::「犀川先生に直接、ご相談すれば?」国枝が言った。「私に聞いても無意味ね、そういうことは」
「先生は、中国に行かれているので……」
「帰ってこられるでしょう? 来週。それが待てないわけ?」
「はい」萌絵は、初めて本心が素直に言えた。
「ふうん……」国枝は萌絵を睨んだ。「じゃあ、中国まで行ったら」
「え?」萌絵は国枝が冗談を言ったと思った。だが、相変わらず国枝は真面目な顔をしている。萌絵が何も言えず黙って見ていると、国枝はメガネを取って、デスクの上にあった布でレンズを拭いた。全く化粧をしていない。メガネを外した国枝の顔は初めてだった。






150907

 昨日に引き続き、どういうわけか、アタマを動かすとしばらく世界が揺れる。
 まさかのノー飲酒酔い。これはお酒が不要になる世界の到来だ! とか喜んでいる場合ではない。

 職場でのトラブルについては、キーを置いておいた。

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 僕は物事に対して、微分積分的な手法を使う。
 たとえは人というのは複数の要素を内包する多次元配列変数のようなものだと感覚している。
 それぞれの能力や意思や欲求は複数の項目に分かれてパラメータ化され、その数値は特定の導関数によって変化する。
 単一項目で見た場合、導関数の特性は単純なものが多い。
 Aを見るとBと反応する。そういう人がほとんどである。
 Aを見て、昨日はBと反応したはずが、Cと反応する場合、この人は一日で成長したか、昨日は嘘をついていて今日は本当のことを言っているか、その逆か、そもそも両方とも嘘八百か、気分でものを答えているかのいずれかだと推測される。

 通常、人間の思考は物体ではないので、その導関数を含む配列変数ベクトルは衝突しない。
 他のいかなる導関数も関与しないし、配列変数のベクトルは、他の配列変数ベクトル(つまりは他人)と干渉し、演算する必要は発生しない。

 特定の個人の特定の状態に対して、僕は、そのポイントではなく、導関数と変数を求める。
 この作業は非言語的で、漠然としたイメージが多く、適切な答えを抽出するのに時間を要する。
 それでも多くの人を観察していれば、ある程度の一般解を導くことができる。
 ナイフで脇腹を刺されて痛くない人はいない(意識不明やすでに死んでいる場合を除く)し、嫌なことという感覚によって定義づけられたものを回避するように記憶し、また好ましい感覚によって定義づけられたものについてはそれを繰り返し再現するように記憶し、それらに基づいて行動する。

 そうした思考同士は、ときおり、物理的な衝突によって関数同士のベクトル演算が始まることがある。
 考えの違う他人同士が、たとえば交通事故などによって、それぞれの見解や視点から、自分自身の中にある尺度に基づいて「あれはこうだ」「これはこうだ」とやりとりをするわけである。

 とにかく最初はひたすら話を聞かないと導関数が分からない。
 何度も繰り返すうちにある程度のパターンが見えるようになったけれど、それでも僕自身もひとつの視点を持っていて、自分なりの見解があったために、最初はとても困難だった。
 自分のものをとりあえず捨ててしまって、そうすることでようやく見えてくるものがある。

 だから僕は自分の価値観を容易に捨てることがあるし、それはときにとても便利で、そしてときにとんでもない災難を招いた。

 導関数は、しかし試してみないとどういうものか分からないのである。
 そのためにこそ、価値観を刷新してでも新しいものに飛び込む気持ちを、僕は大事なものだと思っていた。

 自分がその導関数を取り込むことによって、新しい配列変数による演算が可能になるし、それらの相互作用も把握しやすくなる。
 多次元配列変数におけるパラメータの変化は二次元的な描画は不可能であるものの、また言語化そのものは非常に抽象的になったり、具体的にすることでかなり限定された不完全なものになってしまうため、僕は自分の感覚や予測(予感)を、うまく言葉にすることができない。

 ただ、サンプリングした関数が精細にサンプリングしたものであればあるほど、近似値よりも正確な、範囲予測よりも的確な演算が可能になる。
 そうするとAさんの意見とBさんの意見との中和点にうまく両者を導くような誘導も可能になる。
 これには本来、直接関係あるものとは全く関係のないパラメータが作用していることがほとんどである。
 たとえば自動車事故でも、ちょっとしたモノの言い方のせいで相手がヘソを曲げて示談に応じないなんてことは往々にしてあるし、ちょっと相手の立場に立って(つまり視野を広げたり、視座を高くしたり、視界を伸ばしたりするような説明をして)話をするうちに妥協点に導くことが容易になったりする。

 多分、ここまで読んでいる人も、言っている内容を理解している人も皆無だと思うので、僕が総理大臣なった暁には、全国の小学校にゲームセンタを作りたいと思います! とどさくさにまぎれて宣言しておこうと思う。

 誘導というのは、予測であるし、持っている配列変数内のパラメータの数値を相殺する演算を組み立てることでもある。
 おなじように、いろいろな物事には導関数が潜んでいる。
 僕はそれを感じることがある。

 もちろん、それが分かったときには、手遅れになっていることもあるかもしれない。
 解明より必要なこともときにはあるということだろうか。






::「私なら、行くよ」国枝がもう一度言う。
「あの……、そこまで深刻という訳じゃあ……」やっと萌絵は言葉を思いつく。
「言っていることが矛盾してる」国枝がメガネを再びかける。
「あ、はい、そうですね」萌絵は赤面した。「すみません」
「西之園さん、貴女、犀川先生が好きなの?」
「はい」萌絵は上を向いて、国枝を見る。
「あそう。それがわかっているなら、充分じゃない」
「え? どういうことですか?」
「貴女としては、それで充分だということ。何が不満なの?」それから、国枝は、視線を萌絵の背後に向けた。「コーヒー、できたみたいだよ」
 コーヒーメーカがしゅっと音を立てて最後の蒸気を吐いた。







 引用は
「第5章:追跡する疲労」(p.178~179)
From「詩的私的ジャック ~ JACK THE POETICAL PRIVATE ~」
(著作:森 博嗣 / 発行:講談社文庫)
によりました。