::あの一件で、私の周りもずいぶん変わったよ。もちろん私もね。
 最初は大変だったなぁ。
 なんだかんだと言ってもね、人にとって、いえきっと誰にとっても、新しいものと、今まで知っているものとの間に、なんていうんだろ、段差があるんだよね。
::段差。
::そう段差。ある種のショック/衝撃と言い換えてもいいかな。
::ああ、分かる気がする。
::その段差をね。上ることのできる人、埋めることのできる人もいて、そういう人は当然なんの問題もないわけ。
 一方で、その段差に対して背を向けて、あるいは打ち消そうと否定して、そうすることで自分のありようを守ろうとする人もいる。
 どちらも労力としては、たいして変わらないんだけど、人は歳をとると、どうも自分を変えることを厭がるみたいね。まぁ確かに自分の足場を崩して作り直すなんて、面倒ですもの。
 だから。もしかしたら、私もそうなのかも。
 もちろん足場を確保しておくことは「私」という存在を私自身にアンカする上で必要不可欠なことだとは思うの。
 でも、それを考えるとね、いつかあなたが言っていたことを思い出すんだ。
::なにそれ?
::「自分」「自分」とみな言うけれど「自分」っていったい何のことだろう、って。
::あははは。昔からずいぶん哲学的なことを言ったもんだね、僕は。






151016

 体脂肪率が17%を切った。
 体重を61kgまで回復させた。
 が、下腹部の筋肉をつけたせいなのか、うつ伏せになると恥骨(それとも座骨?腸骨?)と骨盤が当たって少し痛い。
 骨盤回りの贅肉がほとんどなくなったためだろう。腸腰筋の脂肪が無くなって血管が浮いている。
 しかし腹筋はなかなか付かない(使い方の結果としての)体質なので多少苦心している。
 太腿の内側に贅肉が残っていたのだけれど、新しいトレーニングを組み込んだらあっさりなくなってしまった。
 太腿を内側に閉じるための筋肉を使う機会は、考えてみるとなかなかないかもしれない。
 特に男性の場合は。

 以前書いたかもしれないが、僕は痩せると、足の裏のクッションが薄くなる。
 足の厚みが薄くなるのだ。
 結果、硬い床を歩くとごつごつ当たって痛い。
 しかし歩き方を工夫して、猫歩きをするようになったら、ぐっと改善された。
 猫歩きというのは、単純につま先の指の付け根を中心に着地して、足首と膝と腰で重量をクッションする歩行方法のことで今名付けた造語である。

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 ちょうど一年前の今頃か。
 感情も感受性も情緒も、なるほど不要であるならばと、消失することを自身に許可し、抹消することを決定したのは。
 まったくもって。
 それは僕の生活に不要で、それどころか日々をやっかいな苦痛にまみれさせた。
 それに前後するようにして、僕の皮膚粘膜は爛れはじめていた。

 なるほど感情や感覚というのは筋肉のように随意にすることはむつかしいと一般には思われているかもしれない。
 しかしそれは、長期的な感受性をコントロールできる人間からすれば単なる怠惰な言い訳でしかない。
 できないのではない。できないと信じ、しないことに徹しているのだ。

 いかに悲痛なニュースであっても、人は半無意識に自分の反応をコンロトールしている。
 たとえば自分からの距離でその痛みが変わるのがその証拠である。
 無選択的であるならば、自身の身近になるほど痛ましいはずもない。
(それが悪いと言っているのではない。ただ無自覚にそうであるのだとすれば「自分」などないのと一緒ではないかと言っているのである)
 多くは生まれてから子供の頃までに形成されるそうした感情の反射パターンは、しかしその実、自身の手によって再構成が可能なものだと僕は考えている。
 価値観の形成が多くの場合、記憶とそれに付随させられた情報に依存しているのだから。
 時間を要し、また外的要因が多かったとしても、ある程度になったら自分でそれらを選択できるはずだ。
 30を過ぎたら、人間は自分の顔に責任を持たなくてはならないのと同じように、生まれを越えて自身をデザインする能力を有してしかるべきなのではないだろうか。

 結果的に人間というものは自身という存在に固執するあまりに自己を喪失する。少なくとも僕にはそう見える。

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 実のところ、このひと月ほどで一番発達したのは肩の筋肉で、それが悪かったのか、数日前から「いわゆるむちうち症」(鉤括弧の付け方は誤りではなく冗句です)のごとくにひどく首が痛む。
 ちなみに僕は肩の筋肉を「上部に位置する背筋」と認識している。

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 凍結していた感覚の解除を先日開始した。
 以降、皮膚粘膜も回復に向かっている。
 私を守れるのは私だけなのかもしれない。
 それにしても、私とはいったい誰のことだろう。








::多くの場合、人は過去に、特に子供の頃の記憶に縛られちゃう場合が多いよね。
 結果として過去を繰り返す。人の攻撃特性や防御特性はその端的な現れで、自分が子供の頃に受けたことを、そのまま子供に仕返ししたりするのは典型よね。
 幸い私は、そういう不幸な子供時代をまったく抱えていなかったから良かったけれど。
::そうだね。僕はそうしたことをして「それのどこに自分があるのか」って言っていたんだろうね。
::え? 私が幸せな子供時代を送ったってことに?
::ううん。子供の頃の不幸に縛られる人間の存在に。
::……そうね。過去の意味を変えられない者に未来を作ることはできない。
::なにそのかっこいい格言。
::忘れてるんでしょう。これも貴方の言葉だよ。
::僕は過去を変えてるからなのか、思い出せないなぁ。
::そうしないと生きられない。
::そうなの?
::あはは。それも言ってたことだよ。
::あははは。そんなの全部忘れたよ。