20090313

 0730起床。
 激しく身体がだるい。
 筋肉痛の直前くらいの状態。おお、30代をして「以前よりも疲れやすくなりました」と言わしめるのはこれか、と思ったが、昨日、普段しない腹筋なんぞを動かしたためだ。
 ほとんど遅刻寸前に会社に到着するが、相変わらず、遅刻という概念を忘れたかのような私の会社である。
 いうなれば、季節を忘れた渡り鳥のように、開くことを忘れた花の蕾のように、詩的な言い回しをあえてしているが、要はテキトーでもやってけるぜ、ということ。

 Safariの設定はほぼ終了。
 よく落ちる上、どうも毎回のようにサイトアクセスでIDとパスワードを求められる。
 しかも、Safariでアクセスしたあとのサイトは、他のブラウザでアクセスするとふたたびIDとパスワードを求められる。
 いわゆる「求められてばかりの状態」であり、これを「サイトにモテている」というとかいわないとか。
 言わない。

 僕は気分が乗らないときは、まず、コミュニケーションを絶つようにしている。
 たとえば、仕事でイライラした日には、なるべく友達や女の子には会わないようにしている。
 あるいはそういう親しい人と会う日には、なるべくイライラしたりしないように気をつけている。
 どうしても、人とコミュニケーションをとらない、ストイックな生活をしていると、そういう部分でずぼらになる。
 感情をいちいちコントロールしなくても、なんとかなるのである。

 身の回りをざっと見回すと、自分以外の誰かの思考や感情を、勝手に憶測する人間は多い。
 しかも、確認するでもなく、ぱっと見た判断だけで、検証するでもなく「あの人はこう思っているに違いない」と断定し、そのうえで対応を考える人が少なくないように観察される。
 僕は14歳の頃、アタマが可笑しくなるくらい日記を書き連ねる中で、いろんな可能性を考えるようになった。
 人の思考や感情は、その時点での可能性の広がりと、時間的な因果関係としての奥行きがある。
 その立体的な空間の中で、その瞬間にその人間が見せた表情は、あまりにも刹那で、氷山の一角どころか、ひとかけらの氷の粒のようなものだ。
 その一点から、すべての可能性を網羅することは当然不可能だし、その一点につながる道筋を断定することもできない。
 それでも、僕はそれをひたすら考え続けた。
 なぜかといったら、それが楽しかったからだ。

 世の中にはツンツンしている人もいるし、デレデレしている人もいる。
 しかし、ツンデレの人も、その逆もいちおう社会的地位(地位?)として認められるようになったわけだが、SM二元論的な、一方的、かつ不的確なキャラクタの設定を他人に押しつけたり、押しつけられたりという場面は、意識的でなくとも、誰でもがしてしまいがちな過ちである。

 僕は、その、氷山の一粒子だけで全体を規定することのあやうさに気がついて以来、他人の一点をして「この人はこういうひとだ」という断定はしなくなった。
 ただ、その人の、その状態が、その瞬間「そう見える」というだけのことだ。
 真実を知ることは、とてもむつかしい。

 簡単な方法がある。
 他人のその瞬間については、そのときは深く考えないことだ。
 あとで、一人になったときにでも、深く深く考えることだ。
 そして、それを相手に直接確認しないことだ。
 なぜならば、よほど親しい人間でも、人間は本当のことを言わない。
 酔っぱらっている人間ですら、自分が酔っていることを認めない。
 怒っている人は怒っていることを否定する(私はたいてい腹が立っていると、否定する)し、悲しい人は強がる。凶暴な人は猫をかぶるし、好きな人に好きといえるまでには時間がかかる。

 どうだろう。

 少なくとも僕は、この日記の上では猫をかぶっている。
 いつでもどこでも素直な人間はあまり見かけないが、そういう人はとても魅力的で、なんというか、尊敬に値する。

 とにかく考えすぎてゲシュタルト崩壊を起こすくらいまで考えると、もはやどうでもよくなってくる。
 最終的に、自分が相手をどう思っているか、どう接したいか、というシンプルなところに行き着く。
(行き着かない人は、考えが浅いのだ)(いま、断言しましたね)

 簡単な方法がある、と書いてからまた横道に逸れてしまったが「逸」という字は「逸脱」という意味のはずが「逸品」などという風にも使われるので、いったいどういうことなのだろうかと、急に気になってしまった。
 気になってしまったが、ここは僕の強靱な意志と理性と理想と理力も総動員した上で、精神力と神頼みと面倒くさがりな気分とを駆使して、なんとか本筋に戻ることにする。
 簡単にいってしまえば(早く言え!)自分がどうしたいか、ということなのだ。(あ、さっき書いたよね)

 もちろん、相手の感情や思惑が気になることもあると思う。
 しかし、気にしてどうする。
 そこを突き詰めて考えると、どうしても、相手を自分の思い通りにしたい、という下賤な現象に気がつくのではないだろうか。
 もちろん、下賤で悪いとは言わない。僕なんか、女の子を前にすると、下賤なことばかり考えてしまう。
 いやしいこと、あるいはいやらしいことばかり考えてしまって、仕事も手につかなくなってしまう。
 手につかないということは、すなわちさらさらしている、ということだ。
 乾燥している。べたつかない。すなわちお札が数えられない。
 よって、紙幣よりも硬貨を使うことになるのだが、お財布が硬貨でぱんぱんになっていればいいものの、そうもいかないときもある。
 では、紙幣をうまいこと数えなくてはならないわけだが、コンビニのレジの前で、かわいいおにゃのこの店員さんの前で、指を舐めるわけにもいかない。
 しかも、この指は、さっきまで自転車のハンドルを握っていたわけで、自転車のハンドルがどれだけ清潔さに欠けるかといったら、まるで自転車のハンドルのようだとしかいいようがない。
 かくして、指を舐める前にハンドクリームくらい塗っておけよ、ということになるわけで、どうしてこんな脱線をしてしまったのか、もはや僕には分からない。

 ここは僕の強靱なフォースの力をもってして、えい、と本筋に戻りたい。
 相手の思考や感情は、完全にトレースできなければ、はっきり言って判断を誤らせるだけだ。
 なおかつ、完全なトレースはおよそ不可能だ。
 よって、あらゆる可能性を検証して、そのあとはきっぱり忘れてしまえばいい。
 そのうち慣れてくると、可能性を検証するより前にきれいさっぱり忘れることができるようになり、いちいち悩むこともなく「あなたって不潔よ!」とか言われても「あ、褒められてる?」とか「うわ、その表情もかわいい(はぁと)」とか思えるようになってきて、なんというか、夢心地である。
 おっといけない、ここから逸脱タイムが始まってしまう。しまいかねない。そういう危険な予測が可能である。警鐘を鳴らす、というやつだ。
 しかし、自分で書いているわけで、予測が可能もないだろう、と思う人もいるかもしれないが、そんなことをいちいち計画してものを書いたりしない。
 僕は計画なしで、いきあたりばったりで、ものを書く。
 いわゆるノープランだ。

 たとえ長編の物語であろうと、なにも考えない。むしろ短編の方が考えているくらいだ。
 考えるだけ無駄だ、というくらいのところまで考えた結果が、これなのだから、いっそショートカットして、ナニも考えない方が良い。
 そうそう、かわいいおにゃのこが目の前にいても、心身滅却して無心の構えで、煩悩を忘れ、寝食を忘れて、自分に下半身などあることを忘れてしまえばいい。いや、寝食を忘れるとおかしな方向に行ってしまうので、ここはもう少しストイックに、そうだ、仕事のことを考えよう。
 だめだ、仕事のことなど考えたら、今以上にいい加減になってしまう。いい加減な人間になってしまう。いい加減にしておかないと仕事なんてやっていられない。いい加減にしろと読者にも怒られそうだが、どっちみち通りすがりの読者ばかりだろうし、コメント書く人もいないわけだからどうだっていい。それよりはやくこんな日記を書き上げてしまいたいのだが、どうもうまく話がまとまらない。ノープランも考えものだ。そうか、考えた末が考えないことだからこういうことになるのか。

 ここはひとつ、悪魔に魂を売って、本筋に戻りたい。
 このようにして、人間が何かを深く考えようとしても、脱線してしまう、ということがいいたいわけではない。
 ただ、自分ではない誰かのことを憶測するのは自由だが、だいたい見当違いになる。
 なぜかといえば、人間は思ったほど筋道が立っていないし、論理的でもない。むしろ野蛮である。混沌としている。アンタに言われたくない、と言われそうだ。なんて的確な憶測をするんだろう、と僕は今思ったけれど、本当にそう思っているのだろうか。いや、そんなことはあるまい。ここまで僕の文章を読んでいるのだ、きっと僕のことが好きで好きで仕方がないに違いない。ユー、我慢してないで認めちゃいなヨ!

 悪魔もダメならここはひとつ、核の力を借りて、本題に戻りたい。
 どうやって核エネルギーで本題に戻ることが可能なのかが分からないが、きっとすごいテクノロジーが、こんなところで無駄に使われているんだろうな、と思ってもらえればだいたいあっている。
 そもそもMacProをつかって、こんな駄文を書いている時点で人間終わりである。たまたま僕が猫だからこうして生きながらえているわけであって、人間だったら俳人間違いなしだ。357。コルト社の銃の話でも、イラストレータの話でもない。ダメだ、核の力ではびくともしない。むしろ汚染されているとは思わないか。

 猫の手も借りたいとはよく言ったもので、そろそろ5000文字を突破してしまうのではないかと心配している。

 いいたいことはなんとなく伝わっただろう、なんて都合良く期待することはまったく不可能だと思うが、もっと論理的に書いたってどーせわかりゃしないんだからこのくらいでいいだろう、とか思いつつ、強引に話を本筋に戻すなら、下手な考え休むに似たり、でもあり、なんていうかその、もっと自分に自信を持っていれば良いんじゃないですかみなさん。
 自信を持っていれば、他人をあれこれ必要以上に気にする必要もなくなるし、そもそも他人を攻撃する人ほど自信がないわけで。

 夕方に数年ぶりにS女史に会った。仕事で、である。
 また本を貸してくれたのでありがたく借りた。借りていた本を返したが「ヘブン…」は気に入ったから買うよ、といったら「だったらあげる」といってくれた。
 こうして不況が不況を呼ぶのだ。断固新しいものを買うべきだ、よって断る! とかっこよく断れれば良かったのだが、ニコニコしながら「ありがとう」と言ってしまった。素直。

 かわりにマスターキートン全巻と、20世紀少年全巻を巻き上げられた。
 おみやげにいただいたクロワッサンがとてもおいしくて、びっくりした。
 夜はクロワッサンと昨日のオニオンスープ。

 ACFAを2時間ほどプレイして3時頃眠る。