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//FileName:Archive/feelin_my_night_sight
//TimeLine:20080829
TITLE:ちりちりしてる/わたしという名の皮膚がいる
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* ちりちりしてる/わたしという名の皮膚がいる
~ feelin' my night sight. ~
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::それは、この種の男たちは、いかに書きまくろうがしゃべりまくろうが、自分自身の考えていることを述べるよりも、「解説」することのほうに熱心だからであろう。この種の男たちの一人の口ぐせは、学問的に言えば、という一句だった。それでいて、言うこととなると、非学問的なことを一見学問的に整理して述べるだけなのである。
(「インテリ男はなぜセクシーでないか」From 「男たちへ」)
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*ちりちりしてる
Written by 工場長
読みたいものを書いてくれる人が、どこにもいない場合、それは自分で作るしかない。
それはいわゆる、自慰行為である。
すなわちマスターベーションであり、そこに存在するのは、愛よりもむしろファンタジー(俗語に訳すと妄想)である。
今日は久しぶりに日記を書こうと思う。
なかなか、衆人環視の中で、それを行うのは、よくよく考えると、異常な行為ではある。
それが、一般化したのが、ネットの気持ち悪さなのかもしれない。
しかしそれでも、その異常さのいかんを問わず、そうした一種の排泄行為を求めている部分もあり、わたくしとしては、特に気にすることもなく、日記は書きたい。
日記を書けなくなる時は、まず間違いなく、読者の存在を意識した時であり、それを忘れるために、僕自身は「(コメントする機能を有しているにもかかわらず)なるべくコメントしづらい」という様相を好む。
主に、コメントは、自分で自分の日記に言及するために存在している。
あるいはそれが、日記ではなくモノローグであるならば、自分自身で解説をはさんだりして自己完結するような、そういうものが好きなのだ。
自分以外の何者かの媒介によって完成するような、そんな軟弱な世界観なら腐って溶けてしまえ、と思う。
それは日記に限らない。
人はそれぞれに、まったく違う世界を見て、そこに生きている。
そこには、もちろん、なんらかのコモンセンスが存在するだろう。(日本語に訳すと)共通感覚。
そして、その共通の部分と、独自の感覚の部分との、境界には、ちりちりとやけるような、壁があるのだろう。
触れられそうで、触れない。
行けそうで、行けない。
もしも、日記を共有する意味が本当にあるならば、そこにはそのふたつが不可欠なのだと思う。
誰もが「そだよねー」としか言えないような(たとえば、カラスって基本的に黒いよねぇ、といったような)日記は、できうるならばやめていただきたいし、どこからどこまでが青で緑か、みたいな、それこそ各人の感覚によるようなものについて「あーでもない、こーでもない」と言いあう愚は(少なくともわたしは)避けたい。そんなのつまんないから。
逆に言えば、僕の場合、そういうものしか書いて公開しない、ということにもなるだろう。
誰でもが「そですねぇー」としか言わないようなものなんて、書くのもばかばかしいし、だからといって誰でもが「いや、それはないと思う」としか思わないものも、まったく同じ性質のものなのだ。
だから、自分でも書いていて、ちりちりしていたいし、そういうものを読んでいたい。
共感を得るとか、同情を買うとか、総スカンを喰うとか、ひんしゅくを買うとかは、どうでもよろしい。
読んで勝手にちりちりしておればよろしかろう、というのが、私の考え方だ。
すなわち、書いて勝手にちりちりしておれば、それでよろしかろう。
そういう場所が、私は好きなのだろうから。
*わたしという名の皮膚がいる
Written by 黒猫
夏の半ばにあせもができてしまった。
これにはいろいろな原因が考えられるのだが、まあとにかく、結果から申し述べてしまうと、夏の半ばにあせもができてしまったのである。
しばらく苦悩の日々が続いていたため、日記を書くのをお休みしていた。
結論から申し述べると、これは単なる言い訳である。
皮膚というものを、わたしは存外大切に思っている。
足の裏の角質が、分厚くなるのは耐えがたい。
皮膚の感触が、にぶくなるのが耐えがたいし、皮膚そのものにはびこる違和感が、耐えがたい。
皮膚の清潔さなんてものよりも、皮膚の感触を大切にしている。
結論から申し述べると、これは同じ状態を指向することになる。
いろんな美容法なるものが巷((みなとではない。))にはあふれているような気がする((真面目に観察したことはない))が、肌にとって大事なことは、新陳代謝を適切なレベルで保つことと、清潔に保つことと、それよりなにより、たくさん撫でてあげることだと思っている。
できうるならば、美女にいたるところ、撫でてもらえれば幸甚至極なわけであり、
「アヲネコさんの肌ってば、撫でてるとこっちがうっとりしちゃうくらい気持ちいい♪」
と、美女に言われるように日々努力(というほどのものでもない)をしているのだが、いかんせん、ぼんやりしていると、美女とデートするのを忘れてしまう。
美女とデートしないと、よもや私の肌を撫でるものは私しかいないわけであり、それさえも、ぼんやりしていると、忘れてしまうわけであり、そうなると、肌が荒れるのである。
肌が荒れると、気分がすさむ。
気分がすさめば、何もする気が起きなくなる。
それではよろしくないので、肌が荒れないように、普段から気を付けているのであるが、仮にデートしている女の子が、なかなか私のことをべたべたと撫でまわすことをしない(おそらく受け身、あるいは怠惰な)タイプであったりすると、私はそのうち肌が荒れて、気分がすさんでしまうので、そういう女の子とは、デートする時間を作りたくないなぁ、なんて思ったりするのである。
結論を申し述べると、私のことを撫でまわすおにゃのことデートしたいです、ということになる。
さて下劣なことを書くのもたいがいにしておこうか。
いずれにしても、私は、皮膚がメインの生き物だ。
肌に合わないものは、頑として拒むし、肌触りの善し悪しは、いかなる情報よりも信頼できる。
情報の、入力を、どこでするか、ということでもある。
考える生き物の時代など、もう終わりで良いではないか。
ヘタな考え休むに似たり、とも言うし、人間なんぞの考えることなど、どのみち私利私欲に満ち満ちているではないか。
目で見る、耳で聞く、それはそれで結構だけれど。
肌をなまめかしくくすぐる感触。
ほおをやわらかく撫でる風。
背中をすばやく走る緊張。
耳元をつたう甘やかさ。
肌に感じないものなんて、とてもじゃないが信じられない。
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&aname(escort);
&aname(escort);
::誰かわたしをあたためてー、と言いながら部屋じゅうをさがしまわり、電気ポットを見つける。
抱きついたら、ものすごく暖かかった。抱きしめているだけで、てのひらも指先も首も胸もとも、全部あたたまった。
(「色ぼけ欲ぼけ?」 From 「東京日記 卵一個ぶんのお祝い。」)
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&aname(list_of_cite);
出典
出典
~ List of Cite ~
冒頭引用は
『男たちへ』(著作:塩野 七生 / 発行:文春文庫)
文末引用は
『東京日記 卵一個ぶんのお祝い。』(著作:川上 弘美 / 発行:平凡社)
によりました。
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&aname(nexus);
*NEXUS
~ Junction Box ~
[Isotope]
[[カラダはすべて知っている]]
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[key]
&tag(★★☆,Beauty,Create,Darkness,Ecology,Interface,Link,Mechanism);
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&aname(category);
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Category:青猫のひとりごと:暗闇エトランジェ
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