もう、10年ほどもMacPro(2008)を使い続けている。
 後年にリリースされた廉価なビジネスユースのモデルなんぞより、よほど快適に使える。
 メモリの余裕はもちろんのこと、並列処理に優れたシステムのおかげだろう。
 経年に伴う謎フリーズ(笑)やOSアップデートができない事(これもあんまりだけれど)などを除けば、このままでも問題ないかもしれない。

 ただ、まぁ、そろそろ買い替え時だとは思っているのだが、買いたい物がない。
 来年MacProが刷新されるらしいから、待とうかなぁ、どうせすごく高いんだろうなぁ、なんて考えてみたり。

 並行して、キーボードとマウスと補助キーボード(なんならフットペダルまで)も探している。
 しかし近年、魅力的な製品はひとつもない。
 なぜだろう。

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「未来的ガジェット感」を満たそうとしているゲームユースのデバイスは、古今さまざまにある。
 けれども最近のゲーミングデバイスは「見るからに安物」「見るからに“ちゃち”」である。
 たとえるならば、メタリック塗装した樹脂製の「レトロフューチャーなレーザー銃」的な感じ、とでも言おうか。
 子供騙しの感がぷんぷんする。
 BEEP音とともに赤色LEDが点滅する銃口よろしく発光するキーボードなど、少なくとも僕は必要ない。

 マウスであれば、ウェイトやカバーや重心なんていうメカニカルな部分に焦点が当てられていて、肝心のボタンやスイッチといったエレクトリックな部分はなおざりである。
 僕の好む「12ボタン以上、2ホイール」という要件を満たすマウスやトラックボールなんてまったく見かけない。

 補助キーボードも、ホイールボタンがないものばかりで、いずれも「ちゃち」である。
 フットペダルなど、もう少し考えてもよさそうなものだけれど、まぁ、使う人がいないんだろうなぁ、という感じ。

 全体に、製品の質が下がっているのだ。
 なぜかといえば、安いものの方が売れるから。
 100円ショップが出てきてから、雑貨メーカがやってしまったことと同じような、ただひたすらの価格競争スパイラルに、周辺機器メーカが巻き込まれている気がしてならない。

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 高価で高機能なデバイスは、まぁ普通に考えて売れない。
 おそらく7~8割程度のユーザは廉価なデバイスで満足してしまうだろうし、シェアがそこに集中している以上、価格帯を基準にしたモノづくりをせざるを得ない。
 残りの1~2割程度はミドルレンジで満足する。
 それなりのメーカーとそれなりの規格を満たす、それなりの価格の製品だ。
 だいたい9割以上のユーザは、ハイエンドな入力機器なんて興味がない。
 必要がないのだ(使えばとても快適だとしても、使う機会もなく、使用感や製品技術対するセンスや知識がなければ価値が分からないから必要がなくなってしまう)。

 メーカとして考えれば、いかに安価に、バリエーションを持たせて人受けを良くするか。その程度だろう。
 8ボタンや12ボタンを使いこなせない人も(個人的に少々驚くが)いるのが実情だ。

 ドライバもOSに合わせて小さなアップデートが必要になることがあるだろう。
 しかしその費用はユーザからは徴収できない。
 メーカは販売そのものにかかるコストはもちろん、保守コストも計算に入れなくてはならない。
 だから一般的な3ボタン、せいぜいが5ボタン(うち、ホイール検出を別にする)のマウスの方がメーカとしてもコストパフォーマンスが良くなる。
 まして多ボタン多ホイール、マクロ機能搭載型ともなると、ドライバに留まらずファームウェアやデバイス内メモリの仕様まで考える必要があるから、10倍近い価格になるのは必然だろう。
 シェア比も考えると20倍程度の価格でやっと元が取れるのではないだろうか。
 出して売れるとも限らない。出しても保守で赤字になる。

 いいモノを作れば作るほど長期的にジリ貧になるくらいなら、いいモノではなくて、儲かるモノだけ作ればいい。
 要はそういうことだ。
 ドライバを含めた有償サポートを継続的に行うような文化は、今の周辺機器メーカとそのユーザにはない。
(一部の、リースも含めて行われている特殊な機材は別だけれど)

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 ただ。
 メーカは、さまざまな補助入力機器の利点をきちんとユーザに伝えてきただろうか。
 その利便を知らないユーザに、知る機会を与えてきただろうか。
 たとえば腱鞘炎になった時に、マウスポインタをウィンドウのクローズボックスに合わせることがどれほど負担になるか、「ウィンドウを閉じるボタン」をはじめとしたGUIオペレーションをマウスに設定することによる利便性や効率上昇を訴え、理解してもらうことに努めてきただろうか。

 たしかにゲーミングデバイスの多くは、デフォルトの入力機器よりはゲームに向いている。
 なぜならゲームというものは高度化すればするどより複雑な、より素早い反応を求められるようになるから。
 しかし通常のGUIオペレーションだって、それがPDFの閲覧だろうと、Webページの閲覧だろうと、多ボタンマウスを使いこなせれば、それだけで身体への負担も、心理的ストレスも軽減される。
 特定文字列を検索する際に、その選択から好みの検索エンジンで検索するまでの自動化(文字列を選択して、あるいはカーソルを上に置いて、ボタンを一つ押せば済む)だって、Webサイト側のプログラム実装などを必要とせずに行うことができる。

 そういうことの利便性を、コンピュータユーザに浸透させていないから、高いマウスやキーボードが売れない。
 人々はコンピュータを使っているのではなくて、多くの場合は単にコンピュータを「使わされて」いたり、あるいは使っているつもりで「使われて」いることさえあるだろう。

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 かつてPCにとって、マウスは滅多に使用する必要のない、高価で特殊な入力装置だった。
 アプリケーション(プログラム)の起動やファイルの作成から複製/編集/削除にいたるまで、キーボードで操作した。
 すべての操作はキーボードで行うことができたし、それが当たり前だった。
 GUI型のOSがもたらしたのは「視覚的に分かりやすい」ファイル管理のシステムと同時に、マウスによる視覚的/運動的な操作方法だった。
 多くのGUIベースのOSは、非常に多くのアクセス手段をユーザに許可している。
 今でもキーボードですべてのファイルは選択し起動し、ファイルを作成し、編集し、削除することが可能である。
 ディレクトリ(ディレクトリ(笑))の作成から編集から削除もキーボードでできる。
(ディレクトリとは、GUIのフォルダのこと)
 にもかかわらず、マウスをはじめとしたポインティングデバイスは、およそ必須のものとして一般的なコンピュータのユーザに認識されている。
 その「およそ必須である」という意識は、どこからやってきたのだろう。
 マウスやトラックパッドやトラックボールなしにはコンピュータを使えないと思っている人を僕はたくさん知っている。
 なぜそこまで「必須である」と思われるようになったのだろう。

 そしてなぜ12ボタンマウスや補助キーボードやフットペダルや入力機器のマクロ機能は「必要ない」と思われたままなのだろう。

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 たとえば特定のボタン(それが補助キーボードでもマウスボタンでもいい)に、ウィンドウを閉じるとか、ウィンドウやブラウザやアプリケーションの履歴を戻る/進むとか、一覧を見るとか、特定のアプリケーションを起動するとか、そういう機能を持たせれば、作業が非常にはかどるのである。
 表計算ソフトで、特定のボタンを押せば「=ROUND(SUM( : ),2)」と入力するようにしておくこともできるし、それは既存のキーボードやマウスのボタンには簡単にできることではないのだ。
 なぜなら、既存のボタンの多くはすでに仕事が決まっているから。

 この「仕事のないハードウェアスイッチをたくさん持ち、仕事を作って与えて使う」ということが浸透しなければ、周辺機器は「必須」にならない。
 それらを浸透させていないがゆえに、たとえばマウスが「滅多に使うことのない高価な入力機器」だった頃と同じ現象が起こっているのではないだろうか。

 カーソルキーからセンサによるポインティングに、enter(return)キーからダブルクリックに、そしてキーボードからではなく右クリックによるコンテクストメニュー(かなりの頻度で使われないキーボードボタンだとは思う)に、人々はなぜ移行したのか。なぜそれがここまで不可逆的に浸透したのか。

 というようなことを周辺機器メーカが考えないと、周辺機器は今後も低迷を続けるんだろうなぁ、と僕などは思ってしまいます。







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