20141105

 曇り。寒い。

 ごく一部の人しか知らないが、僕は煙草をあまり好き好んで吸わない。
 煙草を吸うようになっておよそ20年が経つが、最初から最後まで、まぁ、そんなに好きではないのに吸っていた。

 と、今は心から思うし、そういえる。
 なぜなら、僕はシガレット(一般に広く流通している、あの紙巻煙草のことです)をやめたから。

 そして、パイプを吸うようになったから。

 もちろん、シガレットにも美味しいときはある。
 結局のところ、美味しく感じるときに吸えばよいのだ。
 美味しく感じられないときに吸うのがよくないのだ。

 が、しかし。
 僕にとって、シガレットがとても美味しく感じられる、なんていうのは、場面がとても限られている。
 まず、気分が良くないといけない。
 空腹でも、満腹でもいけない。そもそも、そういう身体的な欲求に目が向いているときは美味しくない。

 飲み物がなくてはならない。
 できればカフェラテやカプチーノ。とびきり甘くて、とびきり苦くて、とびきりクリーミィなほうが望ましい。
 このほか、紅茶などでもよい。炭酸やジュースなども悪くない。

 気分を良くするシチュエーションがかなりむつかしいのだけれど、これはたいてい人為的に作り出すことができる。
 一番は、何かを作ったあとだ。有形無形を問わない。

 何が出来上がる、何か完成する。それが自分の手によって、自分だけで考えて作られたものであればあるほど、気分が良い。
 しかし、そんなことは滅多にない。そんなに簡単に得られる満足ではないのだ。
 自分の満足するものを考えて、自分の満足を満たすものを考えて、それを自分の手で作り出していって、自分なりのアレンジを加えて、最終的に自分の思ったとおり(うまくいった場合はそれ以上)の満足を手に入れる。
 これは手間も時間もかかるし、何よりひらめきが必要だ。ひらめかなければ、何も手に入らないといってもいい。時間も手間も無駄になるし、失敗すれば気分はそれなりに落ち込む。
(もちろん、悩む時間もまた楽しいのだけれど)
 正直なところ、そんな完璧な満足は年に数回もない。年に一度もないときだってある。

 仕方がないので、もっと手軽な方法で、ほどほどの満足した気分を手に入れる。
 部屋の掃除。自転車の整備。美味しい料理を作る。靴を磨く。滅多にしないものの掃除やメインテナンス。全力疾走(自転車に限る)。思索(文書を書くことが含まれる)。
 これなら週に一度、多ければ週に数回は味わうことができる。

 残念ながら、今の僕の仕事は何かを作ったり綺麗な状態にすることができない。ために仕事で満足した気持ちになったことは一度もない。
 仕事仲間とどうでもいい酒を飲みながらクダを巻きつつ煙草葉を煙に変えたとして、そんなものはこれっぽっちも美味しくない。お酒も煙草も、時間ももったいない。なのでたいていは一人だ。
(そもそも自分の満足のために仕事をしているのではないし、友達ごっこをする場所だとも思っていないから、これはこれで問題ない)

 ちなみに、先に挙げた満足は、すべて僕一人で手に入れられる満足ばかりだ。
 また作業の結果だけではなくて作業の行程自体に満足感があるらしく、自分以外の誰かにさせたところで自分でした以上の満足が得られることはまずない。
 部屋が綺麗なだけ、自転車が綺麗なだけ、料理が美味しいだけ、誰かが全力疾走した、というのでは何の嬉しさも楽しさも満足感もない、ということ。
(「料理を作るのが楽しい」というのは「たまに趣味で作るだけだからだろう」という批判を受けるだろうけれど、実際そうだと思う)
 たとえば何かがくすんでいれば気持ちが悪いけれど、誰かが磨いてピカピカしているよりは、自分で磨いたほうが何倍も満足感がある。

 もっとも、ここでいう満足感とは、あくまでも「シガレットを美味しくすうための前提条件である満足感」のことではあるけれど。

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 僕が自分の気分を「自分次第だ」と思っているのはこういう理由による。
 他人が介在して気分が悪くなることは多いし、逆に気分が良くなることは確率的に少ない。

 僕に限った傾向かもしれないがこれは大事な事実だ。
 他人が介在するとかなりの確立で気分が良くなる、という人は、それだけ他人に負担をかけている可能性を疑うべきだと僕は思うし、僕は他人で満足しそうになるとき、自分を疑う。
 僕は他人を使って(利用して/強制して/圧力をかけて)充足感を得ているのではないかと、ちょっとした恐怖さえ感じる。
 もちろん、世の中にはそうやって、強制されたり圧力をかけられてでも利用されることで、かえって満足感を得る人もいるようなので、まぁ、なんともいえないけれど。

 いずれにしても他人がいようといなかろうと、受動的であればたいした満足は得られないと思っている。
 一方、他人がいてもいなくても、能動的であれば、また行程を楽しむ能力があるならば、十分に満足することができるだろう。
 そういう意味で僕はTVを見るくらいなら本を読むし、自分で考えたことを文字にすることが楽しいと感じる。
 これらはすべて、自分の満足感に対して、とてもわがままだからだと認識している。

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 こうした満足感が心の中にあるときに、はじめて僕にとってのシガレットは美味しくなるのだった。
 だから美味しく吸うのが非常に面倒で、そのわりにいたるところで手軽に手に入って、いつでもそばに置いておけるので、なんというか、理想的な状態の再現性とその機会を作る簡便さが、まったくつりあわないのだ。まるで宝くじのように。





 さて、予想通り、話しがパイプから逸れた。

 でも、それでよい、と僕は思う。