::あの電話ボックスに、いったいわたしはいくらお金を投入したろう。それは、わたしのよろこびも悲しみも知りつくした電話ボックスだったに違いない。

::最後にあの電話ボックスにコインを入れた時のことも、よく覚えている。季節と、天気は、なぜだかうまく思い出せないのだが、二つだけ、はっきりと覚えている。
 一つは、電話ボックスを出たとき、自分が泣いていたこと。もう一つは、電話ボックスを出たとたんに、猫が肩に飛び乗ってきたこと。
 悲しい電話だった。傷つけて、傷つけられて。失って、けれどあきらめきれなくて。
 ボックスを出て、悄然とたたずんでいたその刹那、猫が肩に乗ってきたのだ。ぽとんと。なんでもなく。
 猫は「にい」と鳴いた。暖かかった。三毛だった。生まれた時からの、そこが定位置であるかのように、猫は私の肩でくつろいだ。
 ああ、終わったんだ。猫に乗られながら、そう思った。
 もう、おしまい。さよなら。しょうがないよね。
 しばらく猫は肩にとまっていた。何回かまた「にい」と鳴いた。あきらめがわたしの体じゅうにゆきわたったころ、猫は飛び下りた。そのまま夜の中へ消えていった。
 その電話ボックスを使うことは、二度となかった。あきらめることはできたけれど、やっぱり悲しかったから。
 今も、あの夜のことを思うと、かすかに胸がしめつけられる。しなやかに飛ぶ猫を見るたびに、淡い悲しみがこみあげてくる。
 




 先日、ある女の子とファミコンの話になった。
 なんでも、最近、ファミコンでスーパーマリオをしているらしい。
 でも、彼女は、「【普通の】マリオブラザーズ」を知らないらしくて、では、僕の持っているのを貸してあげるよ、と言ったのがことの始まりだ。
 
 結果からいえば「マリオブラザーズ」のカセットは、なかった。
 けれども、僕があのカセットを捨てることは絶対にない。そう断言できる。
 だから、きっと、友達に貸しているんだと、今この瞬間も、僕は思っている。
 
 
 
 僕がここで言っているファミコンていうのは、あの旧式な方法でTV映像入力に介入する、ファミコン(いうなれば1stジェネレーション。ちなみに彼女が持っているのは、きっとAV出力する比較的後期のモデルだろう)であり、僕がそれを初めて手に入れたのは19歳だった。
 
 僕は子供の頃はヘビーなゲーマだったので、7歳の頃にお茶の間を席巻した「任天堂ファミリーコンピュータ」が俄然欲しくてたまらなかったが、諸般の事情により、とうとう手に入れることはかなわぬまま、SEGAのMarkⅢを手に入れたり(10歳)、PCー8801MAを手に入れたり(12歳)するような、数奇な運命をたどった。
 
 きっと、僕はしゃべりすぎたんだと思う。
 マリオブラザーズがどんなゲームで、それがどんなに楽しいゲームか、について。
 
 端折ってしまえば、彼女に言われたのだ。
「何でも捨てちゃうのに、ファミコンとカセットを大事にしてるなんて、らしくないね」
 
 だからといって、19歳でようやく手に入ったファミコンに対して、僕の思い入れがあったわけでは、実は、まったく、ない。
 
 僕はそれからまもなく(20歳の秋)プレイステーションを購入したし、人生でもっとも面白かったゲームは? という質問に対しては、きっと「パンドラプロジェクト(プレイステーション)」とか「スタークルーザー(PC-8801版)」とか「ICO」「塊魂」「ARMORED CORE」と答えるだろう。
 
 マリオブラザーズは、ゲーム単体として考えれば、決して、最高に面白いものではない。
 でも、僕には(レガシィハックな接続の)ファミコンと「マリオブラザーズ」のカセットを、捨てることはできないだろう。
 
 
 
 ある日、友達が、ファミコンを持ってきた。
 僕は19歳の、今風にいうとニート(当時はプータローといわれた)で、彼は浪人生だった。
 その春から僕らのアジトと化した、僕の部屋に、ある日突然、彼は現れた。まるで映画の浪人のようだった。
 彼とは長いし、長かった。
 
 9歳の頃から親しくなって、13歳から親密になって、15歳の春から、とんと会わなくなった。
 漠然とした焦燥や無力感、軽薄な絶望とか気持ちの足が動かない不安とかを、窓から流れてくる生ぬるい風がかき混ぜる。
 そんな午後に、なんの前触れもなく、自転車のブレーキの音の直後に、彼の顔が窓から覗いて僕のあだ名を呼んだのである。
 それは実に3年ぶりに。
 
 話せば長い。
 
 つまるところ、僕にとっては、マリオブラザーズは、その「長い話」のすべてだ。
 ひとことでは語れない。
 
 陳腐な言い回しを使うならば、僕と彼との歴史であるとか、関係そのものであるとか、記憶とか、想い出とか、そういうことになるかもしれない。
(でも、本当は違う。ぜんぜん違う)
 
 お金がないから、二人でゴールデンバット(当時は20本入り90円だった)を買ったり、紙パックのジュースを分けて飲んだり。
 ポッカ100レモンと砂糖でレモンジュースを作ったり。
 あいうえお作文で何時間も笑いあったり、厚紙で作ったチェスセットで遊んだり。
 そんな、くだらない記憶の中に、彼と一緒に、自転車で、マリオブラザーズ(もちろん中古)を探し回って見つけたそれは1600円もして(スーパーマリオは、当時400円くらいだった)、どこの店に行ってもだいたい同じ値段なので、ひーひー悲鳴を上げながらお金を出し合って買って、何日も何日も、協力プレイしたり、対戦したりして、指が痛くなってそろそろよそうか、なんてどちらからともなく言い出したりしては煙を吐き出したりしていて、またやりだしてはどうにもならないくらい笑い転げて何度も窒息しそうになった記憶があって。
 
 僕はいろんなものを捨ててきたし、これからだって、要らないものは次々捨ててゆくだろう。
 手放すことが生きることだと僕は思っているし、手に入れることはその入り口だと思っている。
 手に入れることが「欲求」ならば、手放すことは「都合」だ。
 ネットオークションとなんら変わらない。
 
 欲求に従って、僕はいろいろ手に入れてきたし、都合によって、いろいろ手放してきた。
 使えるけれど、不要になって捨てたものもあるし、壊れて、使えなくなって捨てたものもある。
 
 
 
 彼との関係は、どっちだったんだろう。
 分からないけれど、僕はその関係を、捨ててしまった。
 
 もちろん、関係といったって、ただの友達関係だ。
 利害はなかったし、あってはいけない関係だった。
(少なくとも、僕は、友人関係を、そう思う)
 
 
 
 使いもしないし、使えもしない、旧式のファミコンを、家の目立たない片隅に仕舞って。
 肝心のソフトは、きっと彼に貸したままで。
 
 おそらく僕は、使えもしない、何の役にも立たないその記憶を、どうしても捨てられないまま、生きていって、きっとそのまま死んでいくんだと思う。
 
 超えるもののない名作のゲームを、僕はいくつも知っている。
 マリオブラザーズは、シンプルだけれど、それだけでしかない、一般的に考えて名作と呼ぶことはむつかしいであろう、たいしたことのないゲームなのだ。
 
 でも、こんなに、飽きもせず、笑ったり、泣いたり、どきどきしたり、嫌な思いをしたり、せつない気持ちになるゲームは、他にない。
 僕は、マルチプレイのネットゲームをしたことはないし、これから先も、きっとしないだろう。
 もちろん、それが悪いとかつまらないとかではない。
 ただ、コントローラが2つしかなくて、それを友達と交代してやったり、友達同士がそれをやっているのを見るのが、どんなに幸せで楽しいことか、僕は知っていて、その楽しさにこだわって、比較してしまう、セコくて器の小さい人間なのだ。
 
 そしてそういう楽しさは、部屋にゲーム機があれば、そのゲーム機がありさえすればできるというものではない。
 (TVゲームに限らず)ゲームというもののある部屋にうまれる、人とのぬくもりは、ゲーム機の排気からは、けっして感じられない、ある意味でとても贅沢なものなのだ。
 2つしかコントローラのないゲーム機を、僕は永遠に祝福したい。
 あれこそが、完璧なスタイルだと。
 
 
 
 
 
 追記になるが、僕はあれ以来、自分の「都合」というものを、なるべく排除するようになった。
 日本語でいうと「自分の都合はおかまいなし」だ。
 
 自分の都合というのは、自分の欲求にも似ている。
 でも、都合や事情は、ポジティブな欲求ではない。
 
「都合」の名のもとに、僕たちはいろんなものを手放してゆく。
 手放すときに、それの本当の価値が、本当に分かっているのかどうか、少なくとも僕にとっては疑わしい。
 
 彼との関係を手放したことを、後悔しているのかといえば、そんなことはない。
 持ち続けるには、それはすこし、痛すぎた。
 ファミコンと、カセットと、それに付随する、楽しい記憶だけを持っているのさえやっとだったから、目立たないところに仕舞っていたのだろう。
 少なくとも、今までは。
 
 マリオブラザーズ。
 またやりたいな。






::返してよね。
  この世の終わりなんかじゃない。
  だから、貸したお金、返してよね。
::も~~~、がめついんだから~~。







 冒頭引用は
「高井戸・その3」
(From 『此処彼処』 著作:川上 弘美 / 発行:日本経済新聞社)
 
 文末引用は
「何もするな」
(from『20世紀少年(22巻)』 著作:浦沢 直樹 / 発行:小学館)

 によりました。

(初出:2009/05/05:第13工場よりデータを復元)