この家で暮らすようになって、どれくらいだろう。
 もう15年くらいになるだろうか。
 父もいない今、僕の帰る場所はここよりほかにない。

 初めての一人暮らしは、それは楽しかった。
 何もかもが自分の自由で、つまりその自由を使って道を逸れてしまうと、その代償もまた自分に戻ってくる。

 調理器具で最初に買ったのは、包丁、まな板、それからボウルとざるだ。
 僕の知る料理人の多くは、当然のように包丁にこだわりがあった。
 料理人の世界というのはそういうものだろう。
 職工であれば道具にこだわるのは必然で、その気持ちもよく分かる。
 道具にこだわることのできない職業の人は、たとえばインテリアやファッション、具体的にはオフィスやペンや時計や靴や服にこだわることだろう。

 僕は料理は好きだけれど、包丁にはさしてこだわりがない。
 むしろそれは消耗品だ。
 いい加減な道具しか使ってこなかった、という可能性は否定できないものの、それでもときにへし折れたりするものなのだ、包丁は。。
 包丁がへし折れる、という状況は、もちろんそうそうあるものではない。
 それは無理な方向から無理な力を加えたことが原因で、包丁そのものはもちろん、素材やその状態に対する無知が大きな原因、ではある。

 ただ、まぁ、10倍の価格の包丁を使ったからといって、10倍おいしい料理ができるわけでもないは事実だ。
 なので包丁についていえば「しっかり手に馴染むこと」これに尽きるし、グリップの問題だけでいえば、ホームセンタのステンレス包丁でも十分に事足りるものが見つかる。

 実のところ、いくつかそろえようと思ったこともあったのだ。
 しかし数多く持っていても、包丁使いが独学で基礎を知らないため、使いこなせなかった。

 刺身包丁を持っていたこともあるのだけれど、手入れを心得ていなくて錆を出す上、使う頻度も低い。
 これは道具と使い手の不幸な組み合わせと思い、手放した。
 牛刀を普段使いしている主婦の方を知っているが、僕は図体が大きいわりに牛刀を使いこなせない。僕の手の感覚に対しては大きすぎるのだ。
 菜切り包丁は、とにかく子供の頃からよくへし折る。マイナスドライバやナタの代わりにしようとするのが間違いなのだ。
 これらから察するに、僕は包丁とはとことん相性が悪いのかもしれない。
 学生の頃、ポケットに忍ばせていた折りたたみナイフ(護身用)も、1年ほどで紛失した。

 そのようなわけで、今は三徳包丁にペティナイフ、それから鋼の出刃だけで間に合っている。
 三徳とペティはステンレスで、両方合わせても五千円にもならなかったように思う。
 頂き物の出刃の出番は滅多にないものの、刃が素材に吸い込まれるようにしてよく切れる。
 かぼちゃの処理などには心強い存在である。

 なるほど、よい道具は必要だということだろう。

 しかしそれでも、吊しのスーツが買えるような値段の包丁には、やはり手が伸びない。
 なんだろう。
 刃物は好きなのだけれど、刃物とは縁がないらしい。