。
 何をすべきで、何をしてはいけなくて、何ができるか、その幅も見えるだろう。

 己の意志を知り、それを体現するための立ち居振る舞いを、思い描く通り完璧にできるならば、それが舞であろうと、斬撃であろうと、なすがままにあることができるだろう。

 人目を集める時には完全に収束し、人目を忍ぶときには気配さえ感じさせないことができるだろう。

 あるがままにあり、思うままに無いことができる。
 それが自由だ。
 つまり強くあり、美しくあること。
 そして弱くあり、醜くあること。
 それが自在であること。

 葉が枯れ落ちる道理を知らぬものには、その葉を捉えることができない。
 だから不自由の道理を知り、不自由に染まらない必要がある。
 自由の道を知り、自由に溺れない技術が要る。

>>>

「自己啓発本叩き」があって久しい。
 なんでも「そういうもの」を読む人は、読んだ直後は自分がちょっと凄くなったような気分になれて、にもかかわらず大抵は即実行するような気概がないから、結局日常が変わらず、自己啓発本ループによって、宗教的な、あるいは薬物中毒的な多幸感に浸っているだけの、作家と出版社のエサでしかないと腐す運動である。

 たしかにそれはそうである。
 アタマで理解できても、それを「自分の日常に行動として組み込む」というのは、簡単ではない。

 僕自身、今でこそ普通に、飲食店やコンビニのトイレ掃除を当たり前にするし、レジでのコミュニケート(こんにちは、お願いします/◯円でお願いします/恐れ入ります/ありがとうございます)や、飲食店の注文時のコミュニケートを当たり前にしているが、最初は恥ずかしかったし、挨拶することさえろくにできなかった。
 5回に1回くらい挨拶できるようになって、少しずつその回数を増やして。
 今ではマイバッグを出して「こちらにお願いします」と声をかけ、お財布を出しながら「えーとそしたら……」なんて前振りまでしている。

 僕はそれを本から学び、そして自由になった。
 たとえば汚れたトイレを目にして用を足す不快感から自由になった。綺麗なトイレで心地よく用を足せる。

 機械のように他人を使役するとき、人はただの機械になる。
 だって、自販機を前に挨拶や世間話なんて、みんなしないでしょう?(僕はするけれど
 黙々とお金を入れて、黙々と目的のものを手に入れる。
 自販機を前にして、人は「ただ買う機械」になる。
 それはそれで問題ないけれど、相手が人間だったら、本来は違うはず。

 僕はそこにいる人を、単なる道具や機械ではなく人間として扱う。
 人間ということは、親がいて、友達がいて、今の体調や気分の良し悪しがあって、悩みや夢や理想があって、想いや願いや希望があって、絶望や悲しみや閉塞感があって、笑う時があれば涙を流すことがあって、褒められれば嬉しくて、けなされれば悔しくて、大切な人や憧れる人がいて、苦しい記憶や楽しい思い出があって、好きな人がいて、そういう人とずっと一緒にいたいと思っている人なんだろうな、って思う。

 そんな人を相手に、タッチパネルから料理を注文して届いた料理をただ黙って受け取るとか、買い物カゴをどんっ!て渡して黙ってお金を払っていそいそと立ち去るとか、そういうことを僕はしたくなかった。
 そんなことが当たり前だった日常は、だから、僕自身をひどく不自由にした。

 僕は機械ではいられなかった(猫だ)から、僕以外の人間が、人間に見えてしまった。
 時世があって、だからレジでのやりとりは最小限にはなったけれども、それでも僕は挨拶をし続ける。
 相手が僕を単なる「財布と商品を持ったユニット」と思っていようとそれは構わない。

 コンビニなどでドアを開けて通路を譲るとき、相手が会釈もせずに通り過ぎることを、僕は快く思う。
 譲りたくて譲っている僕の誘導に従ってもらえて、僕は嬉しいからだ。
 お礼をしたり会釈をされても、それはそれで快くいられる。
 誘導に従ってもらえる時点で僕は満足なので、ついお礼を返しそうになったりしてしまうが。

 何かを譲ったり、贈った時にお礼や挨拶がないと怒る人がいる。礼儀を知らないという、それはそれでもっともな理由でもある。
 けれども、誰かに何かを与え、受け取ってもらうのは、その時点ですでに満足のゆく結果ではないのだろうか。

 僕は子供の頃から年賀状の返事も出さず、プレゼントを交換したこともない。
 贈られたときは貰いっぱなし。
 贈るときは贈りっぱなしである。
 お歳暮やお中元のように、世俗が集中しているときだからこそ手に入るものもあるが、僕は基本的に天邪鬼なので、そういうものは無視し続けている。
 そうこうするうちに世俗でも一般化されたようだ。

 プレゼントも、思いついて手に入ったら贈ってしまう。それでいいと思う。
 何より、物を贈るより、何かを一緒に体験することで楽しんでもらうのが好きである。

 たとえばベーコンの肉をベランダに干してある風景は、普通はなかなか見られない。
 燻煙が目や鼻に滲みること、作りたての燻製は、実はさほど美味しくないこと。
 揚げたての厚揚げが、とんでもなく美味しいこと。
 それを作るのは結構、大変であること。

 僕自身、物をそれなりに持っているけれど、結局、その物で何を体験できるか、どんな時間を過ごせるかが大事なのだ。
 焼却炉を買ったら、草や土を燃やして、灰を畑に還して、どんな変化が生まれるか、この手で作って体験したい。

 道具は、その道を切り開くモノでしかないのだ。

 だからモノありき、礼儀ありきになってしまえば、人の心は居場所を失うことがある。
 何より何かを人に譲ったり贈ったりすることは、ある種の強制をしているのだから。
 そういう謙虚さのない人間ほど、贈った自分が偉いと勘違いして他者を責める。まったく恥知らずなことである。

>>>

 僕は自分が自由であり、機械ではないことを確認するために、人を人として、僕よりもよほど人間らしい存在(事実そうなのだが)として、対応する。

 僕はそれをひとつひとつ、本で学んだ。

 たとえば自己啓発の本で学んだことを、すぐに実行できない人も多くいるだろう。
 それでも、読まないよりは読んだ方が、何かを知る機会は増えるし、考える機会も増えるだろう。すなわちその葛藤は、自分のありようを変える種だ。
 もともとできる人が、できない人を揶揄するぶんには仕方ないかもしれない。
(あいつ、読む本だけは立派なのに、やっていることはいつまでも変わらないな)とかいったふうに。

 しかし完全に完璧にできる人が、果たして「道の途上にある人」をそのように揶揄するのだろうか、と僕は考えてしまう。

>>>

 親や学校が教えるべきだとする風潮も、僕はちょっと疑問に思う。
 親というのは、その大半が、やはり「道の途上にある人」だ。
 それに対して、子供は親を絶対的なものとして感覚せざるを得ないように思う。
 もちろん「親といっても、私はそれほど優秀じゃないからねぇ」なんて言っていると大人を舐めて掛かるような阿呆になることもあるわけで、その辺りの匙加減は実に絶妙だ。

 たしかなことは、親は(物理/遺伝/経済的に)絶対かもしれないが、親の教えは絶対ではないということだ。
 とくに義務教育以降は、完全に他人だろう。

 学校に至っては、単なる教育機関であり、それこそ自販機なのだ。
 機械の中に自分の子供を押し込めて、これは人間なんですと言い張る自身の機械化した思考を知れと僕は思う。

 いずれにしても人間は、最初は不自由であるべきだろうとは思う。
 そして実際に、物理的な部分や経済的な部分で、子供は不自由だ。
 大人がいなければ、大人が危険な範囲を囲って守らなければ、迷ってどこかに落ちてしまうこともある。
 だから、大人は子供を不自由にしなくてはならない。それこそは義務だろう。

 その押しつけられた不自由を、切り開いて、探究して、新しいものを作ったり、考えたこともなかった気持ちを知ることが、自由なのだと思う。

 たとえば山奥の、満点の星空を見て「じんましんみたいで気持ちわる〜い!」と嫌悪する自由。
 オナラの匂いを嗅いで「やだうんちくさ〜い!」と言って笑いはしゃぐ自由。
 キャンプ場で作った料理をして「不潔で食べたくない」と泣いて拒否する自由。
 綺麗なものを見て「綺麗だ」としか言えない、言わせない、思えない、思わせない不自由から、飛び出したっていいのだ。
 人が嫌悪するものを見て、心惹かれて、それを愛でて集めてもいいのだ。

>>>

 僕はたまたま親が自営業で、離婚したあとは尚更のこと、躾らしい躾をほとんどされなかった。
 正座と、箸使いくらいだろうか。

 周囲との文化の違いに悩まされたこともあったけれど、思い込みに操作されている人や子供の姿を見ながら、僕は僕のありようを考えることができた。

 人の心の機微は、やはり苦手だけれど、たくさんの物語が、僕の記憶を彩っている。

 宇宙の物理法則は、驚くほど無個性に協調性があって、幾何学模様のように美しい。
 数学という見えない概念は、それを舞台裏で支えているのだ。

 人間の心にも法則性があって、だから、人間社会にも法則性がある。

 大事なことは、法則そのものを嫌わず、理解してあげること。
 そして、だからといって盲目に従う相手ではないと知ることだろう。

 僕らは空を飛び、遠く離れた人と言葉をやりとりしたり、見ているものを共有できる。
 これらの魔法を、この世界は科学によって達成した。

 魔法にだって、様々な制約や法則、禁忌もある。
 ひとつだけ確かなことは、学ばぬものに自由はないのだ。

 僕はもっともっと、僕自身からも自由になりたくて、だからあれこれ考えてしまう。
 好きなこと、好きな人、好きな言葉、好きな物語、好きな気持ち、綺麗と感じるすべて。
 あるいは嫌いなこと、嫌いな概念、醜悪ななストーリィ、嫌いだという気持ち、嫌悪し、憎悪し、この世から消し去りたいそのすべて。

 もっともっと、好きなものからも嫌いなものからも切り離されて、自由でいられるように。









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:: ── 天真爛漫。奇想天外。ジェットコースターみたいに僕は振り回されてばかり。
 この人自身が、行き先のわからない旅のよう ── 。

 君は自由そのものだ。

::違うよ。
 音楽が自由なんだよ。

 さあ旅に出よう。
 サン=サーンスが私達を待ってるよ。



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[出典]
~ List of Cite ~


 引用は、
「第5話 暗い海」(文頭部:p.20-23) (文末部:p.25-26)
From「四月は君の嘘 第2巻」(著作:新川 直司 / 発行:講談社)
 によりました。





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[NEXUS]
~ Junction Box ~
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[Engineer]
  -青猫α-/-青猫β-/-赤猫-/-黒猫-/-BlueCat-/-銀猫-

[InterMethod]
  -Algorithm-Diary-Engineering-Form-Life-Link-Love-Mechanics-Stand_Alone-Style-Technology-

[Module]
  -Condencer-Connector-Generator-Resistor-Transistor-

[Object]
  -Camouflage-Human-Tool-
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[Cat-Ego-Lies]
-衛星軌道でランデヴー-:-いのちあるものたち--夢見の猫の額の奥に-



//EOF