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//TimeLine:20160529

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TITLE:
性感帯のこと
SUBTITLE:
~ Over-ride. ~
Written by 黒猫


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::「なにか、人に言えない秘密があるんだね?」
 「あのね」歩いていたチャフラさんは、立ち止まって、短い溜息をついた。「秘密っていうのは、普通、人に言えないものなの。人に言える秘密なんてないの。わかった?」




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//[Body]
 5月半ばより、ようやく大豆製品が僕の家計の上で解禁された。

 なにせ僕の好物であるところの豆腐などは費用対カロリィが低いため、エナジィ効率が悪いと見なされて摂食対象リストから外され、代わりに揚げ物を大量に食べていたのである。
 だからといって、出来合いの総菜やレンジ調理で済むような冷凍食品は酸化した油脂やら添加物の味がひどくて食べられたものではない(正確には食べられるが、食べたい気持ちにはならないし、食べたら食べたで体調を悪くする)ので、業務スーパーなどに行き、ちゃんと揚げなくてはならない揚げ物を買って、揚げていた。揚げまくっていた。週6日揚げ物なんて事はざらだったが、それでも体重を維持するのが容易ではないのは、僕が末期ガンだからである。
(いま、テキトーな嘘をつきました。この場を借りてご報告申し上げます)

 今月に入ってからは、豆腐、煎り大豆、枝豆と、大豆製品のオンパレードである。
 どうにも大豆製品が大好きだ、ということをしみじみと再認識している。
 それだけが要因だとは思わないが、肌も綺麗になってきた。
 自分で撫でてごわつく肌というのは精神衛生上もよくないので、たいそう嬉しいことである。

 平日は帰宅が遅めで朝がかなり早いため日記を書くのもままならないものの、土日は湯船に浸かることができるようになった。
 なおさら肌が綺麗になった。嬉しいことである。

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 これまでざっと周囲を観察し、ときにはヒアリングなども重ねて分かったことなのだけれど、多くの人は比較的鈍感にできており、僕はそこから比較すると敏感にできているようではある。

 たとえば味覚。
 多くの人が無意識的に摂食している食品に含まれる、保存料、着色料、香料、調整物質(ph調整剤や乳化剤、増粘多糖類)、人工甘味料(特にカロリィゼロを謳うもの)の多くを僕は「石油のように不味い」と認識するので口にしないように心がけている。
 単調で大味で奥行きを感じられない科学調味料の多くも、まぁ不味くはないが格別美味しいと思うわけではない。

 たとえば塩だけで煮出したポトフ(コンソメを入れるのは本末転倒な邪道である)や塩茹でしたばかりブロッコリーやほうれん草、空豆であるとか枝豆であるとかなどは、もうそれだけで格別に美味しいと感じる。
 新鮮なものは素材の味を楽しめばよいし、熟成したもの(燻製であるとか、塩漬け肉であるとか)はそれだけで複雑な味わいを持っている。
 だいたいの食べ物は塩と胡椒、少量の醤油でおいしくいただけるのだ。

 もちろん、もちろん。
 めんつゆだって焼き肉のたれだって持ってはいる。ただ、その消費は以前に比べるとはるかに少なくなった。

 しかしそんな僕も、子どもの頃は身体能力に負けず劣らず身体感覚能力が致命的で(親の料理が不味かったわけではないと思うのだが、いかんせん記憶に乏しい)、ために食べることが好きではなかった。
 実際によく覚えているのが、生のイカや肉の脂身を嫌っていたことである。

 僕の周囲にいる「食べることが子どもの頃から好き」という人たちはたいてい「初めて肉の脂身を食べたときの感動」について語る。
 肉の脂身を初めて食べたときに感じたことは僕もよく覚えているが、記憶にあるのは猥雑な舌触りと噛み切りようのない不気味な歯ごたえでしかなく、つまりは味も匂いも感じていなかったのだった。

 僕が食べていたのはよほど安くて不味い肉だったのだろうか。
 可能性は否定できないものの、その後いついかなる時に食べた肉にも僕は辟易していたから、おそらくは体質の問題だろう。
 イカについても同様、刺身で食べたそれについて、味も匂いも感覚できなかったために、つかみ所のない舌触りと、噛み切るのに苦労するだけの消しゴムのような食べ物だと感じた。
 それ以外にも、野菜を含めたほとんどの食べ物にたいして美味しいと感じることはなくて、要するに「生きるのに不向き」な体質だったことは否めない。

 体質が変わったのは20代半ばのことで(この頃、僕の体質は大きく変化した)、以来、納豆も食べるようになったし、生イカや生タコの、淡くもみずみずしいアミノ酸系の味わいも分かるようになったのである。
 肉の脂身の美味しさは、ベーコンを自作するようになってから繊細に感覚できるようになったし、鶏の胸肉をソテするときには皮の下の脂身などわざわざ取り除いたりせず、そのまま皮目からじっくり焼き付けて溶かし出すという横着ぶりである。
(モノが悪いと鶏臭いが)

 そのようなわけで、30代までは、僕も添加物まみれの食べ物を美味しいと思って食べていたし、料理の味付けには大量の調味料を(化学調味料バンザイ!という勢いで)使っていた。

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 さても性感帯の話であるのだが、これらについてざっくりとサンプリングした結果、僕の収集した範囲におけるほとんどの人は、主に性器によってしか性感を得られず、ためにそれを使ったセックスしかしないようであるのだ。
 それどころか性器のみでしか性感を得られないという極端なものは少なからぬ割合を占め、ほかには一般によく知られる性感帯(たとえば耳であるとか、膝の後ろであるとか、足の指であるとか、背中であるとか)以外についての部位において性感を感覚できるという人については23人というサンプリング対象のうち、わずかに1人にとどまった。僕自身を入れても、2/24。

 あれ、いきなり1割近くなった。
(これを「大数の法則が成り立たない」という)

 実に、僕のこれまでの恋人のおよそ2/3(つまりおおよそ18/27である)もそんな状態であり、まして男が性器以外の性感帯を有している率が格別に低いらしく、結果として彼女たちはオトコというイキモノの性感帯は性器にしかないと勘違いしているフシさえあるし、それがそのままストレートに反映した結果、実に性器以外では性感を得ることもできないような状況が少なからずあったようにも思えなくもない(すごく言葉を濁してみました)。

 僕の身体で1、2を争う性感帯は、実のところ性器ではないのだけれど、しかし少々やっかいなことに、世間一般には(男女を問わず)白昼堂々露出していても特に不思議ではない部位なのである。
 たとえば手や耳のようなものであり、つまりは皮膚である。粘膜ではないのである。

 仮にこれが腕だと仮定しよう。
 夏場ともなれば、腕が露出していること自体は男性ならなんら不思議はないし、女性でもさほど不思議ではない。
 しかし露出していれば、これはこれで(それが性感帯と仮定された)僕としては心もとないことであり、まして恋人と一緒に歩いているときなどに、まかり間違って腕を組まれたり、腕を掴まれたり、掴まれたついでにもう少し奥の方に指が到達しようものなら「ひゃっ」と声を上げて座り込んでしまうほどのあやうさになる。
 なにせ相手は僕の恋人であり、彼女の触れている場所が(一般の人には何でもない場所であろうとも)僕には一番の性感帯であるのだから。
(僕は自分の好きでもない人に身体を触られても何も感じないために性風俗を利用する機会がないものの、好きな人に対しては感覚器を開きすぎている可能性が否定できない)

 そのようなわけで僕はなるべく肌を露出しない。
 毛の生えたすねなどは獣っぽくて見目麗しくないし、首から胸にかけての鎖骨付近などは人によってはセクシャルな(あるいはセンシティブな)部位なので、やはり露出したくない。
 肌が綺麗であればあったで、自分の身体に劣等感を持っている人に誇示するようなことをしたくない。
(見たいと思う人が僕を見るぶんには好きにしたらいいと思うけれど、相手の反応おかまいなしにこちらから誇示するのは、夜道にコート一枚で下半身を晒す変質者と変わらないではないか)
 で、僕にとって腕や肩や手首が性感帯であるならば、当然これは露出できない。
 それは僕には性器みたいなものだから。

 スーツを着用していると、非情に心持ちが落ち着くのは、そういう作用もあるようだ。
 あれはユニフォームではなく、僕にとっては身を守る鎧である。

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 個人的に他人の身体を観賞するのは(老若男女問わず)楽しめるので、僕は普通にそのへんの人を観賞する。
(性的な目的ではなく、造形やその成長原理を推察するのが楽しいのである)
 若い身体も、老いた身体も、痩せた身体も、肥えた身体も、筋肉質なものも、のっぺりしたものも、それぞれの造作に表情があり、積み重ねたものがあり、疵は疵で、珠は珠で、相応に味わい深いものである。
 もちろん、相応の手入れがされていてこその味わいではあるけれど、それは盆栽などをはじめとしたすべての動植物にも当てはまることであり、あるいは使い込まれた工具や調理器具、革靴のような非生命にさえ当てはまる。

 しかし世の人々は鈍感である。
 ステレオタイプな美景にしか、美しさや調和や摂理を見いだせない。
 分かりやすくて決まりきった幸せしか自分自身に許すことができず、すぐに不幸を気取る。
 擬音語ばかりの少年漫画のように広く流通した、大味な性感しか感覚できず。
 今日も美味しく添加物にまみれた美辞麗句には酔うのである。

 では敏感なら良いのかといえば、そうとも限らない。
 自分の汗に含まれる成分で、肌にちくちくした刺激を感じたり、かぶれたりするような私は、やはりこの世界で生きるのには不向きなのではないのかと自問するのである。

 恋人が不潔な場合も、同様に僕の身体は爛れる。
 こうなると、鈍感が悪いのか、敏感が良いのか、分からなくなる。
 それでもまぁ、鈍感よりは敏感な方がよいし、不潔な恋人よりは清潔な恋人の方がよいようには思う。








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::「探偵は、そういう人の大事な秘密を絶対にもらしてはいけないのだ」
「探偵じゃなくても、もらしたら駄目だと思うよ」
「探偵じゃない人間は、そもそも秘密を知らない」




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[出典]
~ List of Cite ~

引用は、
「探偵伯爵と僕 ~ His name is Earl ~」
 文頭部(p.76)文末部(p.24-25)
(著作:森 博嗣 / 発行:講談社ノベルス)
 によりました。






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