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//TimeLine:20180422
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TITLE:
私をカラダで再生させて。
SUBTITLE:
~ Resurrects me. ~
Written by BlueCat


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180423

 のんびりぼんやり月曜日。
 とはいえ前職における肉体の酷使により、かなりのダメージが蓄積していることが分かってきた。

 とりあえず内臓がどうにもならない。
 もともと弱い消化器系は、食肉に特化した食生活にみごとに順応したが、肝臓と腎臓のダメージが想像以上だ。

 約一年、頻繁に内出血していた(打ち身、打撲、生傷は絶えなかったし、派手に転んで出血したまま業務を続行し、帰宅してから肌に張りついた血まみれロングのステテコを引き剥がし(そのせいで新たに流れる血液に関しては気にせずシャワーを浴びる)こともあった)ことと、継続的な筋肉疲労(筋肉痛も含む)による老廃物の蓄積およびその排出が間に合わない状況(水を飲む時間もないことがあった)、さらには食事(と睡眠)の時間がきわめて限定的であったため、より高カロリィな食事を短時間で摂取する必要があったことも影響している。

 いやぁ、キツかった。

>>>

 もしも記憶がなくなったら。
 私は私の肉体だけを頼りに、私という人格を再構成できるだろうか。

 記憶喪失という言葉は知っているが、その症状にかかっている人間を実際に見たことはない。

 物語に登場する記憶喪失の人物たちはしかし、たとえば学習した言語を忘れたりはしていないから、他者との意思疎通はできる。
 運動を駆使する能力を忘れて、歩く事もままならないという人は見たことがない。

 いずれも脳の機能であり、記憶によるものも少なくないだろう。
(小鹿のように生まれてすぐに立って歩いて、さらにはガウタマシッダールタのように喋り出せた人なら話は別だが)

 物語の中で、肉体の能力を駆使したり(たとえば武術の達人がとっさに己の身をかばったり)することはあるし、それをきっかけに他の記憶がよみがえることもあるように思うが、あれは身体(新皮質よりも下位の反射神経系のようなもの)が記憶しているのだろうか。
 あるいは仮に、そうした下位の系から記憶を瞬発的に反復することでより高位の系へのルートが確立する(神経系の物理的特性として)のかもしれない。

 まぁ、若いころから物忘ればかりの僕にとっては、神経系のルートが確立しない、なんてことはざらであり、恋人や家族の顔はもちろんのこと、いつでも何かしら記憶を喪失しているようなのではあるのだが。

 具体的な記憶がなくても、抽象的な記憶(価値観や概念)があれば、人は人格を構成できる。
 親の顔を記憶しなくても、親に対する感情などを通して親という価値観を作れば、それがその人の(この場合は親に対する)性格の特性になりうる。

 一方で具象の記憶は、肉体的な運動のトリガとして紐付けることなどは可能だとは思うが、それをいくらかき集めても人格を構成できるようには思えない。
 友達の顔を100人覚えたからといって、友達がたくさんできるような性格になれるとはかぎらない。

 たとえばボールが飛んでくるイメージ(記憶)があったとして、どういうわけか反射的に避けてしまう程度の記憶を僕らは持っているわけだけれど、それは赤ん坊のころには持っていなかったように思う(少なくとも僕は「ボールがぶつかると痛い=危ない」という記憶が3歳くらいまではなかった)し、仮にその記憶があったところで「ボール嫌い」という価値観を形成することまでは可能だとしても、価値観なしに(イメージからダイレクトに)人格を構成することは不可能だろう。

 つまるところ物語における記憶喪失というのは具象記憶の一部(あるいは全部)が欠落し、にもかかわらず抽象的な記憶(とそこから構築される価値観などによって構成された人格)が部分的に残っている人のことをいうのかもしれない。

 彼らはそこから欠落した人格を再構成して元通りになったりするし、欠落した状態のまま発生した新しい体験によって、まったく別の人格に変貌したりもする。

 しかしこんなことは記憶を失わなくても可能ではないだろうか。

 たとえば昨日まではとっても素敵に見えていたガールが、ひょんなことからただの異常者としか思えなくなるようなことってない? ないよね(僕はあるけど)。

 ニュースで事件があると、たいていは「物騒だなぁ」「怖いなぁ」「なんでそんなことをするの」という反応をする人によって社会が構成されている(ように各自がその場は演じているように僕には認識される)けれど、表層意識で「いいぞやっちまえ!」とか「まぁ、そういうこともあるよね」とかいう気持ちをきちんと把握して、あるいは模擬的にでも形成して、具象記憶からの価値観形成に複数の方向性を持たせておけば、それはその人の人格の豊かさになると僕は考えているのね(口調が変)。

 もちろん僕も社会人として社会に適応しているフリをして毎日を過ごしているわけで、まぁ、そう簡単に思ったことを全部ストレートに表現するかといえば、これが案外してしまって周囲から白い目で見られたりすることがあるわけだけれど、「いい/悪い」「好き/嫌い」の境界線や枠組みから少し離れたところに自分の知性(あるいは意識)を置いておいてもいいんじゃないでしょうか、と思ったりはする。
 現実に、10年以上前ならば「人間はある程度の年齢になったらちゃっちゃか死んじゃったほうがいいよね」なんて言おうものなら総スカンを食らうまでのことはなくても白い目で見られることは多かった。実に多かった(しみじみ)。
 あれは(当時)比較的若い人間であるところの僕が発言しているという事象がより事態を悪化させていたのかもしれないけれど、僕にしてみればその言葉の意味に今も昔も彼我の差なんてない。
 バブルのころより医学は進歩したというのに、不老不死の夢を追うどころかそれに疲れてしまった人も少なくないようで「ある程度になったら、ささっと死にたいわ」なんて平気で言っているのを聞くようになった。

 そうなると天邪鬼の僕などは「人間はもっと無駄にとりあえず滅多やたらと手当たり次第に何はともあれ長生きしていた方がいいんじゃない? 生きていることにこそ人間の価値があるよ!」なんて、思ってもいない事を言いたくなってしまうのである。

 まぁ、それもこれも、どういうわけだか僕の中に内蔵されている「思っていることと真逆のことくらいは、とりあえず同時に考えよう」という回路に原因があるわけで……。

 この回路がなければ、僕はもっと確固たる意志を持って、明瞭な目標に向かって日々邁進しちゃうような、ファイトー!いっぱーつ!的な、スポーツマンシップに則った、分かりやすくて熱血でために単純である意味純粋で周囲の理解を得やすい(分かりやすい)人格を構築していられたのかもしれないのだけれど。

 うまいこと記憶(ごとその回路を)喪失しないものだろうか。

 しないな。

 それに、この優柔不断で複雑怪奇(に見えるときがあるというだけで本当はとてもシンプルなのですよ)な私を、私自身は気に入っているわけであり。

>>>

 内臓が不調な結果として酒が不味い。
 少なくとも、以前のように美味しく感じない。
 よって、しばらくお酒を控えている。
 
 さらには花粉症があり、内服薬を飲んだのが悪く(もともと内服系抗ヒスタミン剤は私の粘膜の分泌液にこっぴどい副作用をもたらすことは分かっていたのに)、結果として今でも変な咳が止まらない。

 薬効が終って両方の鼻が詰まった段階でも副作用が収まらない(副作用の時間の方が倍以上あった)ため、異常に咽喉が乾燥した状態が続き、風邪(的なもの)をひいたりもした。
 粘膜系の異常はまだ続いている。

 最近の目標は「周囲の人間に煙たがられて嫌われて死ぬこと」なので、もっといやな奴、迷惑な奴になるべく、どんな人格構成をすればいいのか、ときどき考えるようにしている。








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