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//TimeLine:20190705
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TITLE:
みとめたくないこと。
SUBTITLE:
~ Unseen something. ~
Written by BlueCat
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190705
潔癖症である。
肉体的にも、精神的にも、倫理的にも、そう「だった」。
流行の言葉で言うと、そういうのは「生きづらい」。
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ちょっとだけ(いつもどおり)脱線してここで感想を述べると、僕は「生きづらさ」とか「生きづらい」とかいう言葉が大嫌いである。
「生きる」のが簡単だとか思うなよバーロ! と思ってしまう。
甘やかでぬるま湯みたいなあたたかい幻想世界の羊水に浸って産まれて来たのかこの能なしが! とついつい辛辣に罵りたくなってしまう。
スズメだろうとメダカだろうとアメンボだろうとカラスだろうとゴキブリだろうとエノコログサだろうと、苦しい思いをして産まれてきて、時に飢え、時に凍え、時に病に伏し、あるいは自らの不注意で肉体を欠損し、あるいは他者の捕食やイタズラによって、肉体どころか命までも落とすことがあるのだから。
なにが「生きづらさ」だ甘ったれんなバーロ! とついつい口汚く罵りたくなってしまうのである。
誰にって、誰かに、ではない。その概念に、である。
(話すと長いから本筋に戻りたい)
>>>
過敏症である。
肉体的にも、精神的にも、そう「だった」ろうと思う。
ガールとぱやぱやしていて、粘膜系が炎症を起こすなんてしょっちゅうで、つまり僕は「ぱやぱやが好きな青猫」を自分に植え込みでもしないと、ガールとぱやぱやする気になれなかった。皮膚接触だけでいいじゃないか! いいじゃないか!
とついつい思ってしまって、言ってしまうかもしれない。
しかし仮に、そんなことを言われたガールの気持ちを考えてもみるがいい。言えるかそんなこと。
それにまぁ、炎症を起こさない、無害な、あるいはソフトなガールもいる。
絶対にダメとは限らない。それにそういうのは、いつもはダメでも今日は大丈夫だよ(はぁと)とか、他の子はだめだけどキミはいいみたい。むしろキミじゃなきゃダメみたい(はぁと)みたいなこともあるわけで、本当に煩わしいと思いませんか?(口調が変)
いや、粘膜だけでは済まされない。皮膚だって敏感だ。
腕枕をガールにして(性行為の有無は関係ない)、腕の皮膚がただれたことが数回ある。
爛れは完治まで数ヶ月に及び、表皮が裂け、体液が滲出し、痛くて痒くて仕方がなかった。
(以前書いたことがあるが、僕の身体で一番敏感なのが、腕である。もうこうなると、敏感どころか過敏であり、過敏を超えて異常だとさえ思える。だから誰にも言わずに過ごしている)
音も、匂いも、光も、味も、触覚も。
自身の体内の脈動さえ、本当に気に障った。
どうしてもっとマイルドにならないものなのかと。
意識しないでいられないのか。
せめて、快適とはならなくてもいいから、気にならない方法はないのかと。
敏感さは、そのまま、潔癖症にまっしぐら「だった」ように思う。
過剰な精神的潔癖症は、独善をして他者を断罪しようとする。
ほら、ネットニュースやY!公式ブログのコメントなどを見ていると「すごく正しいことを、ちょっと狂気的にまくし立てている感じ」の人がいるから、あんな感じだと思えばいい。
僕自身は、ほほえましくそれを眺める。
「ああ、この人、自分の正義が重いだろうな。それとも、自分だけは例外にしているのかな。だとしたら欺瞞になるけれど、そのほうが生きやすいだろうから、最適化なんだろうな」なんて具合に。
子どもの頃はそんな「生きづらさの補正」なんて思いつきもしなかったのだけれど、ある時期、思いついた。
とにかく「嫌いなもの」が嫌いなのである。
ならば好きになればいいのだ。許せるようになればいいのだ。
頭ごなしに「これはダメだ」「これはいけない」「これは悪い」「これは気持ち悪い」なんて決めてしまっていることを、一度、考え直してはどうか、と。
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僕の精神的潔癖症は「嫌いなものの存在を許せないこと」に尽きる。
坊主が憎いと袈裟どころか寺も仏も切り刻まんとする勢いである。アブナイ。
寺まではまぁ、なんとかなるとして、仏はどうするのか。仏像だけならまだしも、ホンモノの仏様ともなれば、もはやそこは概念の領域。崇高にして真の安寧の待つ涅槃の世界。切れないし刻めない。
もうそうなると、スーパーとかの床でダダをこねる2歳児よろしく、
「やだー! やだー! 坊主も仏も寺社仏閣もすべて焼き払われた清浄なる世界じゃないとやだー!!!」
となってしまって何も手につかない。仕事も勉強も恋愛も食事も排泄も喫煙も入浴も睡眠も手につかない。とにかく憎くて呼吸も忘れそうな勢いで病的になってしまうのである。
いや、それはさすがに言い過ぎか。
まぁいいや、どうせ誰も読む人はいないし、いても黙っているし、だいたい空気を読むのが得意な人ばかりだから真に受けることもなかろうし。
とにかく、病的になってしまうのは事実であるから、思考をあらため、行動を変え、習慣を作ることが大切なのではある。
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鈍感さ、というのはある程度までなら補正が可能だと僕は思っている。
当時の僕は、自分が過敏だなんて考えなかったし、今だって「おまーらのほうが鈍感なんだかんな!」という気持ちがちょっとはある。
(敏感な方が優れている、という意味ではなく、基準を僕以外の誰かにするか、それとも僕にするか、という問題の帰結として)
実際のところ、敏感さだって、潔癖症だって、補正はできる。
ただ、補正後の最適化された自分の価値観や感覚をどこまで自分だと思えるかどうかは別の問題だ。
さぞ「生きやすい」であろうそれは、もしかしたら、自分ではないかもしれない。
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嫌いな食べ物を極力減らした。
嫌いだと思っているものを片っ端から食べて、アレルギー反応があるものだけを除外するようになった。
嫌いな考え方を極力減らした。
これはとにかく考え続けるしかない。
自分が否定してしまう概念や感覚や理屈を、肯定する誰かがいるのである。
ひたすら考えて訓練した。
たとえばゴキブリが好きな人もいる。蜘蛛が好きな人もいる。
かつての僕にとってそれは恐怖の対象であったけれど、慣れればクモなんて可愛い。
ゴキブリも、あれはあれで益虫としての側面があるから、一概に害虫だと思うのはどうかと僕などは考える。
(風呂場に1匹飼っておくと便利だよ、ゴキブリ)
原子力発電。自死。不純異性交遊。いじめ。搾取。
よくよく考えて好きになれないこともあれば、よく考えもせず(いわゆる生理的に)嫌っていることもある。
生き物を捕まえて殺して食べること。
(潔癖症の人は、ときどきこれがニガテで、僕もそうだった)
生き物を、食べもしないのに捕まえて殺すこと。
(ゴキブリや蚊なら、みなさんもしていることでしょうけれど)
ひとつひとつ、試して、実行して、自分を分析するしかない。
考えは行動を、行動は習慣を作ることでもある。
自分を汚していけば、そのぶん「キレイでない自分以外」を憎む必要はなくなる。
汚れに浸っていけば、そのぶん「キレイでない自分」を恐れる必要もなくなる。
汚れた自分を恐れるのか、それとも汚れそのものを憎むのか。
方法はまちまちだけれど、物理的にも精神的にも、ある程度以上の許容を自分自身の思考によって生み出すことは可能だ。
もし仮に、出来上がった「寛容な精神の持ち主」が自分ではなかったとしても。
独善たる怒りの業火で誰かを勝手に成敗するような狂気の持ち主になるよりはマシではないか。
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おそらく他者をして「猫氏はさー、達観してるっていうかぁ、なんか他人事みたいにいうよね」と言わしめるのは、つまるところ僕が本来僕だと思っていた僕ではないからなのではないかと思ってみたり。わがんねーけどもよ。
自分のことだって、そのくらい突き放して考えないと、とにかく潔癖症のままだとつらいのではあります。
それでもときどき鬱状態になるのではあります。
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およそ15年ほど前に「栄養失調になるまで眠り続けた」のは、鬱病的なナニカだったのだろうとは薄々思っているのだけれど、あまり認めたくないのです。
病院にだって行かないし、行かなかったし。行く気力なんてどこにもなかったし。
性同一性障害かどうかなんて、考えたくもないのです。自分の性別なんて、肉体の部分はそれとして、心の性別なんてどうやって測定したり自覚したりするんだおまーら、と思ったりもするのです。
果てに最近は、発達障害だのHSPだの、そんなレッテルを貼り付けて「自分はそれだと分かって安心した」とかいう感覚が理解できないのではあります。
(あの手の「マイノリティに病気としてのレッテルが作られました」的なニュースを見るたびに、私は恐怖します。
仮に私がそうした「マイノリティ的気質」があったとして、あるいはそれを病院やカウンセリングなどによって改善できるとして。
そんな壁をわざわざ作らないでくれる? みたいな気持ちになってしまうのです)
だから私は、そんなものに自分が該当するかもしれないなんて考えたくもないのです。
該当して、他者にそのレッテルを見せて、じゃあ何か変わるのかといったら、そんなものを期待するほどおバカちゃんではありたくないのです。
壁がそこにあるだけで、嫌悪したり、忌避する人もいるし、あるいは興味本位に近づいてくる人もいるわけです。
そんなリスクを考えると「私はなんでもなく、うすらぼにゃり(誤変換はわざと)しているイキモノです。取るに足りませんし、特別でもありませんし、はい」というレッテルを貼っていたい。うまく誤魔化していたい。どこまでも。
たとえば「おまーらは鈍感で、オイラはちょっと敏感だけど、べつにたいしたことじゃないんだかんね?」くらいの気持ちでいいと思うのです。
実際に、そう思って生きている。
だからたとえば「おまーのそのイデオロギィは気に入らないんだけんども、まぁ、でもそういうのもあるよね。それも含めておまーのことは嫌いというわけでもないし」くらいの、なんていうか、いわゆるボーダレスな考え方があってもよいのではないかと思うし、僕はだいたいのことについてそう思っているし、そう思っていないと自分の首が絞まるというか。
自分の感覚を、もっとちゃんと信じていればいいじゃないですか、と思ってしまうのです。
まぁ、わかるんですよ、マイノリティに分類されるとか、潔癖症だとか、長生きできなさそうなタイプだとか、精神病んでそうだと思われるとか。
でもそんなに異常じゃない、と自分では思いたい。
ありふれてるし、一般的だ、と言い張りたい。
もちろん、もちろん。
マイノリティに分類されがちな僕以外の誰かをして「えー? 変わってるねぇ」なんて思いもしないし言いもしない。
「ふうん、そういう人、いるよね」くらいにしか思わないのだ、僕は。
>>>
久しぶりに入浴。
ひと月くらい前に入浴した際は、血圧と脈拍が対応できなかったようで、風呂場でしばらく昏倒していたが、今回は大丈夫。
意味不明の(かつ予兆のない)嘔吐や(おなじく予兆を無視した)下痢もほとんどなくなった。
(どのくらい予兆がないかというと、おかゆを口に含もうとスプーンを運んだ瞬間には胃袋方面からのおかゆがやってきているレベル。吐き気サンに仕事をして頂きたいとあれほど思ったこともない)
足の裏の水疱はほとんど消えて、皮膚も徐々に以前のやわらかさを取り戻しつつある。
ただ予期せぬ嘔吐が怖くて、外出ができずにいた。
食事も、ときどき、まだ怖いときがある。
しかし、K氏や弟子は心配している。
特に弟子は、放っておくと僕が自死など気にも留めていないことをよく知っているからだ。
「職安に行って貧血起こして帰ってくるくらいなら、どうせだから生活保護とか受ければいいんじゃないですか」などと、冗談とも本気ともつかないことを、多分本気で言っている。
鬱状態も抜けつつある気がするし、完全なる引きこもりも、そろそろ終わりにしなくてはならない。
私のカラダは、よく分からないことばかりだ。
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