150210

 晴れ。

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 僕は保険の代理業をしていたわけだけれど、そこで使う主な道具といえばペンと自分のアタマしかなくて。
 僕は腕時計を嫌うし、懐中時計は今のところ気に入るものが見つかった試しがない。
 スーツは数年で使い捨てにせざるを得ない(嫌味な奴と笑ってもらってかまわないけれど、なにしろ他にまともな服がない)し、靴はいいものを何足も持てない上、気に入ったものがまず見つからない。

 とりわけ、お客様と向き合って書類のやりとりをする中ではボールペンの出番が多かった。
 僕はお気に入りのボールペンをほぼ毎日使っていた。
 朝、シャツの胸に差すのが一日の始まりであり、たとえば出先で使い捨てのものを勧められた場合は断って、胸に仕舞ってあるそれを使った。
 あまり高いものは買えないし、高いからといって使い心地がよいとはかぎらない。
 ブランド物では嫌味に映ったり、かえってみっともない印象を与えることもある。

 そのようなわけでしばらく迷うこと十数年前、いいものにめぐり会った。
 グリップ全体が木のボールペンである。値段も決して高いわけではない。
 高くないのも当然で、名のある、格別によい木、というわけではない。ウィスキー樽に使われていた木だそうだ。
 だから風合いも色合いも、それぞれに違う。コーティングもさほどされているわけではなく、ほとんど無垢ではないだろうか。
 なので、たいそう気に入った。
 手に馴染むのである。

 ところが、使いはじめて一年ほどで、それを失くしてしまった。
 残念な気持ちを抱えながら、今度は同じものを2本と、同系列のすこし握りの細いものを1本買った。それらは今でも使い続けている。

 お世辞かも知れないが、ペンを褒められることもあった。そういうときはたいそう嬉しかった。
 合う人には合う。道具というのはそういうものだろう。
 僕は無機質な素材を好むくせに、肌に触れるものは有機的なものを好む。
 だから金属やゴムが肌に触れるような感じではなく、すこしやわらかくて、すこしぬくみがあって、それからそう、水気を感じるのだ、そのペンは。

 そういえば服も、いまだに生地の肌触りから決める。
 肌が合わない服は、どんなにデザインが気に入ったとしても、そのうち着ないようになってしまう。
 それでは自分も不幸だが、道具も、それを作った人や売った人も不幸だろう。

 相性というのはつくづくにあるものだと思う。

 ボールペンに限っていえば、僕はよいものに出会った。
 僕が気に入ったものの多くは、早い段階で世の中からなくなってしまうことが多いのだけれど、例外的にそのボールペンは今でも売っている。
 過剰な飾り気がなく、気取りもなく、素朴で、でもけっして安っぽいわけではない。

 何度となく芯を替えて使い続けてきた。
 いつまでも、なくならないでいて欲しいと思う。