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//TimeLine:20170918
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TITLE:
一意的な良識について。
SUBTITLE:
~ compressed composite possession. ~
Written by BlueCat


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::ならばこれからは、「理」の代わりに「無理」が横行する世界になるのだろうか。それとも「理(ことわり)」と信じていたことが実際は、冷厳な現実を見ようとしない人々の気分を良くするぐらいの役割しか果たしていなかった、幻影でしかなかったのか。



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170915

 先日、とあるニュースをネットで見かけたとき、その記者の使っていた言葉が妙に気になった。
 気になった、といっても悪い意味ではない。
「一意的な良識」というのがそれだったように思う。
 その一文では「一意的な良識などによって窮屈な思いをしている人が少なからずいる」というようなことが表記されていたように記憶している。

 記事の本文についてはとうに忘れてしまったのだが、その表現は妙に印象に残った。
 言い得て妙。
 なんだ、たったひとことで言い表せるんじゃないか、と。

 戦後生まれの団塊世代が世相の中心となり、団塊ジュニア世代が世を牽引している昨今。
 ちなみに僕は団塊ジュニア世代に位置しているものと推察する。
 けれども、そこに醸されている不気味さを僕は子どもの頃から感じていた。
 戦争が終わって、基本的には大切にされ、経済成長と相まってわがままを享受した世代。
 そういう世代に育てられた団塊ジュニア世代の子育てについて、僕は僕なりに予測をしていたし、だからこそ自分は(早々にこの世から去るという高い可能性も含めて)結婚と子育てから遠ざかっておこうと考えていた(隠し子はいるらしいが)。

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 多様性を担保するだけの人口という分母があったから、社会は資本の豊かさを背景に多様性を実現した。
 多種多様の人が容易に情報交換をする(できるようになった)中で、良識は多様性という個々のゆらぎを認め(できることなら尊重し)つつ、人々は感情や倫理に緩衝エリアを持っているべきなのだと僕は思っている。

 しかしどうだろう。
 なんとも非寛容で、下世話な世の中ではないだろうか。

 じつに隠し子がいると申し上げると眉をひそめる人の多いことよ(笑)。
(真偽は本人も分からないのだからどうにもならないのだが)

 冗談はともかく、メディアというメディアが「不倫だ」と騒ぎ立てたりするのは、僕にはよく分からない。
 おそらく大衆がそれに強く反応し(つまりは潜在的にそれを求め)ているからなのだとは思うが、芸能情報誌のゴシップじみた話題を大衆という大衆が望んでいるのだとしたら早晩この国は滅ぶのではないだろうか。
 他人の不倫についてあれこれ熱く論じるなどというのは、端的にいえば他人の恋愛やセックスについて熱く論じるということである。
 僕も自分のことを相当下世話な人間だとは思っていたけれど、そこまではしたないことはできない。

 たとえば大でも小でもいい、排泄行為そのものについて、やれ「こういう風に」「こういう姿勢で」「どこに力を入れて」なんて、いい大人に指導するオトナがいるだろうか。
(同様の理屈にもとづいて、僕は思春期になる以前から、いわゆる「下ネタ」が苦手である。品がないし面白くもない。知的にも性的にも興奮しない。脳のどこにも電流が流れない)
 たしかに排泄「前後」の流儀についてならば公衆衛生上も意義のある話ができるだろう。

 たとえば(今は主流になっているのか分からないが)男性は排尿をする際も、できるだけ座ってした方が衛生的だし掃除をしやすい。
 排泄後、もしもトイレを汚してしまったら、すみやかに掃除をするのは精神的にも細菌的にも衛生的である。
(そのようなわけで、僕はたいていコンビニなどのトイレを借りると掃除をしはじめるところから始まってしまい、なかなか出てこないことがある。不倫だの不適切な発言だのを論じるよりも、トイレを綺麗に使える人間をひとりでも増やす方が、世のため人のためであると僕は信じてるのね)

 不倫について話を戻すとするならば、ひとりひとりがその要素である公衆に向かって不倫を語ること、語らせることの下世話さ、品のなさが実に情けないことだと僕は思う。
 もちろん、ほとんど9割方の人間は、他人の不倫なんてどうでもいいと思っているとは思う。
 芸能人が不倫をしようが、政治家が不倫をしようが、芸能人は芸能に精を出せばいいではないか(下ネタではない)、政治家は政治生命をまっとうすればいいではないか(性的な意味ではない)。

 誰かに不倫を勧めるつもりもないし、不倫が素晴らしいとも、汚らわしいとも僕は思わない。よって否定もしない。
 したい人は勝手にすればいいし、その行為そのものによって誰かが損害を被るならば、当事者たちが相応に賠償すればいいだろう。
 親でも配偶者でも身内でもない誰かの不倫によって、私は損害を被らない。
 では友達だったらどうなのかと問われるかもしれないが、それだって僕の知ったことではない。
 僕と彼ら(あるいは彼女たち)が恋愛関係だったとしても、僕は特に気にしない可能性がある。

 リベラルを気取っているわけではない。
 恋愛やら婚姻契約やらについて、僕は僕なりの考え方があるというだけだし、それを誰かに開陳するほど悪趣味にはなりたくないし、誰かに強制するほど阿呆でもないというだけだ。

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「一意的な良識」によって、人はそのありようを規定の枠にはめることの窮屈さを味わうだろう。
 赤子が電車で泣いただとか、赤子に授乳するような場面を見たとして、僕は何とも思わない。
 誰かが普通に生きているだけじゃないか。
 他人の生きていることに対して勝手に不快感を覚えて相手を攻撃するのは愚行だと僕は思うが、人々はそういった攻防について、どこかの国の主導者だけでは足りないのだろうか。

 一人が苦言を公表すれば、それで「不謹慎だから」「不適切だから」となってしまって、誰もが他人の空気を読むことに必死で雁字搦めになってしまう。

 僕は基本的に愚劣なガキ(年齢を問わない)が嫌いなので、そういうイキモノの棲息する場所には近づかないようにしている。
 一方で良識を持つ人たち(年齢/性別/国籍を問わない)は大好きだし、僕自身には希少な存在なので、そういう人にはこちらから会いに行くこともある。
(座布団の上で寝ているばかりではないのだ)

「まともな人」のほうが多くて、だからそうした人たちはいちいち「下世話だ」なんて騒いだりしないのだと僕は想像する。
 下世話なことで騒いでいるのは下世話な人間同士なのだと僕は思いたいし、実際にそうだろう。
 僕の知っている良識人たちは、たとえば雇用問題や法規との兼ね合いのむつかしさなどについて卑近な例から高尚な推察、短長期的な希望や憶測について語ってくれたりする。

 そう考えると僕は今回、ずいぶんと野蛮で下品なことをしていることになる。
 思っていることを言葉にするというのはそういうことだ。

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 たとえば「I love you.」は基本的に野蛮で下品だ。
 だから公衆の面前で、僕はそれを言えない。
 暗闇で。二人きりで。耳元で。
 そんな場面でしか口にできない臆病者というのが僕の正体だと思っていい。

 もしそれを公衆の面前で言えるなら、その行為は素敵だとは思う。勇敢だとは思う。
 でもそれは、その行為の野蛮さや下品さを知っていて、ためにある高いハードルを乗り越えることの勇敢さであり、乗り越えられたことの素敵さだろう。

 生まれてこのかた、それが当たり前のように生きてきた人間がそれをしたところで、面白みも何もない。








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::では、二十一世紀に突入した今現在の現実は何だろう。
 一、結局は軍事力で決まるということ
 二、アメリカ合衆国への一極集中
 三、国連の非力
 四、日本の無力
 これらこそが、「見たいと思わなくても見るしかない現実」であって、それが今、話し合いによる解決、アメリカへの一極集中を排する多極化、世界の諸問題の解決の場としての国連、世界平和に貢献する日本、等々の「見たいと思ってきた現実」を突き崩してしまったのである。






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[出典]
~ List of Cite ~


 文頭文末の引用は、
「イラク戦争を見ながら」From「日本人へ ~ リーダー篇 ~」(p.12-13)
(著作:塩野 七生 / 発行:文藝春秋)
によりました。

なお、引用文中のルビ文字は『()小括弧』にて記述しています。






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[NEXUS]
~ Junction Box ~
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[Engineer]

[InterMethod]

[Module]

[Object]
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[Cat-Ego-Lies]







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