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//TimeLine:20160622
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殺意の針は胸に隠して
殺意の針は胸に隠して
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~ Reliable Buddy. ~
Written by 黒猫
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::見る人のため、花ぞとも知らぬがこそ、爲手(シテ)の花にはなるべけれ。されば、見る人は、(ただ)思ひの外に面白き上手とばかり見て、これは花ぞとも知らぬが、爲手の花なり。さるほどに、人の心に思ひも寄らぬ感を催す手立、これ、花なり。
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時計を、必要とするようになった。
今までは携帯電話で代用していたのだが、いかんせん大きいので取り回しに不便である。(それによく落とす)
周囲のオトコたちを見回すと(いやなに、女性もそうなのであるが)およそ腕時計をしている。
なるほど、皆、時間を確認する必要はあるのである。
しかし僕は20年以上、腕時計というのをしないで生きてきた。
どうにもあれは落ち着かないのである。
(要はよくあるところの「オレは時間に縛られたくない」とか気取っちゃっている、アレである)
ガールが僕の手首を握っているのとは全く異なる感触であり、重量感もさることながら、金属製ならそのエッジの感触が、ビニル製ならその不透過感が、肌に不快である。ベルトが天然皮革なら我慢できそうだけれど、どうやっても時計本体の裏側は普通、金属である。
試しに数年前に人から貰った腕時計があったので、それ手首にあててみたのだが、30分もするうちに痒くなり、外してみたら皮膚が赤くなっていた。
やはり肌に合わない。
そうなるとやはり懐中時計の出番である。
にもかかわらず、以前持っていたそれが、見当たらない。
自分で片付けているものは感覚に従って収納しているので(僕の場合、本を書架に収める時も感覚に依っているので、逆さになったりシリーズの番号が前後していたり、作家やサイズやテーマやジャンルで分けられてもおらず、一見雑然と仕舞われているように見えるとは思うのだが、僕は最適なときに最適な本をそこから探し当てることごできる、このメカニズムについてはいつか書こうと思っている)、仕舞うときの思考を逆算すると収納場所が分かるはずなのだが、とにかく見つからない。
これはあれである。
誰かが収納場所を変えたのである。
あるいは寝ている間にコビトが運んだのやもしれぬ。
いずれにしても、自覚的にあるべき場所にそれがないのであるから、それはないのである。
四の五の言っていても仕方ない。
かくなる上は、買うしかない。
もちろん懐中時計を、である。
といって、僕は時計があまり好きではない。
正確には嫌いではないのだが、時計に対して僕が求めているイメージを「これだ!」というふうにきちんと具現している時計に出会ったことがないため、好きになれないのである。
いうなれば、街で偶然ばったり眼鏡ロングヘア可憐ガールに出会ってきゅんきゅんしたことがないために「いや、ガールとか僕はべつに……」と言っているようなものであり、どうして綺麗にカッコよくまとまるはずの文章をこのように自分の手で汚すのか、僕には信じられない。
まず、僕は秒針が嫌いである。
時間は(僕という個体の知覚上は)常に動いているものだから、時計も常に動いているべきものではある。
ならばなおさら秒針は気ぜわしい。
あんなものに気分を乱されたくないし、秒単位にうるさい人間も(もちろん誰にだって秒を争う状況はあるものだけれど、だからこそ)嫌いである。
必然、時計はアナログである。
耳もとに当てれば、規則正しい鼓動のような動作音が聞こえて、かつその音に気ぜわしさのないものがよい。
時針分針は、装飾のない、ストレートなものがよい。確か昔、NHKのテレビの時報であったような、飾り気のない細い長方形のものがよい。
そして文字盤には、一切の文字や目盛りがないものがよい。
時計とは、身体的にその上下を感覚できるもののはずで、壁掛けなどの据付けタイプはもちろん、腕時計や懐中時計においてさえ、感覚的に、かつ瞬時に上下を感覚できてしかるべきである。
(上下がわからない時計など不良品だとさえ思う)
よって文字盤の文字で上下を把握する必要などない。
また時針は1時間で30°も動くのだから、1時半と2時半を間違えることはない。
ために数字の表示も必要ない。
12分と13分の差などどうでもよいものだし、59分と0分の差がひと目でわからないような人間は、もっと「親切」な時計を使えばいい。
ためにすべての目盛りも必要ない。
ちなみに付け加えると、時間を知るための道具なのに、それを目にするたびにメーカ名が目に入るなど、正直論外である。
そういう自己主張が強いものは(時計や車に限らず)人間も含めて僕は好きになれない。
中身がないような気がするのだ。
たとえば車なら、エンブレムなどなくても明確にメーカが分かるものは多々ある。そういうモノづくりを僕は好むし、僕という人間もかくありたいと思う。
時計だって今の御時世、無個性にすればするほど個性が生まれるのは明白なのに、どうしてなかなかそれは市場に現れない。
(メーカかユーザか、その両方に、品位や知性が足りないのだろう)
すなわち
時間を知らせるためだけに存在し、
時間を刻む以外の仕事をせず、
時間以外の情報を排除し、
使い手(およびその能力)を信頼している道具たる時計を、僕は好ましく感じるのである。
愛おしむ価値があると感じるのである。
どうだろう。
無地の文字盤にふたつの針だけが存在し、それが動いているかどうかは耳や肌に伝わる微かな振動でしか確認できない時計。
ファッションとして誰かに見せつける機能さえ排斥され、すなわち所有者を装飾する役目を持たず、時間を所有者以外の誰かに意識させることさえなく、普段は(可能な限り)懐のポケットの中で眠り続ける、ただただ時計として純然と高機能な時計。
もちろん前述のとおり、これが逆説的に非常に目立つ可能性があることは承知している。
(どんなにそれについてオーナー自ら口外しないようにしていても、だ)
しかし、それさえ計算に入れても、非常に美しい存在ではないだろうか。
そんな機能だけによって美しさを放つ時計がいったいどこにあるというのか。
少なくとも、僕は見たことがないのだ。
眼鏡きゅんきゅんガールのほうがよほどありふれている。
というわけで、僕は時計を持たないのであり、時計をさほど好きではないと標榜しているのである。
(ちなみに自宅の壁掛け時計には文字盤がない)
が、現実は非情だ。
上のように感じているにもかかわらず時間を確認する必要を感じる以上は、やはり時計を持たなくてはならないのである。
そのようなわけで、時計を買った。
2130時に帰宅し0530時に起床しなくてはならない私は、密林でポチった。
妥協に妥協を重ねているのがおわかりいただけるだろうか。
しかし文書の雰囲気ぶちこわしである。
(ついでにパイプ用のライターも買った。密林でポチった)
懐中時計は確かに面倒なものだ。
ポケットを圧迫し、服の形を崩す。
しかし腕時計は肌に合わない。
肌を取るか服を取るか、となれば男は服を捨てるものだ。
これは別に肌を取った、ということではなくて、服などという装飾から捨てるのが筋だというのに過ぎない。
それにそう。
オトコというイキモノは、スーツやコートが少しくたびれているくらいの方が色っぽく見える年代や種類があるのだ。
それにそも。
自らを飾り立てることよりほかに優先すべきことがあるのがオトコであるとは、かの塩野七生女史もおっしゃっていることである。
ただ残念ながら、今のところの私は、とうていその域に達してはいない気がする。
いずれは自分も近づきたいものである。その領域に。
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::祕する花を知る事。祕すれば花なり。祕せずば花なるべからず、となり。この分け目を知る事、肝要の花なり。そもそも、一切の事、諸道藝において、その家々に祕事と申すは、祕するによりて大用あるが故なり。しかれば、祕事といふことを顕はせば、させる事にてもなきものなり。これをさせる事(にて)もなしと云ふ人は、未だ、祕事と云ふ事の大用を知らぬが故なり。先づ、この花の口傳におきても、ただ、珍しきが花ぞと皆人知るならば、さては珍しき事あるべしと思ひ設け(たらん)見物衆の前にては、たとひ珍しき事をするとも、見手の心に、珍しき感はあるべからず。
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[出典]
~ List of Cite ~
文頭文末の引用は、
「花傳第七別紙口傳」From「風姿花伝」 文頭部(P.104)文末部(p.103-104)
(著作:世阿弥 / 校訂:野上 豊一郎・西尾 実 / 発行:岩波文庫)
によりました。
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