「渡良瀬橋」と私
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今年は電車での移動が多い。
足利駅と足利市駅で、いつからだろう、発着時に「渡良瀬橋」のメロディが流れるようになった。
森高千里さんの曲が流行していたころの僕は高校生で、ここではない街に暮らしていたのだけれど、学校の先生に一人、それはそれは熱心なファンがいたことをよく記憶している。
色白で髪が長くてメガネを掛けた、いわゆる当時形成されつつあった「いかにもといった、ステレオタイプのオタク」じみた外観をされたその先生は、僕の数学と、いくつかのコンピュータ言語を指導してくださった。
先生は、僕のプログラム手法(フローチャートも下書きも概要図も変数表のメモも書かず、注釈もほとんどないままダイレクトにコーディングしてゆく)をして「時々、そういうことができる人がいる。それはひとつの才能だ」とおっしゃり、僕の勉学傾向(理科科学系、国語系を得意とし、数学と英語を苦手とする)とは無関係なプログラム適性に驚かれ、僕のプログラムを「コードは少し個性的だけれど、機能を果たすしデバッグも適切だった。何の問題もない」と評価された。
僕自身は、森高さんの楽曲にも(そしてそのルックスを含めたパフォーマンスにも)まったく興味がなかったが、そのファンである先生の、自身の熱中も含めた冷静なマーケティング分析のことはよく覚えている。
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どういう巡り合わせなのか、今年に入ってから、度々「渡良瀬橋」を聴くことがある。
あるいは自分の棲んでいる街のことだから、耳に残るようになったのかもしれない。
あらためて聴くと、奇をてらわないぶん、素直で優しい歌詞である。
素朴で、過剰な思い入れをしていないぶん、自然と追憶を誘うメロディである。
失礼を承知で書くが、森高さんという「アイドル」が流行っていた頃、そうしたものについて、僕は斜に構えて、つまりはバカにしていたのであった。
そして芸能人であるとかに熱中する向きをして、少なからず小馬鹿にし、距離を置いていたのであった。
にもかかわらず渡良瀬橋の楽曲に関する、wikipediaにあるような情報のほとんどが僕の記憶にあるのは、先生が授業などの合間に話してくれたことを、なんとはなし焼き付けてしまったからなのだろう。
アルバムの他の曲を聴くこともあるが、いずれもなかなかシンプルで、他の追随を許さない複雑怪奇な抽象思考をすること(誰にも相手にされない、ということをマイルドに表現してみた)を常としている僕には新鮮で、美しくさえ感じられることも多々ある。
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そもそも僕がこの街に棲むことを決めたのも、山と河が、すぐ近くにあるからなのであった。
先生の奥様は、件のアイドルに負けず劣らずの美人であるというのが、多くの男子生徒たちの冷やかしの種になっていたものなのだけれど、当然ながら、僕はそうした話には何の興味も示さず、淡々と授業の終わりを待っていた。
あの当時の僕は、まさかこの街に僕が棲むことがあろうなどとは、そしてそこがたいそう気に入ってしまうなどとは思ってもいなかった。
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森高千里 『渡良瀬橋』(PV)
