::今まで好き勝手さんざん遊んできた挙げ句、はいそれでは飽きました、って急に真面目に暮らそうっていうわけ?
 仮にそれがまかり通るとしても、そんなの実現するわけないじゃない。違う?
 童話にあるとおり、それをどんなに誤魔化したところで、キリギリスは冬になればみな死ぬんだよ。






150928

 晴れ。

 僕は孤独にあまりにも慣れ親しんできたのかもしれない。
 最後に独りが寂しいと感じたのはいつだったろう。

 いや。覚えている。
 26の秋で、少し雲のある夜だった。

 結局のところ、そうした感情も、邪魔なものとして僕は排除したのだろう。
 遠い昔、恐怖心を捨てたように。

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 僕自身にとっての、仮想人格としての「貓」たちは、そうした僕の精神的アーキテクチャそのものだ。
 サン=テグジュペリが「僕の中には小さな男の子がいる」と言ったのと等しい構造様式によって、僕の中には猫がいる。
 それは人間という様式を無視しているからこそ、僕を人間という様式に対応させた。

 人間の中に猫などいないという人もいるとは思う。
 たとえるなら、艦これの雪風が轟沈するときの科白よろしく「不沈艦なんて……この世にないのね……」といった悲しい論理展開である。
 目に見えるものしか信じられない、数えられるものしか信用できないとは、時に空しいものではないだろうか。
 しかし、人は、自分の心を見ることができるのだろうか。数えることはできるのだろうか。

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 昨日から、月が綺麗だ。

 僕の体重は、60kg前後を行き来している。
 筋肉は増えたのだけれど、一日一食でアルコールをほとんど摂取しないからなのか、カロリーが足りないのかもしれない。
 ついでにたびたびお腹を下している。
 安いものは身体に合わないのだろう。

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 モノというのは困ったもので、たとえそれが自分のものであっても、なんらかの記憶が付随している。

 記憶のコントロールは得意なのだけれど、記憶の付随したモノは、形があるがゆえに処理が困難なときもある。

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 小学生になってから一緒に遊べる女子の友達はいなくなったし、4年ほどはは男友達もいなかった。
 夏休みのあいだ、僕はのんびり眠って、起きて、テレビを見て、眠った。
 久しぶりの登校日の時、見慣れない学校の教室に入って、僕は思ったものだ。
「この人たちはいったい誰なんだろう? そういう僕は、いったい誰なんだろう?」

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 誰なんだろう?









::思っていることと、それをカタチにすることは、ときに雲泥の差があるものなの。
 図面を元に作られる製品たちは、たしかに図面なしには存在しえないかもしれない。
 でもね。
 それでも、現物と図面は、違うものなんだよ。
 はい図面ができました。それで私たちの仕事は終わりだと思う?

 もう少し、広い目でものを見てほしいかな。
 私たちっていうのが、どこまでの範囲なのかも含めて。