::女が少しでも美しく見せたいために、あらゆる努力を惜しまないのは、正当な理由がちゃんとあって、ために真剣な話なのである。だが、男は、真剣な態度でのぞむことは別にあるのが、男というものだ。ずいぶんと保守的なことを言うと思う人がいるかもしれないが、それはまちがっている。なぜならば、所詮、われわれ女は、身だしなみ以外に真剣勝負するものを持っている男を欲しているからである。
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最近の女というのは愛を知らない。
なべてひとしく例外もなく、とまではいわないが、おおむねそこにあるのは自己愛と打算である。
チョコレートコーティングのように優しく甘やかに見せかける向きもあるが、何のことはない、薄っぺらな鍍金皮膜である。(もちろん、人生経験の浅い私にとって、齧ってみないことには分からないのだけれど)
なべてひとしく例外もなく、とまではいわないが、おおむねそこにあるのは自己愛と打算である。
チョコレートコーティングのように優しく甘やかに見せかける向きもあるが、何のことはない、薄っぺらな鍍金皮膜である。(もちろん、人生経験の浅い私にとって、齧ってみないことには分からないのだけれど)
男が強い時代から一転、女が強くなったと呼ばれる時代も過ぎたが、すべて終わってみれば結局、誰も強くなどなかった。
遠い昔から人間は強さを争ってきたが、そのあとに残るのは荒涼とした寂寞だけである。誰かが決定的に強かったためしなどない。
人は歴史から何も学ばないというが、確かにそうなのだろうと思える。
遠い昔から人間は強さを争ってきたが、そのあとに残るのは荒涼とした寂寞だけである。誰かが決定的に強かったためしなどない。
人は歴史から何も学ばないというが、確かにそうなのだろうと思える。
女が愛を知らないのには、その母親たる女にも責任があり、またその夫たる男にも責任がある。
家族という関係性など、砂漠に埋もれた遺跡のごとくにすっかり破綻した環境で育った私がいうのも笑われる話かもしれない。
けれども、物心ついた頃から「家族」というものを遠い花火のようにしか見てこなかったからこそ、僕は家庭というものの持つ関係性に憧れもしたし、同時にそれが少なくとも自分の身の回りではどうにも再現されようのない憧憬であることも理解した。
立脚するものを持たないからこそ、そこにはある程度一般化された人間の力学が見えてくると、自分では思っている。
家族という関係性など、砂漠に埋もれた遺跡のごとくにすっかり破綻した環境で育った私がいうのも笑われる話かもしれない。
けれども、物心ついた頃から「家族」というものを遠い花火のようにしか見てこなかったからこそ、僕は家庭というものの持つ関係性に憧れもしたし、同時にそれが少なくとも自分の身の回りではどうにも再現されようのない憧憬であることも理解した。
立脚するものを持たないからこそ、そこにはある程度一般化された人間の力学が見えてくると、自分では思っている。
女が強いと呼ばれるようになった時代の少し前、男はその座を、なるほどそうまで言うなら女も利口なものなのかもしれないと明け渡したのではある。
しかし広くいわれる通り、女は浅はかなのでもある。
力を求め、力に生きるようになった女は、結果的に、女ではなくなる。
しかし広くいわれる通り、女は浅はかなのでもある。
力を求め、力に生きるようになった女は、結果的に、女ではなくなる。
男は一般に力を求める傾向にあるが、これには理由と目的が厳然としてある。むしろなくてはならない。
性差で比較して女が浅はかであるというのであれば、性差で比較して深遠なるものが男である。
深遠でなければ男でないといってもいい。女をして浅はかだと微笑むより以上の深遠さを持っているものが男であろう。
深遠なるものを現実のものとするために、男は力を必要とする。
深遠なる指針を持たない力の行く末は、暴走しかしない。力というのはそういうものである。
政治や原子力発電所に喩えなくてもわかりそうなものではある。
力に振り回されないためには、遠い場所をいつも見ていなくてはならない。
まして力を振りかざすなどもってのほかである。
性差で比較して女が浅はかであるというのであれば、性差で比較して深遠なるものが男である。
深遠でなければ男でないといってもいい。女をして浅はかだと微笑むより以上の深遠さを持っているものが男であろう。
深遠なるものを現実のものとするために、男は力を必要とする。
深遠なる指針を持たない力の行く末は、暴走しかしない。力というのはそういうものである。
政治や原子力発電所に喩えなくてもわかりそうなものではある。
力に振り回されないためには、遠い場所をいつも見ていなくてはならない。
まして力を振りかざすなどもってのほかである。
だから力を持つのが深遠なる女であるならば、それはよいことであり歓迎されるべきことである。
あるいは浅はかなる男が力を持つのであれば、そんなものはないほうがよいということになる。
あるいは浅はかなる男が力を持つのであれば、そんなものはないほうがよいということになる。
浅はかなるものが力を持ったところで、結局は何も残らない。
太陽信仰の文明は女性崇拝の文化を持つと聞いたことがあるが、果たして女性が国家を動かす世界は、男性を基準とした「力」を同じように用いていたものであろうか。
太陽信仰の文明は女性崇拝の文化を持つと聞いたことがあるが、果たして女性が国家を動かす世界は、男性を基準とした「力」を同じように用いていたものであろうか。
つまるところ根底にあるエナジに関する概念が、そもそも間違っているから力というものが暴走するとも考えられる。
(飛躍しましたが、みなさんついてきていらっしゃいますか?)
人間関係の間に「力関係」という言葉を持ち出す人間がいるが「エナジ関係」がそこには等しく存在しているだろうか。
何なら「ポテンシャル関係」としてもいいだろう。意味が分からない?
つまり「力関係」という概念自体が、相当に意味を限定されている。
「力関係」が「エネルギー関係」であるならば、各位の位置エナジが上であるとか下であるとかと同様に、運動エナジが多いとか少ないとかも論じられるべきなのだけれど、こういうことを言っていると「猫氏がまた分からないことを言っている」と一般には思われるようではある。
(飛躍しましたが、みなさんついてきていらっしゃいますか?)
人間関係の間に「力関係」という言葉を持ち出す人間がいるが「エナジ関係」がそこには等しく存在しているだろうか。
何なら「ポテンシャル関係」としてもいいだろう。意味が分からない?
つまり「力関係」という概念自体が、相当に意味を限定されている。
「力関係」が「エネルギー関係」であるならば、各位の位置エナジが上であるとか下であるとかと同様に、運動エナジが多いとか少ないとかも論じられるべきなのだけれど、こういうことを言っていると「猫氏がまた分からないことを言っている」と一般には思われるようではある。
さても愛を知らない女が多いということは、深遠なる男が少なくなり、またそれ(深遠という理解しがたいものを自分の中心に抱えているのが男であるということ)を理解できる女がほとんどいなくなったということだろう。
男は弱くなったのではない。バカになっただけである。
浅はかに同調して浅はかになっただけである。
浅はかに同調して浅はかになっただけである。
女は強くなったのではない。愛を忘れただけである。
力を手に入れるために愛を手放したのである。
力を手に入れるために愛を手放したのである。
位置エナジと運動エナジは摩擦が存在しない限りにおいては等しく交換が可能である。
それぞれの失ったポテンシャルが変換され、ふたたび還元されることも、もしかしたら、ありうるのだろうと思いたい。
それぞれの失ったポテンシャルが変換され、ふたたび還元されることも、もしかしたら、ありうるのだろうと思いたい。
(どうだ。今日は硬派だろう。)
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上記のような思想から僕は女を追いかけることはやめて仕事に生きようと思ったのだけれど、社長と対立した末、辞職することになった。
1月から就職活動である。チーン。
1月から就職活動である。チーン。
::日本に帰国中に、ある男性向きの雑誌のインタビューで、どういう男が好きか、とたずねられた。私の答えは、タキシードの似合う男、というものだった。そして、その理由として、こうつけ加えたのである。
「ジーパンの似合う男が必ずしもタキシードも似合うとはかぎらないが、タキシードの似合う男は、絶対にジーパンも似合うからです」
遊びは、ヴァリエーションを愉しめるところにしか存在しない。つまり、選択の自由が愉しめるところにしか、存在しないのである。ジーパン・オンリーを自負する男たちは、自分自身でも気づかない間に、束縛からの解放であったはずのジーパンが、「遊び」ではなく「真剣」なことになるという落とし穴に、落ち込んでしまっているのだ。「真剣」にジーパンをはいている男など、「真剣」に背広を着ている男とまったく同じに、こっけいそのものではないか。
「ジーパンの似合う男が必ずしもタキシードも似合うとはかぎらないが、タキシードの似合う男は、絶対にジーパンも似合うからです」
遊びは、ヴァリエーションを愉しめるところにしか存在しない。つまり、選択の自由が愉しめるところにしか、存在しないのである。ジーパン・オンリーを自負する男たちは、自分自身でも気づかない間に、束縛からの解放であったはずのジーパンが、「遊び」ではなく「真剣」なことになるという落とし穴に、落ち込んでしまっているのだ。「真剣」にジーパンをはいている男など、「真剣」に背広を着ている男とまったく同じに、こっけいそのものではないか。
引用は
「古き皮袋に新しき酒を」(冒頭部:p.33 / 文末部:P.34)
From 「男たちへ」(著作:塩野 七生 / 発行:文春文庫)
によりました。
「古き皮袋に新しき酒を」(冒頭部:p.33 / 文末部:P.34)
From 「男たちへ」(著作:塩野 七生 / 発行:文春文庫)
によりました。
