::無駄な戦いは避けねばならない。何故なら、無駄ではない戦いに備えるためだ。自分はそう信じている。無駄でない戦いもあると思う。戦わなければ正しさが証明されないことが、きっと、いつも、そしてまたどこにでも、あるのではないか。
そうでなければ、侍は無駄だ。刀など不要だ。侍が刀を持ち、皆がこうして剣術に励むのは、人が正しさを求めている証ではないのか。
20140808
最近、子供の頃のことをよく思い出す。
あまりにも、あの頃のいろいろな感覚を思い出すので。
動悸やめまいのほか、手足の末端のしびれ、気温に対する無感覚、光や音に対する過敏な状態、食欲の無感覚、食品や食べることに対する拒否反応などなど、これは単なる更年期障害なのだろうかとさえ思うが、まさかの子供がえりかもしれぬ。
あまりにも、あの頃のいろいろな感覚を思い出すので。
動悸やめまいのほか、手足の末端のしびれ、気温に対する無感覚、光や音に対する過敏な状態、食欲の無感覚、食品や食べることに対する拒否反応などなど、これは単なる更年期障害なのだろうかとさえ思うが、まさかの子供がえりかもしれぬ。
アドレナリン分泌過多。
僕はきっとそういう体質なのだろう。
だから大量の糖分を必要とし(それをほとんどすべて燃焼し)、セロトニン生成のためにタンパク質のほとんどを使ってしまう。
だから子供の頃はいつも食欲がなくて、神経過敏で、怒りっぽくて、暴力的で、対人恐怖症だったのだろうと思う(ついでにどうやっても筋肉が発達しない)。
後半については、近年「それはありえない」という評価をいただくが、僕は子供の頃、いろんな生き物(その中には飼い猫が含まれる)を殺したし、20代には自動車で他人様の家に突っ込んで大怪我をした。
僕はきっとそういう体質なのだろう。
だから大量の糖分を必要とし(それをほとんどすべて燃焼し)、セロトニン生成のためにタンパク質のほとんどを使ってしまう。
だから子供の頃はいつも食欲がなくて、神経過敏で、怒りっぽくて、暴力的で、対人恐怖症だったのだろうと思う(ついでにどうやっても筋肉が発達しない)。
後半については、近年「それはありえない」という評価をいただくが、僕は子供の頃、いろんな生き物(その中には飼い猫が含まれる)を殺したし、20代には自動車で他人様の家に突っ込んで大怪我をした。
僕はその「生きにくい体質」に折り合いをつけるために、考え方や価値観を変え(あるいはその方法を模索し)、関係ないものに怒りを投射して殺したり、壊したり、自暴自棄になって他人様に迷惑をかけることのないように、なるべく気をつけるようになった。
関係ないものに怒りをぶつけたところで、10歳の頃に気づいたように、本当にほんとうに、何も救わないし何も良くなったりしない。
あとには激しい自己嫌悪と絶望が残るだけだ。
関係ないものに怒りをぶつけたところで、10歳の頃に気づいたように、本当にほんとうに、何も救わないし何も良くなったりしない。
あとには激しい自己嫌悪と絶望が残るだけだ。
そのためか僕の中では今も、猫や、自分の肩の傷が、ストッパとして大きな意味を持っている。
あるいは、ある人の、ある言葉が、大きく意味を持って焼き付いている。
当然アドレナリン分泌過多になっても、今は、車に乗っていておかしな衝動に駆られたとしてもそれを御することができるし、どんなに腹が立っていても、モノや生き物に危害を加えないでいられる。
つまりそれは記憶を引き金として人間は自己を制御できるという証左だ。
ここでいう記憶というのは外部から与えられる無意味なまじないなどではなく、自分の中で意味として結実しているお守りの類として機能し、あるいは機能できるもののことだろう。
(わがブードゥーとその「ほこら」に栄光あれ)
あるいは、ある人の、ある言葉が、大きく意味を持って焼き付いている。
当然アドレナリン分泌過多になっても、今は、車に乗っていておかしな衝動に駆られたとしてもそれを御することができるし、どんなに腹が立っていても、モノや生き物に危害を加えないでいられる。
つまりそれは記憶を引き金として人間は自己を制御できるという証左だ。
ここでいう記憶というのは外部から与えられる無意味なまじないなどではなく、自分の中で意味として結実しているお守りの類として機能し、あるいは機能できるもののことだろう。
(わがブードゥーとその「ほこら」に栄光あれ)
どの段階が僕にとってのデフォルトなのか分からない。
もとよりこれが先天的な体質なのか、環境によって最適化されて固着したのかも分からない。
いずれにしても、僕はいちどアドレナリン分泌過多の状態になるとそれがなかなか収まらない(きっと誰でもそうだ)し、それを抑える状態が普通であるとすると、あまりにものんびりぼんやりになってしまうために、カフェインを定期的に(通常のカフェインを含む飲料では足りないレベルで)必要としたりする。
もとよりこれが先天的な体質なのか、環境によって最適化されて固着したのかも分からない。
いずれにしても、僕はいちどアドレナリン分泌過多の状態になるとそれがなかなか収まらない(きっと誰でもそうだ)し、それを抑える状態が普通であるとすると、あまりにものんびりぼんやりになってしまうために、カフェインを定期的に(通常のカフェインを含む飲料では足りないレベルで)必要としたりする。
分泌過多で疲れたときは食事もしないで眠り続け、いっぽう分泌が不足しているときはかなりの頻度で役立たずである。
カラダが悪いのか、アタマが悪いのかは分からない。
僕はそれでもこのカラダをとても信頼している。
むしろアタマがおかしいのだとたびたび思うことはあるが、それとて、アタマはアタマでなんとか自分の性質と折り合いをつけるための手法をいまだに模索し続けている。
(超高度なプチダノンのCMか)
(20年近くろくにTVを見ていない人がこれを書いています)
僕はそれでもこのカラダをとても信頼している。
むしろアタマがおかしいのだとたびたび思うことはあるが、それとて、アタマはアタマでなんとか自分の性質と折り合いをつけるための手法をいまだに模索し続けている。
(超高度なプチダノンのCMか)
(20年近くろくにTVを見ていない人がこれを書いています)
一日食事をしていないものの、今日はこのまま食べない方がいいのかもしれないとうっすら感じている本日のワタクシなのであった。
だけどやっぱり豆腐食べよ。
::これは正しいのか。己は正しいのか。生きることは、死ぬことよりも正しいのか。行き着くところは、その疑問。
正しさとは、何だ?
正しさとは、何だ?
引用は
「episode 2: Bamboo pearl」(冒頭部:p.113)(文末部:p.114)
from「The Blood Scooper」
(著作:森 博嗣 / 発行:中央公論新社)
によりました。
「episode 2: Bamboo pearl」(冒頭部:p.113)(文末部:p.114)
from「The Blood Scooper」
(著作:森 博嗣 / 発行:中央公論新社)
によりました。
