::ああ、そうか。
そうだったんですね、神様。
僕は……間違っていたんですね。
そうだったんですね、神様。
僕は……間違っていたんですね。
151215
那須だ。那須にいる。
高原のさらに先まで山は続き、頂は雲に隠れている。
冬に特有のうっすらとした青いグラデーションは、陽光を吸収した薄くまばゆい雲が半分ほどを覆っている。
冬に特有のうっすらとした青いグラデーションは、陽光を吸収した薄くまばゆい雲が半分ほどを覆っている。
十数年前、この辺りに来たことを思い出す。
あれは父上が死ぬ前だったか、死んだあとだったか。
あれは父上が死ぬ前だったか、死んだあとだったか。
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いろいろなことに疲れてしまった。
不要なものが家の中の1/3ほどを占拠し、普段なら間違いなく捨てているはずが、大きいやらおよそ新品であるやら何やらで、手間や時間やコストを掛ける余裕もなくそのままになっている。
第一、発送した履歴書の返事がまだ来ない。
不安だ。
不安だ。
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自分で作ったルールとやらを他人に押し付けて、やれ信頼だ、信用だとのたまいつつも、自分についてはそのルールを守ろうともしていない、あるいは守っていないことさえ覚えていない人間がいる。
他人の人生を歩んだこともなく、自分の人生もまだ終えてもいないのにもかかわらず、わけ知り顏で、もちろん何の責任を持つでもなしに、あれはこうしろ、これはこうでなければ、これは貴方のためなんだよ、と図々しく、厚かましく、もっともらしく、優しげな表情で、しかし暗に高圧的に指図する人間がいる。
何か、良くない結果になったとしても、そういう連中は、
「あの時はそうするべきだと思った」
「最終的には、あなたが自分で決めたのでしょう」
と、最後まで自論の誤りなど認めることなくご高説くださる始末。
たいそう有難いことである。
「あの時はそうするべきだと思った」
「最終的には、あなたが自分で決めたのでしょう」
と、最後まで自論の誤りなど認めることなくご高説くださる始末。
たいそう有難いことである。
人間なんぞ、みな噛み殺してやるから死に腐れ、と思う。
だいたいこんな感じ。
このCMを見ても、何も感じない人のほうが、もしかしたら多いのかもしれない。
ネットで炎上したという話も聞かないから、きっと何も感じない人が多いのだろう。
僕はラジオCMしか聞いたことがないが、薄気味悪いのと、虫酸が走るのとで、しばらく嫌な思いをした。
もちろんオトナなので、苦情を申し立てたりはしない。
たびたび聞くうち慣れもした。
ネットで炎上したという話も聞かないから、きっと何も感じない人が多いのだろう。
僕はラジオCMしか聞いたことがないが、薄気味悪いのと、虫酸が走るのとで、しばらく嫌な思いをした。
もちろんオトナなので、苦情を申し立てたりはしない。
たびたび聞くうち慣れもした。
頭数を揃えて、無言の圧力を掛けるのが不愉快だ。
圧力を掛けておきながら「それはあなたが決めることよ」と白々しい責任逃れをする欺瞞が不愉快だ。
(他者に対する欺瞞であれ、自己欺瞞であれ、欺瞞は欺瞞だ)
圧力を掛けておきながら「それはあなたが決めることよ」と白々しい責任逃れをする欺瞞が不愉快だ。
(他者に対する欺瞞であれ、自己欺瞞であれ、欺瞞は欺瞞だ)
暗黙の数の暴力を行使しておいて、結果論的な正当化によって予め自己防衛していることが不愉快だ。
まるで強姦されるような不愉快さだ。
まるで強姦されるような不愉快さだ。
私の身体に許可なく触るな、と思う。
私の思考に、私の生き方に、無理やり何かをねじ込むな、と思う。
私の思考に、私の生き方に、無理やり何かをねじ込むな、と思う。
しかもそういう連中は決まって一対一ではなくて、なんだか得体の知れない(金メッキのように薄っぺらに光り輝く)仲間だか味方だかを引き連れて、つるんでこちらを囲んでかかる。
人の話を聞くフリをして、そのジェスチュアの儀式が済めば、ただただ自分の論理を人の中に突っ込んで、反論を許さずねじ伏せる。
要は狩猟と一緒だ。
だから暴力なのだ。
その時点で正論の正論性なんてものはなくなる。
人の話を聞くフリをして、そのジェスチュアの儀式が済めば、ただただ自分の論理を人の中に突っ込んで、反論を許さずねじ伏せる。
要は狩猟と一緒だ。
だから暴力なのだ。
その時点で正論の正論性なんてものはなくなる。
それはそうだ。
強姦する集団の中にあっては、強姦することと、されることが、等しく正論なのだから。
強姦する集団の中にあっては、強姦することと、されることが、等しく正論なのだから。
考えられるだろうか。
ああ、考えられる。
集団の狂気であるとか、数の暴力であるとかは、つまるところそういう理屈で動作するメカニズムだ。
ああ、考えられる。
集団の狂気であるとか、数の暴力であるとかは、つまるところそういう理屈で動作するメカニズムだ。
しかしながら、許可なく、本来の意思に反して、対価も支払わず、責任も取らず、他者の身体はもちろん、思考や、未来や、財産や、価値観といったようなものを暴力や脅迫によって自分の思うように操ったり奪ったりするのであれば、すなわちそれは強姦と一緒だ。凌辱なのだ。
いかにそれが「その場」における正論であり、あるいは必然であり、あるいは必要であったとしても、それは許されざる行いではないだろうか。
肉体に傷を受けるわけではないけれど、同じくタチが悪い。
いかにそれが「その場」における正論であり、あるいは必然であり、あるいは必要であったとしても、それは許されざる行いではないだろうか。
肉体に傷を受けるわけではないけれど、同じくタチが悪い。
そういう連中の「いかにも私は正しいです」という涼しい顔が、不気味を通り越して不愉快なのである。
端的に言うと、
「ああ、こいつら、よってたかって人の考えをレイプしたくてうずうずしてるんだな」
ということになる。
「ああ、こいつら、よってたかって人の考えをレイプしたくてうずうずしてるんだな」
ということになる。
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そんな人間たちに疲れて、僕は那須にやってきた。
……のではなく単に仕事である。
……のではなく単に仕事である。
山はいいものだ。
そこに流れる川の水を眺めていると、それだけで楽しい。
そこに流れる川の水を眺めていると、それだけで楽しい。
自然は、こちらが学ぶ姿勢を忘れない限り、いろいろなことを教えてくれる。
なのに、決して何かを押し付けてくるようなことはない。
なのに、決して何かを押し付けてくるようなことはない。
現象というものの多くは自然現象で、つまりは日常の、たとえばガラスのコップを落とすと割れるとか、料理を加熱し続けると焦げるとか、植物に水をやらないと枯れるとか、猫を拾って育てるとか、そういったことから、僕は多くを学んだ。
もちろん、そうした基本的な姿勢を教えてくれた先生がいたのだと思うけれど、それは手取り足取り教えてくれたのではなく、単にありようを示してくれていただけで、それを勝手に僕は学んだのだ。
自分が示すでもなく、ただ頭ごなしに空虚な能書きを(それも雁首揃えて)垂れて、なおかつそれを当たり前のように人の中に突っ込んでくる品性下劣なイキモノを見るたび、僕はひどい気分になる。
アンタが本気で正しいと思うことがあるなら、ひとりでやってみなよ。
何の、誰の支援もなく、自分だけで、何から何までやってみて、それからモノを言いなよ、と思う。
何の、誰の支援もなく、自分だけで、何から何までやってみて、それからモノを言いなよ、と思う。
白々しい、うわべの正義を人の中に射精していい気分になるような暴力はやめてほしいと、最近大人になった僕は、ようやく思えるようになった。
指示を出して理屈を押しつけたとしても、実行した結果から理屈が正当であると理解できて、あるいは思わぬ結果になったとしてもそれをきちんと受け止め、責任を取ってくれるような人は、今までの人生でも3人しかいなかった。
つまるところ、今日もどこかで数の暴力によって、誰かがいいようにねじ伏せられている。
あるいはそれが人間関係だと、勘違いしている者もいるだろう。
あるいはそれが人間関係だと、勘違いしている者もいるだろう。
::暗くてじめじめしたところに棲む生き物を日の当たる地面に放り出したり、あるいは陽光をたくさん必要とする植物を暗闇に閉じ込めたりするのは、いずれも正しいことではない。
松を杉のように真っ直ぐに育てることはむつかしいし、杉を松のようにしなったカタチに育てることもむつかしい。
人間の欲は、時に歪んだ優しさを示して、あるいは裏返った正義を示して、自分の正論に酔う。
松を杉のように真っ直ぐに育てることはむつかしいし、杉を松のようにしなったカタチに育てることもむつかしい。
人間の欲は、時に歪んだ優しさを示して、あるいは裏返った正義を示して、自分の正論に酔う。
僕には救えなかった。
救うおうとすべきではなかったし、救おうと考えるべきでもなかった。
なぜなら、それは僕の欲でしかなかったから。
不自然を、他者に押しつけることでしかなかったから。
救うおうとすべきではなかったし、救おうと考えるべきでもなかった。
なぜなら、それは僕の欲でしかなかったから。
不自然を、他者に押しつけることでしかなかったから。
神様。
僕は、間違っていたんです。
僕は、間違っていたんです。
