190131

 子供の頃、和紙を漉いているのを、TVで見たことがある。
 たしか6歳か、8歳の春だったように思う。

 それから数日か数ヶ月して、紙を作ろうと思い立った。
 トイレットペーパを水で分解し(「水に溶ける」と聞いていたのでやってみた)、台所の濾し器で漉き取り、円形になったそれを乾燥させたのである。
 一度目は、分厚くてやわらかく、方形に裁断するのに苦労した。
(定規とカッタナイフで切断することも困難だった)
 また、ボールペンで文字を書くにも不向きだった。

 これが、思い立ってモノを作った最初だったように思う。
 いま考えれば夏休みの自由研究のネタにもなりそうなものだけれど、当時はそんな発想はなかったので、夏休みの宿題などというものは、スルーして生きてきた。
(僕に責任感と呼べるようなものが欠如している理由の一つである)

 その後、2回はトライしたように記憶している。

 1度は漉いたあとに手で圧を掛けて脱水したもの。
 それなりに紙質は薄く、固めになったものの、裁断や筆記に不向きなことは変わりなかった。
 さらにいうと、色が薄灰色で、なんとなく気に入らなかった。

 2度目は漂白剤を混ぜて漂白したのち、濾し器で濾し取ってから、水道水で洗ってはまた濾し取るという工程を経て、漉き取る際には分度器を使って(直線定規や三角定規でも試したのだが、形状的に不合理だった。当時の僕は実際にやってみるまで気がつかなかった)圧をかけて乾燥させた。

 ティッシュペーパを混合して失敗した記憶もあるので3回試したのだろうか。
 いずれにしても定規とカッタで切断できるだけの固さのものは出来なかったし、さほど薄くもならなかった。
 薄すぎて、型(濾し器)から外すときにボロボロになってしまった記憶もあるので、4回試したのだろうか。

 つぎは洗濯糊でもボンドでもいいから糊を使って固めよう、と思っていたものの、これは実行しなかったらしい。
 実行したら、濾し器が糊(あるいはボンド)でとんでもないことになって、青猫少年はさぞや落胆することになったとは思う。

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 不思議なのは、どうして僕がそんなことをしようと思ったのか、まったく記憶にないことだ。
「なんとなくやりたかったから」くらいの理由しか思い浮かばないのだが、TVで知ってから実行に移すまで、それなりに時間が経っているあたり我ながらちょっとした執念だと思う。
(おそらく、あれこれ思案していたのだとは想像する)
 しかも、できあがった失敗作はもれなく捨てている。
 誰に何を聞くでもなく、それどころか家族の目を盗んで作っていた事は明らかである。
(姉や妹はこんなことには興味を持たないと思う。父上に話したとして「濾し器はどうか」と咎められるように思う)
 しかも、裁断強度を持たせることや書き心地の改善をしようなどという無駄な努力を、どうしてしようと思ったのか、さっぱり思い出せない。
 実際、最後は唐突に飽きてやめている(その記憶はある)。
「これ以上は改善の余地がない」と思い至ったのだ。

 基本的に、一事が万事この調子である。
 燻製造りを始めたときも、最初に本で読んでから、しばらく頭の中で寝かせていた。
 どんなふうにしようか、とか、何を使おうか、とか、そういうことを考えるのだと思う。
 そして、ある日突然(予定や計画というものは基本的に存在しないまま)実行に移す。

 そういった突発的あるいは衝動的な行動が、何かを作るときには起こるようなのだ。
 一方で、ちゃんと設計図を用意したはずの多方面収納箱(仮名)は、完成を見ないまま図面を紛失して現在に至る。

 結論や教訓をここから導くとするならば、やはり計画なんて立ててもろくなことがない、といったところだろうか。






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