::飛行機が美しく見えるのは、たとえば電化製品や洋服などのように「人に優しい」という部分がないからではないだろうか。
 飛行機は、空を向いている。
 飛ぶための形をしているのであって、地上にいる人間たちのウケを狙って翼を広げているのではない。
 その意味では、人間に優しい形ではないことは明らかだ。
 それが、どことなく伝わってくる。無駄がない、贅肉をそぎ落とした形に見える。その洗練が、感覚的にわかる。
 だからこそ、本当に格好良いと感じるのだ。

(「飛行機の証明」 From 「工作少年の日々」/ 森 博嗣)





 写真を、持っていない。

 14歳の秋のとある夜、さんざん思案した末、すべて捨ててしまった。

 タンスの抽斗のなかに、永らく眠っていた写真、そしてそのネガ。

 実にその頃は、我が家では写真を撮る機会もなくなって久しく、写真を撮る者もいなかった。
(巨大な冊子としての)アルバムは、どこかの戸袋に仕舞われたままで、アルバムに入り損ねたか、あるいはアルバムから取り出されたかした、写真たちとそのネガが、そのタンスの抽斗に納まっていた。

 私はその抽斗を空にしたかった。

 空にして、自分の思うように使いたかった。

 けれども、そこには写真がある。

 私の生まれた時のものから、私だけではない(当時はもういない)家族のものもあった。

 自分の知らない自分や、自分の知らない家族の画像。

「ああ、こんなこともあったなぁ」などと思い起こしてみたり、
「はて、こんなこともあったのか」と驚いたりしながら、
 一枚一枚、しばらく眺めていた。

 眺めながら、しばらく考えていた。

 そして、おもむろに捨てた。

 抽斗を丸々引きずり出して、ポリ袋(当時は黒かった)の中で、逆さにした。



 そのときの僕の思考をトレースすると、以下のようになる。

 抽斗を空にしたい。

 写真が邪魔である。

 別の場所に整理して仕舞うのは面倒である。

 捨ててしまいたい。

 しかし、数年後、数十年後、また見たいとは思わないだろうか。

 私が思わなくても、家族の誰かが、見たいと思ったりはしないだろうか。



 いや、すでにいない家族の者は、見たいと思っても、見ようがないだろう。

 今いる家族は、これまでの数年間にわたって、アルバムを開いたり、写真を掘り返すようなことはしていない。きっとこの先も見ないだろう。

 では、最終的に、将来にわたって自分がどう思うか、だな。



 そう思いながら、1枚1枚、眺めていた。

 姉たちの写真があり、妹の写真があり、自分の写真があり、父の写真があり、母の写真があり、夫婦の写真があり、家族の写真があった。

 これらの写真におさめられた過去はともあれ、これらの写真1枚1枚が、それぞれの者にとっていかほどのものであるかを考えた。

 皆で旅行に出かけた時の写真があり、幼い妹と遊んでいる、(女の子に見えるが)私と思しき子供の写真があり、母に抱かれている誰か(私か、妹か、姉か、判別ができない。日付けもない)の写真がある。
 若い頃の父と母が、手をつないで立っている写真がある(誰が撮ったんだろう)。

 はて。

 と思う。

 はて、一体これらを、私は将来、見たい(あるいは誰かに見てもらいたい)などと、思うだろうか、と。

 もちろん、ネガごと全て捨てるか、全て残すか、という岐路に(誠に勝手ながら)立っている訳なので、その(誠に手前勝手な)責任は、重大である。

 しかも、誰かに相談すれば、絶対に「いや、捨てない方がいいだろう」と答えるに決まっているのである。
(少なくとも、私ならそう答えるはずだ)

 見もしないのに持っていることで安心してか、そんな重荷で(いや、写真は軽いが)自らの空間自由度を低下させ、そこに安住する文化様式が、思考概念が、そこには存在するのである。

 果たして、それでいいのだろうか、と僕は思った。

 どうせ見ないのなら、捨ててしまえば良い。

 なのにどうして、捨てることが後ろめたいのだろう。

 これが写真だからであろうか。

 それとも、自分や家族の写真だからであろうか。

 これが、自分の歴史の証明だからだろうか。

 だから、捨てられないのだろうか。

 一体誰が、それを私に教えたのだろうか。



 いや、写真など、いくらでも捨てられる。

 家族のものであろうと、自分のものであろうと、見ない写真に価値はない。

 これは歴史ではなく、あくまでも写真である。

 写真を捨てても、歴史は変わらない。

 ならば。



 そう思い、きちんと1枚1枚を見納めして。

 そして捨てた。

 空っぽの抽斗という自由と、記憶に焼き付いた家族の画像を、僕は引き換えに手に入れた。





 その頃すでに、僕は視覚で人を記憶しなかった。

 声や匂いや空気で、その人物やその時点での状態を把握するのは生来のものなのかもしれない。

 あの時の写真も同様で、映像の細部のほとんどを記憶してはいない。

 ただ、あの夜、1枚1枚に封じ込められた過去に思いを馳せて、それを捨てる決意をした時、大げさかもしれないが、
「ああ、これが生きるということなんだな」
 と、そんなふうに感じた。

 記憶は記憶、歴史は歴史、過去は過去、モノはモノ。

 人は人、自分は自分、家族は家族。

 大切なものは、どうやったって大切なもの。

 そして、今は、今しかないという事実。

 確固とした今は、今この瞬間にしかなく、過去も未来も、曖昧で確かなことなどひとつもない。

 だからこそ、人間はそれを形に残したいと思い、記録に残したいと思うのだろう。

 そしてあるいは、カタチにしてしまったがために、それで安心してしまったがために、結果として壊すことになってしまったのかもしれない。



 ならば、と思った。

 今という抽斗のなかを、なるべく自由に、からっぽにして。

 本当に大切なものは、

 たとえカタチに残したとしても、胸の中に、いつまでも残し続けよう。
 カタチを捨てても、心から捨てることはないようにしよう、と。



 必要なくなったものは、どんどん捨ててゆく。

 気に入らないものは、次々処分してゆく。

 邪魔なものは、できるだけ排除する。

 いつからか、そんな、燃料の切れた飛行機のような生き方を指向するようになった。

 モノを捨てられない人からは、ずいぶん冷たい人間だと思われるようだ。



 写真についてもう一度触れると、僕は旅先でも写真を撮らない。

 集合写真などの場合はにっこり笑って撮ってもらうが、送られた写真は一度見て、捨てるようにしている。

 風景にしても、一緒に行った人にしても同様。

 本当に綺麗なもの、本当に大切なものは、勝手に心に焼き付くものだ。

 学生時代の文集の類いも、半年開かなければ捨てるようになった。
 半年開かないことが分かっていれば、その日のうちに捨ててしまう。
(結果、一冊も残っていないが、不便を感じたことは一度もない。きっとこの先も、ない)

 記憶も、想いも、感情も、カタチではない。

 それをカタチにして残すのは、本当は簡単なことではない。
 簡単なことではないのだから、安易にするべきでもないと思っている。

 しかし、私や私の家族の写真があったことには、感謝している。

 もし、あの写真がなければ、僕の知らない、あるいは忘れていた記憶を知ることはできなかった。

 存在しない写真では、捨てることもできなかった。

 皮肉なことと思うかもしれないが、僕の記憶に画像以外の情報として、決意や悟りというべきものと共に焼き付けられ、捨てられるべくしてあったと思えば、あれらの写真はなくてはならないものだったのだと思う。

 増槽(フュエル・タンク)のように、燃料を本体に回して、より遠くへ、より高くへ、到達させるために。

 不要になったら切り離される。

 それは、モノだからこそ、道具だからこその機能。



 人間はカタチにする生き物である。

 カタチが豊かさの象徴であり、カタチが確かさの証だと思っていた。
 カタチに残せないからこそ、カタチに残そうとし続けた。
 そういう歴史を経てきた生き物である。

 いつか、そんな愚かさを捨てられる日が来るだろうか。

 カタチではなく、記録ではなく、物質ではなく。
 こころに残る、記憶に残る、思い出に、歴史に残る。

 そんな生き物に。

 未来に変わらず残れる。

 そんな、壊れない、捨てられない、カタチに。



 翼の切っ先が青い無地に描く、鮮やかなカーブのように。

 時間と共に消えてゆこうとも、見るものの胸に、焼き付いて離れないではいられない。

 カタチではない驚きを、喜びを。

 いつも抱かせていたい。いつでも、抱いていたい。

 いつまでも。







 文頭引用は
「飛行機の証明」 From 「工作少年の日々」(p.202)
(著作:森 博嗣 / 発行:集英社)
 によりました。