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//TimeLine:20161002
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TITLE:
それが悪夢なら醒めないで。
SUBTITLE:
~ I won’t be cooldown. ~
Written by BlueCat


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::日本の工業力としては四発が無理であったから、海軍が双発を要求したことも止むを得なかった。しかし“攻撃機”であるから、分厚い装甲防弾を拒否し、疑いを抱くものに対しては、
「命が惜しいか!」
 の一喝で沈黙させた思想は批判に値する。
 タフなボクサーのように、たたかれてもたたかれてもダウンせず、最後の勝利を獲得する者がついに生き延びる冷厳な事実を認めなければ、論理の退却である。




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//[Body]
 新しい街での夜を、2度ほど過ごした。
 家財の移動は3割程度が終了。
 早朝、出勤時にアパートから家財(多くは本である)を運び出し、就業後に室内に運び込み、そのまま泊まったり、以前のアパートに戻って翌日のための積み込みなどをしている。

 20年近くのあいだテレビ以外の家電を買い換える必要には迫られなかったのだが、今回、洗濯機を洗濯乾燥機に買い換えることにした。
 9kgというから、ひとり暮らし向けの商品ではないのだけれど、時間短縮にはこの上ない効果を発揮するという結論から購入を決定した。

 一時期流行った「長生きしたい」という潮流の多くは、何年にも渡って少しでも長く、一日でも多く生きていたい、という考え方に染まっていた。
 ようやく時代が(僕の思想に)追いついたようで、お年寄りも、若い人も、最近は「長生きしてもしかたがないから、ほどほどに生きていたい」と言うようになった。
 もっともこれは、僕の周囲のサンプリングの結果であって、すべての人がそうであるとは僕も思っていないし、「とにかく一日でも長生きしたい」という人が僕の周りにいなくなったわけでもない。

 身体もアタマも不自由になって、それでも長生きしていたところでたいした意味はない。
 たとえば病院のベッドで意識不明の状態で、たくさんの機械が身体に繋がって永らえていたとしても、それをして本当に生きているのか死んでいるのか、判断するのはむつかしい。
 むろんそんな状態は経験しない方がいいし、そんな状態の人を見る機会も少ないとは思うが、たまたま僕はそういう状態の肉親をひと月ほど看ていたし、とうとう意識が戻ることなく他界した彼にとってのそのひと月は、どういった意味を持っていたのかと思ったこともある。

 自由な時間を作るためにテクノロジィがあるのだとするならば、乾燥しない洗濯機より、乾燥する洗濯機は自由な時間を生み出し、結果的に、同じ日時に死ぬとしても、僕の自由な時間は増えることになり、洗濯乾燥機を持つ僕は、持たなかった僕よりも長生きしたことになる。
 蛇にたとえるならば、アタマから尻尾までの長さなどではなく、密度が大事だといえるだろう。

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 それにしても、どこにいっても狭い世界で生まれ育ってきた人間はいるもので、彼らの見てきた世界が狭ければ狭いほど、どうしようもないくらい彼らはそれを当たり前のことだと考え、そして彼らにとってはあまりにも当たり前であるあまり、他者にそれを強要したがるものらしい。
 例外を知らないこと、想定外の体験に乏しいこと。これらはすべて自分の見てきた領域の狭さに起因している。
 狭い領域の恒常的な常識は、確かに揺るがないものかもしれないけれど、より広い領域において、絶対的な融通が利くとは限らないものである。

 たとえば異性経験の多い人は「こういうのが好きで喜んでくれる女性がいるのは事実だけれど、逆に嫌う人もいる」と考えることができるが、異性経験の少ない人は「こうすれば喜ぶに決まっている」と決めつけていて、結果としてうまくいくこともある反面、失敗することもある。
 にもかかわらず、その失敗から彼らが学ぶことは少ない。
 なぜなら彼らは自分自身の考え方に固執するあまり、学ぶ姿勢を持つどころか、そうした発想さえ持たないのだ。

 考え方によって事象はすぐに変わらないだろうけれど、それに対する姿勢や反省によって、事象は長い時間の中で全く異なるものになると僕は思う。

 しかしそうした、狭い領域での考え方で凝り固まった人たちの集団がときどきあることも事実で、なんというか戦慄を覚えるのである。
 子どもの頃は分からなかったのだけれど、大人になればなるほど、そういう人たちの群れが確実に存在していることに気が付くからだ。
 彼らは、僕のようにうまく集団になじめない人間を目ざとく見つけ、あれこれと難癖を付けては自分の価値観を押しつける。場合によっては集団でそれを行う。

 しかし同時に彼らの多くは非常にパターン化されているので、仮に集団の中で浮いて、つまはじきにされて、無能扱いされていたとしても気にすることなく観察を続けることで、必然的にウィークポイントが浮き彫りになる。
 的確なタイミングを逃さずそれを利用することができるならば、それ相応の復讐を果たすことができるだろう。

 しかし自分を自分として、確固としたまま持つことができない僕は思う。
 果たしておかしいのは、本当に彼らなのだろうか。
 まともであるとか、バカであるとかいうことのすべてが相対的で、つまり一方が他方をして「おかしい」「バカだ」と思うときには必ず反対に「おかしい」「バカだ」と思うものであるという仮説(検証していないので仮説である)を僕は持っていて、それに従うなら、彼らが僕をおかしいと思い、それにともなって僕が彼らをおかしいと思うことはしごく自然なことであるものの、客観的な観察を行うとしたら「どちらも間違っていない」あるいは「どちらもおかしい」という結論を僕は導き出してしまう(そして彼らは導き出していないように観察される)。

 たかだかこの水分70%ほどのアミノ基系の肉体に、ついでのように付加された思考回路によって生み出されている僕の思考は、果たしてどれくらい「まとも」あるいは「まともではない」のだろうか。
 他の個体の感覚や思考についてを、正確にトレースすることはできないが、彼我の差は、そんなに圧倒的に遠いものなのだろうか。
 そんなにまでして、僕らは、僕らである必要があるのだろうか。
 どうして彼らはそうまでして、彼らである必要があるのだろうか。

 死ぬまでの間(正確には思考が正常に働くことのできる間)に抱える思考や記憶は、確かに固有のパターンを作る。
 でも僕は、自分の持つそれにさえ、没入できない。

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 ところでこのふた月ほど、青猫工場がネットストーキングされている。
 僕が何も書いていないものだから、ほとんどはトップページを(主に電信柱やブロック塀の陰から)じーっと見ているようなのである。
 アクセス解析によれば30代の女性のようではあるが、僕自身のIDが女性の性別を持っていることを考えると、モニタの向こうで青猫工場をうかがっている誰かが果たして女性であるかどうかは定かではないし、サダ力(さだりょく)でもなければ佐田力(さだちから)さんでもない。

 シュレディンガーの青猫工場は、観察者によって存在や状態が固定されるのを拒む性質を持つため「てやんでぇ! 今日も明日も明後日も、何も書かねーよ、バーカバーカ!」と思っていた(決して仕事や恋愛や引っ越しやぱやぱやが忙しくて何も書けなかったわけではない)ものの、書けるときには書こうと思ったのではあるが、いかんせん、観察者が電信柱の陰からじーっとこちらの様子を(無言で! しかも無言で!)窺っているとなると、なんとも薄気味悪いのではある(ただし美人なら例外として認める)。

 安否を気遣う場合であれば、コメントなりメールなりで「青猫様、お元気でいらっしゃいますか。私です(といっても初めて書き込みいたします)」とか言ってくれれば分かりやすいのではあるが、そういうアプローチ一切なしで2ヶ月以上もほぼ毎日(僕が何も書かなくても)観察されているというこの薄気味の悪さが分かるであろうか。
 一見さんなら一見さんで、何かしら他の文書ページを開いたりするものであるが、そういった行動も一切ないあたり、もしかしたら初歩的なボットを誰かが開発して青猫工場を観察させているのではないかと思ったりする反面、僕は僕の性質上、それ以外の可能性についても思いを馳せてしまうのである。

 たとえば、ブログにいわゆる「内緒コメント」ができることを知らない可能性も否定できない。
 たとえば、分かりやすくそのへんに明示されていたはずの僕のメールアドレスを知らない可能性も否定できない。
 たとえば、何らかの脳機能障害によって、言葉を文字にする能力を持たないのかもしれない(たまたまこの猫の絵が気に入って、毎日見に来ている人がいるとして、僕は驚かない)。

 強いていうならば、僕は、僕自身の境界を明確には持たず、あるいは良くいえば限界を持たないのかもしれない。
 けれどそれは、出力がないことでもあるように思える。
 そしてそれらは同時に、僕というものの輪郭を、非常に曖昧にしてもいる。
 結局、皮膚だけが僕と僕以外の境界として機能しているのだろうか。

 いずれにしても、その人物がもしも単一である(なおかつ日本語を読解することができる)とするならば、僕は以下の言葉を伝えたいと思う。

「2ヶ月以上のあいだ、ほとんど毎日、何の変化もない青猫工場を見ていて、あなた自身に何らかの発見や変化が、この青猫工場からもたらされましたか?
 もしも何の発見も、変化もなかったのなら、もう見るのはやめるべきです。あなたの人生を、そんなことで無駄にするべきではないと思います」

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 インターネットがもたらした脊髄反射的なインタラクティヴィティによって、人は優しさを失ったという説がある。
 しかし人をファシズムに走らせるのは、その当人の想像力の欠如もしくは過剰であって、テクノロジィそのものではない。
 ナイフだろうと火薬だろうと、使い方しだいで誰かを殺す道具にもなれば、ファンタジィを生むツールにもなる。
 言葉(言語という意味ではなく、僕らが普通に発言する「ことば」そのものだ)もしかり。
 金言を生み出せないなら、沈黙するより他にないから、僕はたいてい、沈黙している。



 新しい街の夜景は、なかなか綺麗だ。








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::一式陸攻の乗員は七名で、四発なみの武装すなわち七・七ミリ機銃三梃、二〇ミリ機関砲二門で身を固めていた。これだけの武装を持っていたら、攻撃する敵攻撃機に火の雨を浴びせることができたはずである。ところが、自機の翼の中に火の海になる根源があっては、しょせんはスポンサーの発想からして食いちがっていた。それが本庄さんのために惜しまれるのである。
 一式陸攻の裏方として、量産に向くような機体に仕立てた工作技術者の努力を忘れてはなるまい。太い胴体は厚板で滑らかに仕上がり、整備も楽であった。後の空技廠設計の銀河は、工作はもちろん整備も整備員を困らせたという。
 これは当然で軍と民間の技術者では立場が完全にちがう。それは体質的なもので、図面や実物ぐらいで見習えるものではない。




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[出典]
~ List of Cite ~

文頭文末の引用は、
「葉巻の夢」
From「ヒコーキの心」(p.219-220)(著作:佐貫 亦男 / 発行:光人社NF文庫)
 によりました。






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[NEXUS]
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