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// TimeLine:20200627
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TITLE:
お近付きのしるしはありません。
SUBTITLE:
~ Its mine is mine. ~
Written by Bluecat
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ひと月ほど前からうすうす感じてはいたのだけれど、食欲不調を起こしているらしい。
味覚や嗅覚はそれなりにあるので、何かを食べれば味がするし、消化することで身体が疲れるから、体調のリズムも生まれる。
それでも空腹を感じないし、満腹感もない。
1日1回から2回、食事をする。
料理を作るのは好きだ。
もっともこの季節はうっかりしていて、作ったものが無駄になることもある。
空腹感は主に、血糖値低下による注意力散漫や、軽い貧血、手足の痺れや体温の低下で計っている。
決まった時間で食事をしてもよいのだけれど、日ごとの消費カロリィは運動量などによって異なるし、頭だけ使っている日は糖分だけでも問題がない。いかんせん、僕の燃料効率はハイブリッド自動車よりも優れている。
随分前から、満腹感も感じなくなっていて、ひどい膨満感や吐き気が発生するまで食事をすることもある。
食事の回数がもともと少ないから、適切な量がどれくらいなのか計りにくい。
体調によって、少し食べたらもう食べたくなくなることもあるし、大量に食べて膨満感に苦しみながらももっと食べたい(咀嚼したい、何らかの味を感覚したい、何かを吸収したい)欲求が消えないこともある。
定期的に、身体を撫ぜる必要があるのはこのためだ。
一般的な日本人はスキンシップが少ないらしいが、僕はもともとスキンシップを多く必要とするようで、皮膚接触の信号は他の感覚の自律の役に立っている。
たとえば睡眠時間の安定。たとえば食欲の正常な感覚。性欲にも当然影響するのだろうし、視覚や嗅覚の劣化、毛細血管の梗塞も防いでいる気がする。
そんな文献は見たことがないので一般的ではないのだろうけれど。僕たちの(少なくとも僕の)感覚は、それぞれがそれぞれ、感覚器や身体機能の自律や健常性を保つために相関的に役立っている。
昔から「ガールに背中を撫でてもらわないと」と書くことがあるが、つまりはそういうことである。
ただ、僕は恥ずかしがり屋なので、みだりに人に肌を見せないし、触れさせもしない。
表皮、筋繊維の境目、骨と肉のあいだ、骨の表面、可動接合部、脂肪の向こう側。
過敏な触覚に、みだりに触れられるのは、だからはばかられる。
いずれにしても日々、感覚は希薄になり、やがて次々と消失し、何も感じなくなる。
無感覚は、虚しささえも呑み込んで、この身体をただのオブジェに変えてゆく。
無感覚に身を委ねて眠っていると、僕はやがて餓死してしまうので、だから食事をする。
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僕らは感覚を、能動的に感じている。
機械ではないから、感じようとしたものを、感じようとしたように感じることができる。
だから、補正能力のない旧来のカメラが捉える夜景は、肉眼で捉えるそれより鈍くくすんでいるし、テープレコーダは人の声に温度を感じたりしない。
味覚も、本来の味よりも記憶に補正されて感覚されているし、そのとき身体が求めているものによって、如実に感覚を変える。だから体調が悪いときに、消化能力を必要とする食品は、ときどきひどい味覚をもたらす。
触覚も、十全に全身をスキャンし続けることはできないから、気が付いたら蚊に刺されていたり、アリに上られていたりする。
受動的に、どうしようもなく感覚するもののほうが、もしかしたら少ないのだろう。
つまり僕たちは、感覚を、自らの意思によって、選択的な能動によって感覚している。
同様に感情も、能動的に感じている。
受動的に、どうしようもなく、十全に感覚するような感情も、同様に少ないのだろう。
僕たちは、選択的に感覚し、選択的に感情する。
他者によって、感覚させられていることも、感情させられることも、本来的にはないのだ。
そうした意味において、たとえば自身の中に湧き起こる不快感を、短絡的に誰か(あるいは何か)の責任にして吊るし上げようとしたりする人間は、客観的な観察力が欠如しているといえる。できればお近付きになりたくないタイプだ。
少なくとも僕は、この手の独善的な人間によって、何度か、ひどい経験をしている。
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客観という主観的感覚は、ほとんど先天的な素養があるのではないかと時々思う。
知識の多さも、頭の回転の速さも、機転もさほど影響しない。
自身と他者に対する冷静な(あるいは公正な)洞察によって為されるもののように感じる。
それはどちらかといえば動物的な本能に近い気もするのだが、人間以外の動物のほとんどは、客観性を持たないように観察される。
詳細は省くが、おそらく共通言語がないためだろう。
共通言語は、便利な一方、情報を偽ることもできる。
論理を構成するときにも、多くは言語を使う人が多いだろう(ベン図や論理式を使えば、もっとシンプルな気がするが)。
このとき、言語の揺らぎによって論理が狂うこともある。
けれども感情や主観によって論理を構築していると、答えが自分の中に先にあって、それに対して理論補強する作用を思考回路はもたらしがちである。
こうした場合、出来上がる理屈は主観の域を出ない。
自分に都合の悪いことを考えたり、感じたりすることが、まずできない人も多い。
殺人、暴行、テロ、窃盗、詐欺、その他諸々、社会的に良くないことについても、自分がそれをするなんて考えるのもおぞましい、という人がいる。
(そういう人ほど、TVのワイドショーやニュースが好きだったりする)
起こす前提を考えなければ、予防や対策はできない。
自分だったらどうするだろう、そもそもなぜそんなことをしたくなるのだろう、と考え、合点がゆくことは対策や事後処理の上で重要である。
アタマの中で、自分をどこまでもキレイに保ちたいと願うのは悪いことではない。
しかし、無思慮に他人を踏み台にしつつ、その上、踏みつけた相手にまで清廉潔白な自己イメージを押し付けるに至っては、犯罪に等しいように思う。
地に足が着いていない、とは、そういう人のことだろう。
いい加減、他人を踏みつけにしている事実くらいは自覚してほしいものだ。
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ちなみにこういうことを書くと、読んだ人が傷つくことがある。
私のことではないか? とドキドキするらしい。
断っておくと、僕は、これを読んでいるあなたのことをほとんど何も知らない。
身近には、そういうアタマオカシい人間を近づけないように気を付けているから、身近な人の話でもない。
単に、抽象的な論理を展開しているだけで、身の回りの人や知り合いも含め、誰に不満があるわけでもない。
(不満があるときは、当人にきちんと言います)
前述のとおり、何も知らない人のことだとしても、自己イメージを完結するための踏み台にすることを僕は嫌う。
それでも自分が何か非難されているように感じる人がいるとすれば、その人自身の中に、清廉潔白な自己イメージがあって、それを壊されることに怯えているのだろう。
大丈夫、こわくないよ。
僕は噛み付いたりしないから。
ただ、お近付きにはなりたくない。
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[NEXUS]
~ Junction Box ~
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[Engineer]
-BlueCat-/-銀猫-
[InterMethod]
-Algorithm-Blood-Chaos-Darkness-Diary-Ecology-Engineering-Life-Mechanics-
[Module]
-Condencer-Connector-Convertor-Generator-Transistor-
[Object]
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[Cat-Ego-Lies]
-ひとになったゆめをみる-:-暗闇エトランジェ-:-夢見の猫の額の奥に-
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