151205

 ラジオのスイッチを入れ、馴染みの周波数にチューンする。
 12月に入った途端、その日から、クリスマスに世間を浮かれさせようと物事は動き出している。

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 かねてよりアンチクリスマスを宣言していた私であるものの、その実、東日本サンタ狩り協会(通称:東サハ会(とうさはかい))の副会長をしていたことはほとんど知られていない。

 サンタ狩り職人の朝は早い。
 合法的、かつ迅速、的確、最適に、しかも隠密にして、そのうえ長期的にサンタを狩るための武器の用意をするためには、市販の狩猟用の罠を使ったりするわけにはいかないのである。
 我々サンタハンターの人員など、全世界のクリスマスを楽しみにしている人口、および毎年毎年どうしてこんなにと嘆くほどまで湧いてくるサンタクロースの数の前にはたかが知れており、ほんの小指の爪の先ほどの頭数にして、できうる限りのことをしなくてはならないのである。
 この上、人員が一人減ることは、すなわち100人のサンタを野放しにすることに等しい。
 まさに数の暴力の前に我々は無力なのだ。

 よって我々サンタハンターは、当然のように自身を含めた仲間の身柄の保全を第一に考えなくてはならないのである。
 これは、その個人に帰属する肉体や精神はおろか、我々に共通のイデオロギィや仲間の結束といったような曖昧模糊とした、たとえば「信頼関係」などという言葉にロマン(あるいはロマンス)を求めての帰結としてではない。
「その機能が存在の全てと知れ(協会員の心得その12)」の標榜にある通り、その能力を、機能を、目的を最大限に果たすための最適解をもってその帰結としている、それがゆえの協力であり、協働である。

 しかしながら協会員のほとんどは社会人でもあり、大半の社会人というものは労働に従事し、ある者は家庭を、伴侶を、親を、あるいは子を持ち、ある者は恋人を持ち、ある者は友人を持ち、ある者は本当に孤独である。
 かくして、サンタ狩り協会員のそのほとんどが自らの一つの貌(カオ)であるところのサンタハンターであるところを決して他者に悟られないためには、すべからく孤独の時間と空間を要し、ために早朝の公園で、あるいは深夜の書斎で、あるときには会議をし、あるときにはトラップを筆頭とした武器をこしらえる。
 それらはすべて、自らがまさにサンタハンターであることを隠蔽するための、必要にして周到な、必然的帰結なのであった。
 かくして、サンタ狩り職人の夜は遅い。

 当然、世間の人々に知られるところのサンタハンターなど、二流以下の、いわばまがいもの、流行りにまかせた目立ちたがり屋の所業であり、至極至高にして本物のサンタハンターたるもの、24日の深夜には、できうる限りそれらしく日常を過ごして(主に職務上の残業などというもっともらしい言い訳を使い)、世間の目を欺かなくてはならないのである。

 無論「サンタを憎んでプレゼントを憎まず(協会員の心得その17)」にあるように、基本的に、狙うのはサンタという存在(あるいはその商業的概念)そのものであり、また同時に「オトナのためのサンタ」のみを標的とするため、ヒヨコの雌雄判定士のごとき正確な鑑識眼(つまり対象が「オトナのためのサンタ」であるか、「コドモのためのサンタ」であるかを瞬時に見分ける能力)をも必要とするため、実行力のみならず、情報戦での高度な能力も必須とされるが、そもそも、サンタハンターの活動は、その年の正月明けには始まっているのである。

 かくして、サンタ狩り職人に休息など(つまりは盆も正月もゴールデンウィークも)ないのである。
 あるのはただただクリスマスだけなのである。

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 というような、どうでもいいネタを考えながら、群馬の北の山の、その向こうにある真っ白に染まった山を車窓越しに眺める。
 群馬県の県庁所在地にあたる前橋市は、赤城山という山の、緩やかにして広大な裾野に展開している。

 アンチというのは、そのアンチたる対象そのものの存在なしには成立しない脆弱なものである。
 ために僕はアンチをやめてしまった。

 なるほど、クリスマスというのは、なかなかにきらきらとした雰囲気があり、華やかな、あるいはうきうきするような予感というものが含まれているようでもある。
 次々流れるクリスマスに関連した楽曲を聴きながら、そう思う。

 そんな僕の左手は、ハンドルではなく「モンテ・クリスト伯」第6巻を収めている。
 全7巻中、6巻目にしてようやく復讐らしい復讐が果たされた。
 やれやれなんと長い詰め物であることよ。
 と思いつつ読み進めたのだが、なるほど脱獄するまでに1巻を費やしているのだから当然なのだろう。
 それにしても、登場人物の多さに、少々辟易したこともあるのだが、読み進めているとだんだんに理解できているような気持ちになる。

 僕は、はっきりしなかったり、よく理解できない部分に対して、そのまま読み進める習慣がある。
 映画などでも、途中でよく分からないシーンがあった場合は、たいていはあからさまな伏線である。
 そのシーンのうちから「これはなに? どういうことなの? ねえ?」と、やたら質問してくるバカがいて、あるいは見終わりもしないうちから「面白くない」だの「つまらない」だのと大声で騒ぐバカもいて、そんなに嫌なら見るのやめなよ、と言いたいのだけれど、僕は最後まで見てから考える派なので、うさぎにつの皆、黙って最後まで見ていなさいよ、とは思うのであった。

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 帰宅して筋トレ暖房。
 お湯を沸かしたり、料理を作りながらだった影響もあると思うが、室温が2℃ほど上がった。
 これが自分の体温だけだったとしたら、おそろしいことだ。
 そして実のところ、僕は身体が熱くなったために、たびたび上着を脱いで、熱を発散させてはいたのだけれど。

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 今朝は寒さで目が覚めた。
 気温は普段より3℃低かった。
 今夜はどうだろう。

 僕は、僕の熱を、いつまで保持できるだろう。
 いつまで保持すればいいのだろう。

 けれども春なんて大嫌いだ。