一年ほど前、おかゆすら消化できずに眠っていた期間がひと月ほどあった。

 少量のビタミン剤(規定量では戻してしまう)と白湯で乗り切り、運動機能も回復させ(まっすぐ歩くのがしばらくはむつかしかった)、少しずつ食事も摂れるようになり、一度は大きく減った体重も少しずつ増えていった。
 そして気がついたら、また腹が出てきた。
 
 お腹の贅肉が気になったのは、およそ10年ぶりである。
 30代になったばかりのある日、お風呂で足首を洗おうとして膝を胸に寄せた際に「うぐ!」となって、その日から腹筋をし、3年くらいかけて戻した。
 
 つまりあれからさらに8年前後をかけて、僕は私腹を肥やしたことになる。
 慣用句的な意味とは異なるので私腹(物理)を肥やしたと表記すればよいのだろうか。
 
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 僕は基本的に、他人に自分の身体を見せることを忌避する。
 とはいえ温泉などに行くとパブリックスペースであるにもかかわらず、真っ裸で歩くことには抵抗がない。
 混浴であってもあまり気にしない性質である。
(もっとも、混浴の浴場でやけに気色ばんでソワソワしているのは男性ばかりであるように観察されるが)
 
 僕にとっては、単にお風呂やサウナは皆が裸でいる場所だからという認識なのだけれど。
 
 一方で夏場の一般的なパブリックスペースで、膝から下を露出したり、肩から先を剥き出しにしたり、おへそを出すのは嫌なのである。
 恥を知れ、と思うのである。
 男性でも女性でも、恥ずかしいなぁ、と思うし、見苦しいとも思う。
 
 説明するとちょっと長いかもしれないが、成人がみだりに肌を見せて歩くのは、幼稚なのか、白痴なのかのいずれかであるような気がして仕方ない。
 ムダ毛があるというのはある種の獣性を放置しているということでもあり、体毛が比較的濃い方でもないのに、すね毛などを隠したいと思ってしまう。
 ゆえにスニーカーソックスなんていうのはガキの履くものだと思っている。
 最低でも膝下まで、できれば膝まで隠したいし、膝から上の肌はヌードっぽいセンシティビティを発露する気がして、やはり隠したくなる。
 
 あれを平気で露出している成人というのは、他人の感覚に無神経なケモノか、自意識過剰に若さを見せびらかしたいガキなのではないか、と疑ってしまうのだ。
 
 無論、そういう「プレイ」を楽しみたいという人もいるだろうし、(気候のせいだろう)肌の露出に無頓着な東洋人は多いから、あくまで自律として行なっているだけで、たとえ恋人であろうと、身近な人に注意をしたりしたことはない。好きにすればいいと思っている。
 
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 たるんで出張ったお腹も同様である。
 恋人が27人いた頃は見る者もいたし撫でる者もいたが、今、僕のお腹を撫でることができるのは僕だけである。医者も撫でない。
 それでも僕は、腹が過剰にたるむと不安になる。
 かといって「これでもか〜!」と鍛える精神力もないし美学もないし自己顕示欲も自意識過剰さもない。ナルシストのくせに。
 
 要はなるべく目立たないことによってナルシシズムが満たされるのね(口調が変)。
 変に目立たないことは、美しいことだと思っているから、SNSで目立ちたくないし、日常生活でも人目を引きたくない。
 一方で、レストランとかに(友達もいね〜からよ)1人で出かけて、フロアのど真ん中の席を案内されると「待て〜、俺を主役席に連れてくな〜。どっかにもっと見映えするカポーとかいるだろ〜」と内心毒づきつつも、すました顔で着席するわけです。やっぱりあまり気にしない。
(和式の上座/下座の概念の方が僕は苦手)
 
 見せるものではないけれど、その人の筋肉のつき方とか、神経の細やかさというのは立ち居振る舞いに出るものだから、速すぎず遅すぎず、強すぎずガサツではない居ずまいを保ちたいわけです。
 そんなにしゃちほこばることはないのだけれど、お酒を出す店でナナメになって、肘をついて、よろめいて、他の人の靴を間違えて履いて、トイレを汚してそのままにして、帰り際に人やドアにぶつかって、当たり前の顔をしている成人(オトナかどうかは永遠の謎)もいるわけです。
 
 その店が価格的に高かろうと安かろうと、そういう人は一定の割合でいて、それこそだらしないなぁ、と、部屋の掃除を3ヶ月していなかった僕は思うのです。家の中がゴミだらけになっている僕は思うのです。
 だらしない人たちが家族連れの場合、まぁだいたい全員がひどいものなので、観察しているととても楽しい。
 
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 見せるわけでもないのに体型をコントロールするのは、20代の頃、アルバイトをしていた飲食店の店長の言葉があったからだ。
 
「青猫くんは、体型が綺麗だから安心して信頼できる」
 初めて聞いたときは耳を疑ったものだ。
 当時の僕はまだ入って未経験から2ヶ月くらいしか経っていないひよっこ。安心も信頼も、そもそも1から仕事を教わっている身の上なのである。
 
 それに当時はいくら食べても太らない体質だったので、その旨を説明したところ、
「病的に太ることと病的に痩せることは同じだから、バランスがよければいいんだ」と言われた次第。
 当時は僕も若かったので、イマイチ理解できなくて(なんで? なんで? 痩せてるのと太ってるのは真逆やーん!)と質問したところ、
 
「病気でもないのに病的に痩せていたり太っている人間は、自制ができないというのが一点。
 ついで、自意識過剰で自分の欲求や自分の理屈ばかり考えがちなのが一点。
 周りが見えないから美的センスも自己認識も歪んでるのが一点。
 
 僕らの仕事は、お客様に心地よく過ごしてもらうことだ。
 コモンセンスが分からない人間には務まらない。
 
 一方でお客様にはいろんな人がいる。
 短い昼休みに来てくださるサラリーマンもいれば、近所のお母さん友達(今でいうママ友)と子供を連れてゆっくりしたい人も来る。
 お金をやりくりして頑張ってやってくる学生のカップルもいる。
 それぞれの人の個別の事情を理解できなきゃならない。
 
 個性はあったほうがいいけれど、個性しかない人間は少なくともこの業界には不要なんだ。
 自制がきかない人間は、そもそも社会人として失格だ。
 僕らは一般のランチタイムやディナータイムに、美味しそうな料理を美味しそうに提供するんだ。心のこもったサービスで、もう一度来ようって思ってもらうのが目標だ。
 自分のことしか興味のない人間は、マナーの悪い客になるのがせいぜいだ。
 
 身体と立ち居振る舞いで、そのくらいは分かるよ」
と。
 
 その店長は、たしか僕の3、4歳上ではあったけれど、(5年経ってもこんな風になれる気がしねい)と戦慄した。
 
 ファストフード店はおろか、ファミリーレストランでも、下手な個人店でも学べないくらいたくさんのことをその人には教わった。
 
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 ために病気でもないのに体型が崩れると、見せるわけでもないのに慌てる。
 背筋がない人間は、背筋が曲がっている。
 飲み屋で椅子の背もたれやテーブル、カウンターに身を任せている人間は、こんにゃくだから人間ではないと思ってしまう。
(オレは猫だけどよ)
 
 おなかの皮が服をだらしなく膨らませている人を見ると「オトナってなんだろう……」と考えてしまう。
 
 汚れたトイレを見ると「これを汚したオマエにも、家族がいるんだろう?」と質問したくなる(黙って掃除するが)。
 
 齢を重ねるうち、以前はまったく必要を感じなかった大胸筋や腹筋、大臀筋、ハムストリングスまで「貧相でない程度の見た目」を保つために必要だと思うようになった。
 ギターを弾くには握力も必要だ(そしてなにより第6弦が必要だ)。
 
 かの人とは、15年ほど音信不通である。
 それでもあの日々に学んだことを、僕は忘れずにいて、体型が崩れるたび、いい加減な所作をするたび、激しく焦る。
 
 引きこもりで週休6日以上の日々なのに、自分の自制度合いをモニタして、筋トレをする。
 
 
 
 緊張感のある良い日々だったことを、幸せに思う。
 
 運動が終わって、お風呂に入ってこれを書いている。
 風呂から出たら、料理を作って酒を飲むだろう。
 
 1人でいて、毎日が本当に楽しいと感じる。