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//TimeLine:20160620

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TITLE:
おバカさんたちの金メッキの神様
SUBTITLE:
~ Midas. ~
Written by BlueCat


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::バートランド・ラッセルはこう指摘した。
「逆説的に見えるかもしれないが、精密科学はどれもみな近似に支配されている」
 広く受け入れられている科学的“証明”でさえ、つねに小さなあいまいさを含んでいる。
 このあいまいさは完全にはなくならないにせよ、小さくなることもある。しかしその一方で、結局は証明が間違っていたことが明らかになる場合もあるのだ。
 科学的証明が持つこの弱点が科学革命をもたらし、正しいと思われていた理論が別の理論に取って代わられることになる。こうしてできた新しい理論は、もとの理論を改良しただけのこともあれば、まったく逆の主張をすることもある。




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//[Body]
 新しい会社に入社してからというもの、5:30起床、19:30帰宅が標準になった。
 ために、従前のように月曜がもっともポテンシャルが高く、金曜の夜ともなるとボロ雑巾も斯くやあらんというほどぐだぐだだ。濁点ひらがなが6文字続くなんてちょっとすごい。

 銀行の関連会社に入社したという事実をして叔母は「アジアの奇跡だ」とのたまい、妹にいたっては「かわいそう……。ここで運が尽きたね」と言い放ち、友人においては「お前は来週クビになる」と宣言し、弟子に至っては鼻で笑った(冗談だと思ったらしい)。

 驚くべきはその組織の組成であり、役職のない平社員というものが全体の1割に満たない。
 名前なしで「部長」と呼びかけると、全体の4割程度がこちらを向くかもしれないが、多分見向きもしないと思う。
 しかしまぁ、そんなことには2週間で慣れた。

 そして今では毎晩何時に寝ようとも、5時には一度目覚める体質になってしまった。
 厄介なのは、まともな夕食を食べようものなら平気で21時を回ること。
 ために「ワークアウト、ビタミン剤、豆腐、枝豆、日本酒」あるいは「ワークアウト、ビタミン剤、豆腐、玄米、煎り大豆、日本酒」「ビタミン剤、豆腐、玄米、鶏胸肉、日本酒」というような、プログラムがこなされたのち、シャワーを浴びて眠るのである。
(平日に入浴は不可能である)

 本を読んだり、TVゲームをしようものなら就寝は0時を回る。
 時間を忘れようものなら、2時近くになる。
 しかし睡眠不足を補おうと、電車に乗って眠ろうものなら、電車酔いをする。
(どういうわけかは分からないが、最近の僕は電車酔いをするのだ。それとも更年期障害だろうか)

 兎にも角にも(うさぎにもつのにも、と読む)銀行で相応の役職にいた人(僕からすれば立派なエコノミストである)たちに多く囲まれる職場であるため「OAP(オカネモチ・オートメーション・プログラム)」の構築においてその存在とそこから得られる情報は重要なものとなったのであった。

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 彼らの多く(むしろほとんど)は文系である。
 なぜなら経済という現象(あるいは行為)はそもそもが人工的だから、純粋数学のような数学的(あるいはせめてもの科学的)厳密性(あるいは完全性)をそれは要さない。
 公式や変数に規定どおりの対象数値を当てはめればそれで答えが出てくるという、学校数学の延長線上のようなことをするのがエコノミストの正体である、と僕は思っているのね(口調が変)。

 理系が文系の上位互換であるならば(実際にそうだけれど)、経済的数値演算や経済的微積能力(時間による変位を解析すること)は文系でも十分に対応できるという証左(公式に数値を当てはめるだけだから)であり、同時にその限界は現状のいろいろを見るだけでも充分に理解できる。

 経済はいつまでも発展したりしないという、ごく当たり前のことを見失っていた時点で、あるいは経済という現象がこれだけ複雑化した実存世界の中で未だにコントロールできると幻想している時点で、もはやその能力の限界は明らかであり、そもそもの無理も明白である。
 にもかかわらず「経済という信仰」にすがることしか知らない者ばかりであるがゆえに、迷走は続くのだろう。

 経済に限らず、もっともらしく数字を展開して、アタマワルい人たちを煽動しようとする仕組みはどこにでも存在している。
 だからバカが増えれば彼らは得をする。
 幸い、世はバカが増え続けている。ひょっとしたら誰かが仕組んでいるのかもしれないし、仕組まなくても、自然発生的な数学的法則に基づいて、一定割合のバカが発生するのかもしれない(僕は後者だと思っている)。

 数字を展開することは、数学などではない。
 統計も、あるいは統計学も、現象を数値換算する仕組みに過ぎない。
 だから現象がドラスティックに、あるいは未知的な状況で変化するとき、統計学によって作られていた公式は、統計によって算出されていた解は、何の意味も持たなくなる。

 文系の人間達は無力で、しかし理系の人間と違って謙虚さに欠けるから(なぜなら理数を理解する人間は完全の意味を知っていて、文系の人間は完全という言葉の意味しか知らないから)自分やその理解しているものを完全なるものと勘違いして、ときに理系の人間を平気で虐げるし、理系の人間は自分の不完全性を理解しているからときに平気で虐げられてしまう。

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 会社でPCを分解していたら(たまたまそういう役回りが巡ってきたのだ)他にそんなことにチャレンジした人間も、できる人間もいなかったらしく、「もしかして猫さん、理系ですか?」と尋ねられたので、まともに答えるのが面倒くさくて、つい「はい」と答えてしまった。

 実のところ僕は文系寄りである。

 けれどもどうやら(僕の周囲に対する観察の結果)絶対値的には多くの人よりは理系的傾向が強いらしく(要は、僕が理系3文系4程度の配分だったとして、多くの人は理系1文系3くらいの配分なのだろうという意味)(そもそも文系的傾向なんてものは、なかなか絶対的には評価しづらいものだとは思うが)文系的素養についても、記憶を頼りにしない能力においてはあまり負けることがないように感じている。

 以前、僕のことを「情緒的に過ぎる」と嗤った人間がいたのだけれど、確かにその人は情緒的には欠ける部分が非常に多く、つまるところ文系的素養も、理系的素養についても僕より圧倒的に劣っていたので、あれは褒め言葉だったのではないかと今は反省している。

 エコノミストの多くもこれと同じで、つまるところ理数的素養が優れておらず、もっとはっきり言うと理数的素養が劣っていて(先の例に従うならば謙虚さにも欠け)、にもかかわらず文系的素養も(歯に衣着せず申し上げるならば)たいしたことのない人間が、もっともらしく数字をいじることで、なんとなく「ほら、僕ってほら、こうね、こう、ほら、デキる感じじゃない? 感じじゃない? だからさ。ほら。こうね、ほら。この数字の意味するところはさ(クイクイ)(眼鏡を持ち上げる)……」みたいな「ほらね系」を演出しているだけなのではないだろうかと僕は思っている。

 たとえるなら、ビル・ゲイツはもれなくエコノミストかもしれないけれど、エコノミストがもれなくビル・ゲイツではないし、もれなくビル・ゲイツにはなれないし、もれなくビルゲイツのようにもなれない。というような感じだろうか。え、なに、集合論が分からない?

 いずれにしても、天に届く塔を作ったのは、間違いなく文系の人間だろう。

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「PEACE Classic」なる限定品が発売されたということで、会社のそばの煙草屋でこれを買い求める。
 いくつか付録もついているが、専用缶ケース20本入り1500円という、高級品であった。
(でも、葉巻より安い)

 封を切った瞬間から、チェリー系の良い香りが漂う。
 ヴァージニア葉(おそらくかなりの高級煙草葉だ)のやわらかな甘やかさ。
 会社で一本火を着けたが、これは自宅で吸うべきシガレットだと判断した。

 最近は、シガレットを吸うときは(といっても半年にひと箱くらいしか買わないが)Peace のアロマロイヤルを買う。

 そっと火を着けて、ゆっくり(あまり高温にならないように)煙を喫むと、たいそう甘やかなよい煙である。
(そしてしっかりニコチン酔いもする)

 肺喫煙をしなくなってから、喉を痛めることがまったくない。
 これはよいことである。

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 OAPの初動ルーティン(就職のことではない)はすでに僕の手を離れて稼働し始めた。
 モテと同じで、やっぱり基礎の部分は同じだった。
 そしてやはり、モテと同じように「それを何に使うのか」がもっとも重要なポイントなのだとは思う。








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::しかし、科学理論を数学理論と同じレベルで完全に証明することはできない。手に入るかぎりの証拠にもとづいて、「この理論が正しい可能性はきわめて高い」と言えるだけなのだ。いわゆる科学的証明は観察と知覚とをよりどころにしているが、そのどちらもが誤りをまぬがれず、そこから得られるものは真実の近似でしかないのである。



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[出典]
~ List of Cite ~


文頭文末の引用は、

第1章「ここで終わりにしたいと思います」(p.58)
From「フェルマーの最終定理 ~ Fermet’s Last Theorem ~」
(著作:サイモン・シン / 発行:新潮文庫)

によりました。







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