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//TimeLine:20170103
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TITLE:
虚無の闇はあなたを嗤うか
SUBTITLE:
~ Macedonia di frutta ~
Written by 黒猫


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::人間は生きている限り、食べなきゃいけない。なら毎日食っても飽きなくて、美味しい料理を食べるのが人間の幸せだ。せっかく作るなら、幸せになれる料理を作ってお客様に食べさせてあげるのが本望というもんだろう。
 イタリア料理を勉強してみようと思ったのは、そのときだった。それは今まで知らなかったイタリア料理の世界が僕の前に扉を開けた瞬間でもあった。




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//[Body]
170102

 オカネモチになろうプログラムがだいたい軌道に乗って手を離れてしまって退屈してきたので、ふたたびモテになろうプログラムを考えている昨今。
 モテってなんだっけ……としばらく悩んだりするものの、端的に定義するならば「異性に『抱かれたい』と思われること」なのではないかと思わなくもないが、果たしてそんなに短絡なものだっただろうか。

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 僕の棲むこのマンションはおよそ築40年の鉄筋コンクリート製で、システムキッチンが若干小ぶりで拡張性に乏しいことと、浴室が(バストイレ別であるものの当時の汎用型ユニットバスの宿命として)狭いことには少々辟易している。
 特に湯船の狭さは致命的で、これでは絶対、ガールと一緒にお風呂に入ることができない。
 ガールの身体を洗ったりするのが趣味の僕にとっては少々致命的ではあるものの、これは諦めた。
 ガールと一緒にお風呂に入る趣味なんてなかったことにしておけば、こんな不便は感じないのだ。
 いずれにしてもリフォームされて現代風にはなっているが、時代が作り出したしがらみのような設計についてはいかんともしがたいのだろう。
 おかげで、乾燥洗濯機の導入は先送りになってしまった。

 およそ2~3人の世帯向けに作られていたように思えるこの家は、したがってひとりで暮らすには少々広すぎる感覚を持つのが普通なのかもしれないが、僕にはちょうどいい。
 ベランダもL字に大きく取られていて、自転車が14台くらい置けそうなので実にいいと思う。

 欠点もいくつかあるが、それ以外はおおむね、いい感じである。
 広いし、景色も見晴らしも良い。
 どうせなら、毎日眺める風景は、素敵なものであるのに越したことはない。
 そういう意味で高い場所に暮らすことはそれなりのアドバンテージを持つだろう、特に僕のようになんとかとケムリが好む場所を嬉しく感じるイキモノにとっては。

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 僕もオスのはしくれなので、かつて恋人だった女のことを思い出すことがある。
 といっても相貌失認の傾向のある僕のことである。顔などまず思い出せない。
(じつのところ、ある程度おぼえている女性もいないわけではないのだけれど、覚えることも可能だなどと書こうものなら、めざとくあざとく阿呆な恋人の幾人かは「私の顔も覚えてくれなきゃいやだ」くらいに騒ぎ立てるに違いないのであるから、そんなことは明言できないのだ)

 恋人のことで僕が思い出せるのは、肌と髪の質感と感触。そして彼女たちに対する僕の感情だ。
 とくに僕がおよそ明確に記憶しているのが、肩と腕と首の、皮膚から骨までの深さと感触だ。
 硬いもの、やわらかいもの、深いもの、浅いもの、とがっているもの、丸いもの、くっきりしているもの、茫洋としているもの、とにかく個体差が圧倒的だと僕は感じる。

 感情については、ステレオタイプに作られていない僕の感覚を上手く言葉にすることがむつかしい部分もあるし、それでもそれを言葉にして書いたこともあったのだけれど、昔の工場とともに消してしまった上、書いたところで伝わるとは思えないし、それどころか生半可に言葉面だけ見て僕を嗤う類の人間がいることも心得ているのであまり書きたくはない。

 のだけれど、あえてあらためて言葉にするならば、
「どんな感じに大事に思っていたか」という表記になるかもしれない。
 それは情欲に関する類のものでもなければ、独占欲などとも縁遠い。
 もっとあわあわとしていて、明確な願望や欲にはならない類の、上澄みのような感覚だ。

 とはいえ、それをして嗤う人間は僕を嗤う。
 彼らのいわく「人間はそんなファンタジィなイキモノではない」
 彼らのいわく「そんな綺麗事で物事は済むはずがない」
 彼らのいわく「そんな曖昧さで自分の汚さを濁すべきではない」 
 etc.etc...
 まぁそこまで即物的で俗物まみれの自分を肯定できるなら、それはそれでシアワセなことだろうとは思うのだけれど、いちいち他人をあげつらって嗤うことで慰みものにするあたり、とにかくおめでたいことよ。

 ファンタジィもなく、綺麗事もなく、曖昧さも許されず、汚さを拭うことも良しとされないならば、それは単なるケモノではないか。
 無論、ケモノが悪いとは思わない。
 ただ、ケモノであろうとすることだけがあたかも正しいことであるかのように振る舞い他人を蔑む彼らの精神構造は、ヒッピーに似て非なる歪みを含んでいて、もはや語るに値しない。

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 とにかく僕は、感傷的に彼女たちを思い出したりはしない。
 そうではなくて彼女たちに向かっていた自分の感覚や感情を、ホルマリン漬けの標本のように取り出して観察して、再確認する。
「どっかで生きてるんだろうなぁ」
「シアワセだったらいいんじゃねぇ?」
 程度の、まったくの強い感情も感傷も含まない、追憶でも回想でもない、再認識。

 あのとき僕は彼女たちのことを確かに大切に思っていたし、それは時間や状況が変わることで変化するものではないのだと、少なくとも僕は思い、感じる。

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 寒い夜のベランダで屋外用ストーブに当たりながら、遠い山の裾野に広がる夜景を眺めてパイプ煙草を喫みつつ、僕はぼんやりと思い出す。
 ああ、僕にはそういう感情が、たしかにあったっけなぁ、と。
 そういう感情の拠り所で、源泉である個体が、いたんだったっけなぁ、と。

 恋愛感情などというものは、たしかに遠くから見れば、夜景のように滑稽だ。
 山々から降りてくる夜気はこんなに寒々しいのに、あの揺らめく光どもときたら、これっぽっちも、この身はおろか、この心さえ、暖めてくれたりはしないのだから。

 ただまぁ僕は冬の申し子であり、月の使いであり、人の皮を被った猫であるから、その程度のことはさほどの問題もないのだけれど。

 馬鹿馬鹿しいファンタジィ?
 
 リアリスト面した「お利口さん」たちは、なるほど僕を訳知り顔で嗤わないではいられない。
 一方の僕は、彼らを嗤う必要すらない。
 なぜなら僕は彼らのルールに従うことはできないし、従う必要もないからだ。

 彼らはファンタジィを知らないし、ケモノのことも知らない。
 孤独も知らないから、自分の感情のことも知らない。
 知っていれば正しいとか、偉いというものでもない。
 だから僕は、誰を嗤う必要もない。













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::考えてみれば、フランス料理も素晴らしかったが、昼、夜、食べ続けるのは正直キツかった。自分が有名レストランばかり選んでしまったこともあるが……。でも、イタリアのメシは毎日食っても飽きないのだ。食事って本来そういうもんなんじゃないか、と僕はそのとき気がついた。




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[出典]
~ List of Cite ~


 文頭文末の引用は、
「ローマでの4日間が運命を変えた!」
From「落合シェフの美味しすぎるイタリア料理」(p.128-129)
(著作:落合 務 / 発行:KKベストセラーズ)
 によりました。








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