::──あの子もきっと、【同じ】なんだと思う。【私と】。シェルが殺した子たちと。
 血を吐く思いでウフコックに言いつのった。
「同じ……? それは、つまり……」
 ウフコックが言いさした。バロットの言わんとしていることを理解したのだ。バスタブにいる子が父親から何をされ、何をさせられていたか。あるいは父親以外の男からも。
──お願い、皆殺しにさせて。私なんか死んでもいいから。死んでいいから。
「落ち着け。悪意に巻き込まれるな。落ち着いて呼吸を整えるんだ」
 バロットは身体を震わせて泣いた。あらゆるおぞましい因縁が、この部屋で結実していた。怒りではなく、悲しみが殺意になるのをバロットはほとんど初めて体験した。シェルを殺すべきだった。オクトーバー社の男を殺すべきだった。この事件にかかわる、ボイルドやドクターでさえ殺したかった。そして最後に、自分の心臓を撃ち抜きたかった。
 ──耐えられない。助けて。私を助けて。
 温もりが左手に生じた。バロットは請い願うようにして、手のひらに上半身だけ現れたウフコックに指を絡めた。あるいはそのまま支配してしまおうとするように。
 ウフコックの渋みのある赤い目が、バロットをまっすぐ見上げた。小さな頭の上にバロットの涙がとめどなく降り注いだ。温かな雨を浴びながらウフコックがぽつんと言った。
「いい匂いだ」
 バロットは目を細めて、自分の最大の武器であり、最後のモラルでもある一匹のネズミを見つめた。
「君の魂の匂いだ。俺が信じるべきものは、これだという確信をくれる。俺に君を信じさせてほしい。シェルもボイルドも何も信じられず【鏡の向こう側】にいる。クリーンウィルがいたように。そこでは何の迷いも悩みもないかもしれないが、何の希望もない場所だ。俺はそこには行きたくない」
 それから、二人が初めて顔を合わせたときのように、両手を大きく広げ、
 「俺は俺を、君に託す」
 ぐにゃりと変身(ターン)し、左手袋の内側へ消えた。
 バロットの目にひときわ大粒の涙が浮かんだ。ウフコックが本気なのはわかった。使わせるのではない。託したのだ。全てを。ウフコックの良心さえも。その気になれば、一瞬でウフコックを支配できた。どんな濫用だって可能だった。






151120

 あたたかくなるものかと思ったら、まんまと雨が降り、寒くなった。
 秋も終わりだ。仕方のないところか。

 仕事の合間に、待ち時間が3時間も発生する。
 仕方ないので昼食を摂り、それでも大量に時間が余ったので少し昼寝をし、それでも時間がかなり余ったので書店に立ち寄り、岩波書房の「モンテ・クリスト伯」の第二巻を購入する。
 もう10年以上も前から(いつかは読もう)と思っていたお話であり、そして何度か手にとってページをめくっては(これは……面白いのか?)という疑問とともに書架に戻し、けれども数年前にとうとう(せめて1巻だけでも)と購入し、つい先週に読み始めた。
 古い作品でもあるし、岩波でもあるし、なんとも古めかしいのである。文体からして古典的で。

 14歳の時から古典と純文学を嫌っていた僕にとって、同年代で「芥川龍之介が好き」とか「よしもとばなながいい」とかきゃぴきゃぴしているガールどもには少々辟易していた。おまーら、ウィリアム・ギブソンとか、デイヴィッド・ブリンとか、ウォーレン・マーフィーとか、ピアズ・アンソニィとか読め! なんなら(当時は今ほど有名ではなかった)史郎正宗でも読め! と思っていた。

 しかし時は過ぎ、僕も当時の彼女たちと同じくらいには大人になったのだろう。
 多少の純文学や古典も読むようになった。
「茶の湯」とか「武士道」のすばらしさにも開眼した。
 で「モンテクリスト伯」であり、これが面白かったので第二巻を購入したのである。

 僕は復讐が大好きだという話をたびたびしている。

 復讐──。それこそが僕の生きる源泉だといってもいい。
 僕が復讐する対象を失ってしまったら、まるで現行政府を失った革命家のように、所在なく、そのへんの公園で鳩にエサをやる人生に甘んじることになってしまうだろう。

 ついでに一部の人は全く信じることがなく、一部の人は過剰に恐れるのだけれど、僕はこれでいて肉食獣なのでなかなかに凶暴なのでもある。あ、今きみ笑ったな! ほんとに凶暴なんだぞぅ!

 復讐が好きだと僕が言うたびに、顔をしかめる人もいる。
 すなわちそれは血なまぐさいバイオレンスを意味するのであろう。その人にとって。
 あるいは復讐に至るまでの経緯が、血なまぐさいのであろう。まぁ、分からないではないが。
 もしくは、単なる「仕返し」としての幼稚さや野蛮さを感じるのかも知れない。
 それが(希望的観測としては)僕というキャラクタに似合わないために(あるいは単に個人的に好まないために)復讐が大好きだと公言する僕に対して顔をしかめさせるのであろう。
 もっと穏やかに。
 もっと優しく、人と許し合う気持ちを持てばよいのだと。

 もちろんもちろん。
 僕はふだんから、のんびりぼんやりに心がけている。
 殴り合いの喧嘩なんて生まれてこのかたしたことがない。
(数年前、夜の屋外で、ちょっとしたことである男性と話しをする機会があって、ものすごく警戒された経験はあるのだけれど「いや、ボクそういう、自分の手が痛くなることとか、しないから! しないから! 武器持ってないし、誤解だから!」って思った)
 そのくらい、穏やかな顔をして、のんびりとした雰囲気をまとっている。
(中身は肉食獣だが)

 たしかに誰かが誰か(あるいは何か)に、深い復讐の念を抱くというのは、これは穏やかなことではないのだろう。
 その執念の深さは、かの者の傷の深さに等しい。
 その熱の猛りは、かの者の流した涙の熱の総和に等しい。
 その鋭さは、かの者の感じた痛みに等しい。
 そしてそれらを混ぜこぜにして、たしかに「仕返ししてゆくこと」が、復讐なのではある。

 しかし復讐する者は、本来ならば、復讐なんぞしたいというわけでは恐らくないのである。
 穏やかに、ぼんやりのんびりしていられるのであるならば、それに越したことはないではないか。
 そういう、なんというのか、ある種純朴な、ぼけら~とした性質があるからこそかえって、復讐の念を、その熱を、忘れずにいられるのではないだろうか。忘れることができないのではないだろうか。

 これが本物のバカであれば、そんな執念を持ち続けることはできないし、ずる賢い者であれば、そもそも罠に掛かることがない。
 ほどよい頭の良さと、ほどよい人の良さと、他人の悪意(可能な限り悪辣な)がタイミング良く相まって、不幸な事件があり、そこで初めて復讐の種であるところの苦痛が生まれるわけである。

 ゆえに苦痛はほとばしるほどに苛烈なものがよいわけであるし、それに伴う孤独は苔むすほどの寂寞に包まれている方がよいのである。
 よってささいなことでする「仕返し」と、こうした「復讐」を、およそ同列に並べていただきたくないのである。
 すなわちそれは、めんつゆで適当に味付けをした単なる煮物然としての「おでん」と、きちんと出汁をとって温度の加減や素材にも気を配って作られた「おでん」との差異にも等しいのである。
 お腹の中に入ってしまえば一緒であるとか、そういう乱暴なことを言わないで欲しいのである。

 たとえば僕が性犯罪を憎んでいたとする。
 それが起こる仕組みを、それを潜在し顕在化させる社会的なシステムを、あるいはそれを具現する人間の存在やその自己制御能力を。
 あるいは未成年者の売春であったり、そこから転じて風俗業というものであったりを憎んでいたとする。
(ところで問いたいのだけれど、売春と風俗業、その二つの間に、いったいどんな差があるというのだろう。いくつ答えられますか? 年齢? 法による規制? 本人の合理的判断能力? いったいあなたは、その答えがどれほど「合理的」であるか、理解していますか)

 あるいは過去に、僕自身や、あるいは家族が、何らかの性犯罪の被害に遭っていたとしたら?
 あるいはそれによって、その誰かが生死をさまようくらいの傷を被っていたとしたら?
 それともその結果として実際に、他殺もしくは自殺によって命を落としていたら?
 そしてその復讐の対象たる単一の個人がもはやこの世に存在せず、あるいは判明せず、人間の性別や性差そのもの、あるいは人間の本能や欲求にまで深く強く向かってしまって、自身の存続をも危うくしているとしたら?

 もちろんこれは例え話でしかないけれど、そうした「歪み」だけでなく「歪みを発生させるシステム」の根源にいたるまで、その環境因子にいたるまで、根絶、もしくは改修したいと思うのは、おかしな事だろうか。
 単一の個人からなど跳躍して、より大きな流れに向かって、より大きな復讐を求めるのは、その具現を願うのは、おかしなことだろうか。
 仮にその渦の中に自分自身がいるとしても。

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 あるいは復讐というのは、自分がその渦の中にいなければ、何も分からないものなのかもしれない。
 単に流されるだけのほうが、よほども楽なのかもしれない。
 地震や台風に復讐しようなどという人は、おそらくそう多くはないだろう。

 では、御しきれないのかといって、もし誰もがそうなのだと諦めていたとするならば、現在のような予測/速報システムは存在しないだろう。
 つまり、それは人間によってなされた復讐なのだ。
 二度と繰り返されないために、できうる限りの力を振るっている証なのだ。

 流され続けて「これは仕方のないことだ」というのは、とても簡単なことだ。
 まして傍観者であれば、それはとても容易なことだろう。自身には何の痛みもないのだから。
 けれど、もし自身の肌身に傷がなくともその痛みを感じることができて、なおかつ無謀であろうと微力であろうと、それに立ち向かおうという意思を持つのだとすれば。
 それこそが復讐のはじまりなのだと僕は思う。
 その復讐は、そこまで暴力的だろうか。凶暴にして凶悪だろうか。悪趣味にして独善だろうか。
 希望もなければ、未来もないのだろうか。

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 というわけで「マルドゥック・スクランブル」は、SF復讐劇なのです。
(導入長いなぁ)





(本文、みじかっ!)




::《知らんのかね、“天国への階段(マルドゥック)”の由来を。マルドゥックとは、もともと女神の息子の名だ。息子は女神を殺して天地創造の業を奪い、神になった。そして地上の人々は彼に近づくため巨大な塔を作り上げた。我々は禁じられた技術を有意義に使う。古いモラルを廃棄し、社会の発展に尽くす》
「勝手な幻想だ。モラルに新しいも古いもあるものか」
《君たちは緊急時(スクランブル)という名の檻に自ら入ることで生き延びた。社会から危険視される自分たちをどうにかしようとして。【オクトーバー社は社会から危険視されたことなどない】》
「自分が危険な存在でないと思う者に、モラルを語る資格はない!」






冒頭引用は
「第4章:導き Navigation」(p.235-236)

文末引用は
 同上 (p.227-228)

From「マルドゥック・スクランブル[完全版] The 3rd Exhaust - 排気」
(著作:冲方 丁/ 発行:早川書房)
によりました。

 なお、引用文中のルビ文字は『()小括弧』にて、傍点強調は『【】墨付き括弧』にて記述しています。