あるブログで、コールスローサラダの記事があった。
僕はコールスローサラダをよく知らない。
ファストフードの、付け合わせに、みじんにされた野菜くずのマヨネーズ和えのようなサラダがあって、それがコールスローと呼ばれていて、なかなか美味しい、ということをかつて、恋人(27人のうちの23番目くらい)に教えてもらった。
前橋でよく行っていた店の、春メニューにもざく切り(けっこう大きめに切られた)コールスローがあった。
マヨネーズと酢と胡椒、コーンか砂糖で甘みを出して物足りなければめんつゆでも掛けておけばいいだろうと推測した(我が家に顆粒状うまみ調味料というものはない)。
時を同じくして、高野豆腐の煮物がちょっとしたブームである。主に俺の中で。
ためにテキトーな野菜と高野豆腐の煮物、およびテキトーなコールスローを、かれこれ4日ほど、食べている。
最初の頃はいまひとつな味だったが、野菜の水分を利用すればいいのだと気づいて、塩を少し足した。ライトなピクルスにマヨネーズを加える感じでイメージして。あと、甘さが大事だから、カッコつけないで砂糖を加える。僕は他人が驚くくらい甘みに鈍感である。
このところ、諸般の事情で空腹感と満腹感を喪失している。
全く感じないので、低血糖を認識したら食べて、膨満感で食べ止んでいる。
理由は理解しているつもりなので、現象が収まったら、それについて何か書くかもしれないし、何も書かないかもしれない。
ちょうど2年ほど前にも、この時期に、呪われたようにキャベツを食べあさっていた記録を読む。
春でも冬でもなく、夏のキャベツ。
トマトやキュウリやオクラの走りを食しては、触発されるように、物足りないと言わんばかりに、夏キャベツ。
ただ。
僕は黒酢か、なんちゃってバルサミコ酢しか持っていないので、白くて綺麗なコールスローは、永遠にできない。
醤油マヨネーズのような、マダムの矯正下着のような、ベージュに染まった野菜くずを眺めて、少し呆れたように微笑む。
パプリカ、ピーマン、コーン、オリーブ、ニンジン、そして夏キャベツ。
大きなボウルに作ったそれを、晩と朝とで食べ尽くす。
(高野豆腐以外は野菜か酒なので、目覚めると栄養偏向を体感するから、そういう朝は軽く食べる)
夏に生まれたのに、夏が好きになれない。
この「何人目かの僕」は、きっと冬に生まれたのだろう。
母上のことをよく知っている僕の記憶が、ときどき僕を困らせる。
価値観セットを人格にまで起こしていないからなんとも言えないけれど、彼は多分、夏が嫌いではないのだろう、そんな気がする。
