浮き世は感染症ブームらしく、先日考えていた経済主体の世界認識モデルに、早くも特殊な因子を考慮する段階に突入した。
 突入しただけで、べつに認識モデルを刷新したところで、何がどうなるわけではない。
 僕は世界の支配者というよりは傍観者であり、世界経済における重要人物というよりは日本経済にさえ希薄に関与している程度だ。
 というわけでトイレットロールが残り2ロールなのですが、とくに買い急ぐ気はありません。

 観察者の存在によって初めて世界はそのありようを決定するので、傍観者である僕がフタを開けて観察するまでは、そのありようは二つ以上の状態が重なって存在しているのである。
 すなわちトイレットロールの存在しているトイレと、そうでないトイレと。

>>>

 無職で暮らしているので、税理士や銀行員などに「株か何かをされているのですか」と尋ねられることがある。
 株はしていない。
 株をしている方からすると、あれは投資行為であり、社会貢献であり、経済活動であり、ギャンブルではないらしいのだけれど、僕にはどうしてもギャンブルに見える。
 データを集めれば動向が読めるというけれど、そうした特性は競馬や競艇にだって存在するし、パチンコだってあるだろう。ないのかな。

 ことほど左様、僕はギャンブルをしない。
 たまに人に誘われたときに、馬やボートをしたことはある。
 でも小銭しか賭けないし、勝っても負けても、あまり熱が入らない。
 僕の熱量は、リアルマネーでは発生しないらしい。

 僕は20年くらいTVをほとんど見ていないからCMも見ない。
 モノを買うことが1番の投資活動だと思っているので、良いと思った会社の、良いと思ったものを買う。
 僕がとくに力を入れているのは純石鹸だ。
 あれがなくなると、毎月石鹸を作る生活になってしまうだろう。
 食器も石鹸で洗うし、お風呂も石鹸ひとつで足りる。
 ボディソープやシャンプー、食器洗剤は肌が荒れるのでダメなのだ。
 一時期は洗濯洗剤も液体石鹸にしていた。
 最近は、マグネシウムと少なめの洗剤で驚くほど落ちることを(遠い街の、金物屋のおかみさんに)教えてもらったので、そのようにしている。

 ただ、洗濯洗剤は困ったもので、成分を見ても分からない成分が多く、時系列による変化も乏しいので、見ただけでは化学作用が理解しがたくなってきている。
 容器や名前やパッケージばかりが刷新されていくが、明らかに前のバージョンのほうが良い製品だったこともある(どの銘柄とは言わないが)。

>>>

 定職に就いていないと、時折、世間の目が冷ややかである。
 定食にライスが付いていないかのような冷ややかな視線を感じることがある。僕はライスなのか。
 いっそ「専業主夫なんですぅ、おほほ」とか言ってその場を切り抜けてやろうかとも思うが、銀行や税理士、司法書士は僕の素性を知っているから「配偶者いねーだろ!」と叱られるかもしれない。
 かろうじて僕がまともに人間のフリをしていられる(周囲からの冷遇が耐えられる範囲に収まる)のはスーツしか服がないからという極めて消極的な理由に起因しているとしか思えない。
 スーツを着ている人を「この無職が!」と罵る人は少ないように観察される。言わないだけかもしれないが。

 先日も、おこづかい稼ぎの飲食店に出かけたとき「猫氏、どこに住んでいるんですか」と尋ねられ、住民票住所と実住所が一致しない時がある、と答えたところでハッとした。
 僕は現在、住所不定無職なのである。

 経済活動にあまり積極的に携わっていなくて、居所不明瞭なのである。
 これで車両一時不停止だとか、シートベルト非装着などでお巡りさんに捕まったら、完全に重犯罪者扱いされかねない。
「住所不定無職」には、そのくらいの重みがある(ような気がしている)。

>>>

 とはいえ先日、司法書士さんから連絡があって土地建物の名義変更が終わったので、火災保険の変更手続きをしてくれと言われた。
 至極ごもっともであるが、僕は、僕の介護対象者の家にあまり馴染んでいない。

 名義が変わったとか言われても、他人の家にお邪魔している感は否めない。
 だいいち、未だに何がどこにあるのか分からないことも多い。
 数ヶ月、介護のために住んだ(転職までして住んだ)ことがあったが、私のややこしい介護対象者から追放された。
 介護は継続せざるを得ないが、数時間掛けて通勤し、帰宅し、休日は介護の往復に数時間掛けているうち、身体を壊した。

 住民票は、介護対象者であった伯母と伯父の家に移してある。
 これは(実子でもなく、介護事業者でもない自分が)介護をするのに、手続き上、便利だったからであるが、郵便物に「〜様方」が付いていないということだけでも何度となく嫌みを言われ、説教された。
 できる限り手は打ったが、市役所などからの文書はどうしようもなかった。
「〜様方」という住所は存在せず、ために僕の住所は「〜様方」で終わるものではなく、ゆえに「〜様方」と表記されず。
(同一世帯として住民票を移せば違うのかもしれないが、そんなことをしたらしたでややこしい展開になることは容易に予測できた)
「〜様方」という姓でもないから、僕の住所氏名に「〜様方」という表記は一切存在せず「我が物顔で家に住み着こうとしているようで気分が悪い」とまで言われたこともある。

 住所が違うと、介護施設や病院の手続きで、少々手間が掛かる。
 何より救急搬送されたとき(何度かあるが)に、実子でもなく、姓も違って、住所も違うと、本人に代わっての意思決定がほとんどなにもできない。
 本人の意識がしっかりしていれば問題はないが、意識不明で昏倒しているところを発見されたなんてとき(1度あるが)にはどうしようもない。

 しかし、そんなことはお構いなしに嫌疑を掛けられたので、こちらも気分が悪いから(そして自分の住む場所は引き払っていなかったから)元の家に戻ったというわけだ。
 私も大人気ない(著しく「にんきがない」のでも「ひとけがない」のでもない)のかもしれないが、伯母と伯父も相当だったとは思う。

 そのようなわけだから、死後も諸般の手続きは(自分の貯金を切り崩して)進めたものの「はい、あなたの名義になりました」と言われたところで最初に思ったのは(キャンプファイアでもしようかな)である。物騒だし、犯罪なのでしないけれど。

 しかし問題は、無職であっても不動産を持てば税金が掛かるというシンプルかつ切実な現実に直面することである。
 考えたくないから布団にもぐって寝て過ごしてしまおうかと考えているうちに車が壊れた。
 17万キロも走っている軽自動車であるから、いつ壊れてもおかしくなかったのだが、さすがにこのタイミングはまずいのではないか。
 少なくとも、車を買い替えるタイミングとしてはあまりオススメできないのではないか、と考えている。
 それに僕は無職だ。このタイミングで何か大きな買い物をしようものなら、それがたとえ自分の貯金であったとしても(あれぇ?)と言われる気がしないでもない。
(まぁ、貯金は葬式でほとんど使ってしまったが)

 ゆえにブログで「新しい車を買ってしまった。買わざるを得なかった」という文言があった場合はお察しである。
 また「住む場所がひとつになった」の文言も意味深である。様々な可能性が考えられるが、今はあまり考えたくない。
(住む場所がひとつもなくなった、よりはいいかもしれないが)
 引越しをする気力が、今の僕にはないのだ。
 あの家この家を渡り歩いて往復して、そのうち車が壊れて、法的なあるいは事務的な手続きをしているだけで疲弊しているのだ。
 その上、墓仕舞いまで頼まれている。

 死人に口無しとはいっても、伯父が寺の檀家の総代の役員だったので、墓を放置しようものなら他の誰かに追い回される気がする。
 人間の社会は本当に面倒である。

 全部片付いたら、公園生活者になろう。
 住所不定無職。
 ネコとハトだけが友達だ。
 野生の生き物はすべて、住所不定無職なのだ。
 さほど珍しいものでもあるまい。

 あと週に数回電話を掛けてくる弟子と、たまに連絡が来る大学生の飲み友達と、月に数回食事に誘ってくる妹や姉が面倒だ。

 電源コンセントの付いたトイレのある公園を探そうそうしよう。

 そんなことを考えていたら弟子から電話があった。
「1年無職なのに、そのうえ住宅を入手して税金に頭を悩ませてる人を見たのは初めてです」と会計士見習いの彼は言う。
 私もこんな経験は初めてだし2度としたくはないのだ。

>>>

 なるべく家から出ないで生活している(そしてそれが容易である)ので、花粉症の症状も軽かった(コルカタの旧名ではない)。
 しかしここ数日の気温と風で、少しずつ症状が重くなってきた。
 そうはいっても、いまの僕は以前ほどストレスの高い状態ではない。
 このまま無職を続けていたら、計らずも長生きしてしまう可能性だってある(多分ない)。

 経済ベースの社会モデルは、すでに人の手による恒常性の限界を越えようとしているのかもしれない、特にこの国では限界すれすれの手法を使ってきたわけだから。
 純国営の銀行ではないところが大きな権限を持ってあれこれするという(少なくとも今の僕には)不透明なメカニズムは、官民の間を泳いでいられるうちはよくても、両方から圧力の掛かる状況になると弱いのかもしれないし、そもそも自律的恒常性なんてものが経済という仕組みにも存在するという前提が崩れることを恐れている人も少なくはないのだろう。

 こういうとき、株をしている人を「それ見たことか」といじめる人がいるが、あれもよく分からない。何かやっかむところがあるのだろうか。
 相対的に得をしている、と考えるもよし、株をしている人ならば「タイムセールだ!」と株を買い足すもよしだろう。
 乱高下を繰り返すタイミングでうまく振る舞えば、きっと儲かるのでしょう。どうにもギャンブルっぽいけれど。

>>>

 そろそろ真面目にPCの買い替えを考えなくてはいけない。
 嫁である Mac Pro はOSのアップデートなどとうにできなくなっているし、もうあちこち壊れていて「beatless」(SF小説です)の終盤のレイシアみたいになっている。

 Macのほうが馴染みはあるけれど、現行のMac Pro は高いし正直オーパスペックではある。
 といってミドルクラスのタワーマシンが存在しないので、マルチモニタを活かすには、複数の Mac mini を買って並列化するしかないかもしれない。
 iMac だとモニタがさらに増えることになるので対象外にしている。
 何よりメーカーが計画的パワーダウンを行なっていたのが明らかになったわけ(米国の訴訟のことです)で、そういう企業は信頼しないというのが僕の基本方針なのではある。

 しかしお眼鏡にかなう商品はなかなか見つからない気もする。
 もともと僕はPCを持ち歩きたくない性格なので、どうしてもデスクトップになりがちだ。
 Windows も視野に入れて考えようかなぁ。

 公園生活者になる予定なのになぁ。

 ちなみに「新しいPCを買いました」という文言がこのブログに出てきたときも「お察し」いただければ幸いです。

 そう。
 公園のトイレの電源にコンピュータを繋いでいるに違いないので。